太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

結婚式

2019-04-08 18:25:43 | 日記
同僚の結婚式に行った。
土曜日の夕方、ラニカイにあるゴルフコースのクラブでパーティがある。
昼間は仕事だったので、終えてから家に帰り、シャワーを浴びて着替えた。
6時前にヴィッキが迎えにきて、二人ででかけた。

私達が行くと、ちょうど式を終えた人々がパーティ会場に集まっていて、
バフェの食事がてんでに始まっていた。
この場所は、職場のクリスマスパーティにも使った。
ゴルフコースというのは駐車場もたっぷりあるし、場所もわかりやすいし、
設備もいいのでパーティにはもってこいだと思う。

日本の結婚披露宴とは、趣が違う。
新郎が、新婦のスカートの中に手を入れて、ガーターを外す。
そのガーターは、独身男性が、ブーケのように争ってキャッチする。

新婦と父親が、ダンス。

会場の隅では、小道具を使ったおもしろ写真が自由に撮れる。
ハガキに印刷されて、持ってかえることができる。

あとはもうみんな、踊る、踊る、踊る、踊る。
私も踊りまくって、ヴィッキとおもしろ写真を撮りまくり。
新郎新婦や、両親の挨拶のほかは、自由に歩き回り、食事をし、
踊り、笑い、まったくかしこまった感じがない。

私の最初の結婚式は、浅間神社で白無垢だった。
巫女さんたちが舞を舞ってくれて、とてもおごそかだったのだけれど、
なにしろ真冬の神社の冷えることといったらなかった。

2回目の結婚式は、ハワイのマジックアイランドで挙げた。
インターネットで探した牧師さんに払うお金だけ(1万円ぐらいだった)で、
外なので式場なんてものもない。
私の家族は一人も来なかったので、夫の両親と叔父叔母、友人達の20人ほどで、
シーフードレストランでみんなでテーブルを囲んだ。
思えば2回とも、お色直しとか花束贈呈なんかがある、普通の結婚式ではなかったなあ。

この日結婚した二人は、すでに二人子供がいて、3人目がおなかの中にいる。
ハワイでは、子供はいるが結婚はしない人達が多い。
シングルペアレントのほうが、いろんな補助があるらしいのだ。
結婚しても苗字を変えない人もたくさんいるし、そうなると結婚する意味があまりないということなのだろうか。
うちだって子供もないし、結婚していてもいなくても同じようなものなのだろうが、
私はそれでも結婚が好きなんだと思う。
離婚したあと、すぐにでも結婚したいと思っている自分に、私自身が1番驚いた。
相手が悪かっただけで、まったく結婚に失望していない自分に。
結婚は、けして紙切れだけの契約じゃない、と私は思っている。
もっと深く、もっと強い覚悟。
二人のエネルギーと、二人の背後にあるエネルギーが
マーブルに混ざり合う、そういうもの。

どうして結婚しようと思ったのか、同僚に聞いたら
「うーん。結婚してみたくなっちゃったのよ。しなくてもいいけど、
結婚した自分も見てみたいなあって、うまくいえないけど」
嬉しそうに微笑む彼女は、とってもかわいかった。
結婚することに決めた同僚を心から祝福したい。




 

レイナの月

2019-04-05 07:36:50 | 絵とか、いろいろ
エンジェル ロミロミをやってくれる、レイナに、月の作品を頼まれていた。
3枚のキャンバスに描いた月の作品の写真を見たレイナが、欲しいと言ったのだ。
しかし、そのオリジナルは既に日本の友人が買ってくれて、手元になかった。
じゃ、そのうち創るよ、と言ったのが2年前。
忘れていたわけではない。
ずっと心のどこかにはあって、キャンバスもずっと前に用意してあったのだけれど、
忙しさを言い訳に手をつけずにいた。

不思議なのだが、
こういうものにもタイミングがあるようで、期が熟すとでもいおうか、
ようやく私は月に取り掛かり、仕上げた。

Raina’s Moon

月曜日、レイナのマッサージの予約が入っていたので、これを持って出かけた。
もちろんサプライズ。
レイナ自身、もう頼んだことなど覚えていなかったかもしれない。
レイナの驚きようといったらなかった。
「魂がふるえてる・・・・!!」
全身鳥肌をたてながら、レイナは涙を浮かべていた。
オリジナル作品は、どうしたって高価になるから、
夫と私ふたりぶんのマッサージの何回分かと交換しようと提案した。
「私、生涯タダでマッサージしたって払えやしないわよ」
いや、そんなに高くはないから・・・・
人間国宝じゃあるまいし。

オリジナルを手放すのは、勇気がいる。
それが特に気に入った作品であれば、なおさらだ。
だから、私が売るのは紙かキャンバスにプリントしたものが殆どで
手放したオリジナルは、ギャラリーで3個、
友人に売った、月のオリジナルが1個だけだ。
でも、こんなに喜んでもらえる人のところにいったほうが、作品はいいのだろうなと
家に溜めてある作品の山を見ながら思う。
私が死んでしまったあと、残った人をわずらわせてしまうのなら。
最近、そんなことを思うようになった。

この月の作品も、いくべきしてレイナの元にいったと思う。
絵には、そういうなにかがある。
昔、日本にいたときに、「月」をテーマにしたパステル画の個展をやったことがある。
30点のパステル画の、すべてに月が織り込まれている。
少し年配のご婦人が、ひとつの絵の前で立ち止まった。
それは、古いヨーロッパの石畳の道の両側に、家が立ち並んでおり、道が遠くに伸びている、その空にぼんやり月が浮かