太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

うちの夫の数の数え方

2018-06-23 12:08:10 | 日記
日本人とアメリカ人では、ささいな面において真逆だと思うことがある。

たとえば、

手のひらを下に向けて、4本の指を揃えて上下に動かす。

日本人にとってそれは「おいで、おいで」だが、、アメリカでは「バイバイ」である。

日本では「父母」というが、アメリカでは「母父」である。

両親あてに手紙を書くのに、日本だと「おとうさん、おかあさん」

アメリカだと「MOM、DAD」になる。

日本では「白黒」映画というが、アメリカだと「黒白」になる。



今回、書きたいのは数の数え方だ。

指を使って数を数えるのに、私は最初に親指を内側に折り、順番に人差し指からあとを折る。

多くのアメリカ人は、最初にグーを作って、親指から立ててゆく。

このやりかたをやってみるとわかるが、中指まではいい。

しかし薬指を開く時、自然に小指もついてくる。

私だけではないようで、見ていると、薬指の番に小指も浮かせながらそのまま数え続けている。

6からは、小指から戻ってくるのだが、小指を折ると薬指もついてくる。

私の場合、小指を折ると中指まで反応する神経システムで、いったいいくつなのかわからなくなる。

非常にすっきりしない。

日本人のようにパーの状態から親指を筆頭に折ってゆけば、なんの問題もないじゃないか。

中には、グーの状態から、小指から数え始める人もいる。

その場合、6からは日本人式になる。

これは問題がない。



で、うちの夫はどうやって数えるかということなのだが、

グーの状態から、最初が人差し指。

次が中指。そう、ピースサインの形。

続いて薬指、小指、そして最後が親指。


なんか、おかしくない?


6からは、パーになった状態から親指を折る日本人式になる。

そんなら最初からパーにしとけばよさそうなものを。

どうでもいい。

どうでもいいが、気になる。







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スーツにサムソナイト

2018-06-21 19:33:51 | 日記
アーティスト友人のマイクが、ロスアンジェルスからハワイに来たのは1968年だという。

当時のハワイは、今とはまったく違っていた。

街の様子もそうだし、日本人もそれほど見かけなかった。

「今でも覚えてる。空港に行くと、日本から来た旅行者がサムソナイトのスーツケースをもって

男の人はスーツにネクタイ、女の人もスーツを着て革靴で歩いているんだよ」



日本人が、気軽に海外旅行に行くようになったのはいつごろからだろう。

私が子供の頃は、家族で海外旅行に行く人など身近にいなかった。

高校生になっても、夏休みにフランスに行ったなんていうのは医者の娘だけだった。

家族で行くのは熱海の温泉、そんな時代だった。

1969年、母は忙しくて留守にしがちだったから、私は15円を握り締めて循環バスに乗った。

循環バスだから、乗っていればまた家の近くのバス停に戻ってくる。

バスには女の車掌さんがいて、「次のバス停だからね」と教えてくれた。


私が一人で循環バスに乗っていた頃、海外旅行をしていた人たちもいたのだ。

日本人旅行者といえば、黒縁めがねに首から提げたカメラ、というイメージは、もっとあとの時代だろう。

今はみんなラフな服装で、旅慣れている。

小さな子供連れで、気軽に外国に行く。

キャリーのついていない重いスーツケースをさげて、おしゃれをして海外旅行に行っていた頃の日本人にとって

海外は今よりもずっとずっと遠い場所だったことだろう。











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いつまで青春、いつまでもトキメキ

2018-06-21 08:25:11 | 日記
自分の情報を登録して、人生のパートナーを探すシステムは、

日本だとなんというのだろう。

ここではとてもポピュラーで、そういうサイトがものすごくたくさんある。

身近に、そういう場所を通じて出会い、仲良くしている人も、結婚した人もいる。

日本人の友人が、最近そこに登録した。

出会う準備ができている人に確実に会えるのだから面倒がないし、手っ取り早い。

知り合いから友人になり、恋愛感情が芽生え、相手の気持ちを推し量り、あれやこれやと駆け引きをする。

それはそれで恋愛の楽しみでもあるけれど、50を過ぎたらもう、そんなことをしている時間はないといえばない。

ユーミンの歌『待ち伏せ』の世界は、若者の特権だ。


友人は、一人の人と数回会ったが、人柄も含め、結婚相手としての条件は申し分ないのに、トキメかない。

というところで渋っている。

トキメキよりも、人生と心の安定のほうが大事じゃん。とは私も言えないでいる。

たとえ茶飲み友達であっても、多少のトキメキがなければつまらないと思うからだ。

娘達が、結婚適齢期(昔はあったのよ)を過ぎても結婚しないので、焦りを募らせていた母が

「もう!誰と結婚したって同じだよッ!」

と言い放ったことがあった。

五月みどりさんに言われるならまだしも、父しか知らない母に何がわかる、とその時は反抗したものだ。

誰と結婚してもそれなりの学びがあり、幸せも波乱もあるのだから、そういう意味では同じなのだろうが

それじゃ、似たような条件なら誰でもいいかというと、そうではない。

なにか背中を押すもの、想像をかきたてられるもの、それを分かち合いたいと思わせるもの、

それが私はトキメキだと思う。



さて、その出会いのシステムには、自分の許容範囲の年齢枠を記載するそうで

いろんな年代の人からメッセージがくるらしいのだが、


「92歳の人からもゴリゴリのメッセージがくるんだよぅー」


ひーーー!!92歳!!

登録する年齢制限はないのか。




「それじゃ焦らなくても、あたしらあと40年近く時間があるじゃん」

「生きてないよ、もう」

「うっかり生きてたらどうするよ」



92歳でもまだ青春しようとしている。

私が92になったとき、誰かと出会いたいと思う心のゆとりがあるだろうか(健康もね)。

50代なんかヒヨっこだ。

私は今日からその人を師匠と呼ぼう。

「会ってみればいいじゃん」

「やだよう、ひとごとだと思って」

「師匠がどんな人か、この目で見てみたい。そして教えを仰ぎたい。だから私も連れてゆけ」

「絶対にいやだ」



師匠がすてきな出会いに恵まれることを、心から祈らずにいられない。















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平日の繋ぎの部屋着

2018-06-20 07:53:48 | 日記
みんな、家にいるとき、どんな服装をしているんだろう。

先週の休日、私は我が服装を見て思った。

「いつも同じもんばっかり着てる・・・」

ショートパンツもTシャツも、着だすとそればっかり。

引き出しの中の、上の方だけを着ては洗い、洗っては着る。





大昔、日本のテレビ番組で、高級住宅地にある邸宅に突然お邪魔すると

目のさめるような青いワンピースを着て、イヤリングもネックレスもつけた奥様が出てきた。

「おほほ、突然だから散らかってますけど」

といって通されたお宅の中はピッカピカ。

突然訪問するという設定なだけで、事前に打ち合わせしてるに決まってるんだけど、

それを見た後、自分の普段着を見直して、多少はマシな格好をするようになった。

それが今は着たきりすずめ。

なんとかしよう、そのうちに、と思った途端、クロゼットの中のハンガーを掛ける棒が音をたてて落ちた。

私のクロゼットは作り付けのポールが上のほうに1本あり、

エクストラのポールを買ってきて、上のポールに引っ掛けて、一部を2段にして使っていた。

その2段目のポールが重さに耐えかねたか、落ちたのだ。

これは「今、やれ」ということに違いないので、クロゼットと引き出しの中を総ざらいして

友達にあげるもの、寄付するもの、捨てるものを大量に出した。

そして、近場に食事に行くときに着ていた服を、部屋着に格下げした。



日本にいたときの部屋着のレベルは、以下のとおりである。


レベル1=家の中で、一人でいるとき。宅配便の受け取りはできない。

レベル2=宅配便の受け取りができる。家の前を掃き掃除できるがスーパーには行けない。

レベル3=スーパーに行ける。


ハワイでは、日本でのレベル1でスーパーに行き、レベル2で近場で食事もできる。

だから近場で食事に行くのに着ていた服といっても、その程度だ。






しかし問題は、『平日の繋ぎの部屋着』である。

仕事から帰ってきて、すぐにシャワーを浴び、ショートパンツにTシャツ。

夕食を食べ、食事の片づけをしたら、パジャマに着替えてしまう。

パジャマまでの繋ぎが、私の平日の部屋着だ。

帰宅するのが5時半、食事をするのが6時から6時半、ベッドに入るのが7時半。

私が部屋着でいる時間は、たったの3~40分。

いっそのこと、シャワーのあとでパジャマになればいいんだけれど、

隣に住む夫の両親と顔を合わせる可能性があるので、意味ないよなァと思いながら

その3~40分のために部屋着を着るのだ。



夕食から寝るまでの時間がもっと長かったら、パジャマまでの繋ぎの部屋着も浮かばれよう。

しかし、夫がアイスクリームの仕事をしていたときに3時半起きだった習慣が残っていて、

今の仕事は5時に起きれば間に合うのに、いまだにベッドに入るのは7時半。

ベッドに入ってから最低1時間は読書をするので、すぐ寝るわけじゃないけれど、

テレビもつまらないし、なんとなくそういうことになっている。

映画を観たら、8時をすぎることもあるが、すごく遅い時間のような感じがしてしまう。

昔は、「金曜ロードショー」とか(もうないよね?)、9時から始まって11時に終わる番組をみていたし

「11PM」なんてのもみていたものなのに、変われば変わるものである。











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日焼けの認識

2018-06-19 20:02:22 | 日記
日焼けをしないように気をつけるのは、日本人女性だけかもしれないと思うことがある。

日本でも、30年以上前には小麦色の肌の夏目雅子がポスターになったこともあったが

肌を焼くと、シミになるばかりか、皺の元にもなることが知られるようになり、

日本は全国的に『美白』の時代に入り、いまも続いている。


ところが職場にくるお客たちも、同僚達も、まったく日に焼けることを気にしない。

昨日はビーチで昼寝しちゃったとか言って、茹でタコみたいな顔をしてくる。

地元生まれの同僚達は、少し浅黒い肌を持っていて、多少は紫外線に強いかもしれない。

でも白人の同僚たちは日本人よりも紫外線に弱いはずだ。

それなのに、日焼け止めも塗らずにガンガン焼く。

それもティーンエイジャーではない、40に手が届くような年齢で、だ。

昔、サーフィンが好きな友人は、シミがわからなくなるぐらい焼けばいい、と言っていたが

シミは、そんな生易しいものではない。

焼けた肌より、シミはもっと濃くなって、残る。

そういう人たちを、毎日私は見ている。

ただ、黒人の人たちは別だ。

あの人たちは、すでに紫外線に対する免疫が肌に備わっているにちがいない。



数年後、焼いた肌のツケは必ずくることを、情報が氾濫している現代で、知らないはずはないと思うのだけど

彼らの認識はどうなっているんだろう。

ドラッグストアには、SPF50は当たり前で、SPF100まで日焼け止めがずらりと並んでいるが

いったいあれは誰が使うというのだ。





ハワイの紫外線は、日本の何倍にもなる。

肌が老化するだけじゃなく、皮膚がんになる人もハワイは多い。

私は、海に行くときはもちろん、出かける時にはなるべく日焼け止めを塗る。

それでも、薄紙を重ねるようにして焼けていく。

日本から来た人が、「焼けてないですね」と言ってくれることがあるが

それは『ハワイに住んでいるわりには』という但し書きがあっての言葉だと思う。

部屋に飾ってある、結婚式の写真を見て、

「白かったねえ」

と夫がしみじみと言う。

私のニックネームの『シロ』は、名前にひっかけて、肌が白いシロでもあったのだ。

ええ、昔の話。


白人の女性が早く老けるのは、肌質の問題ではない。たぶん。

日本から来る旅行者が、手甲のような長い手袋をし、仮面のような帽子をかぶっているのを、

あるいは私が日焼け止めを塗っているのを見て、同僚達は不思議がるけれど

あとで笑うのはあたしらだからね、と思っている。












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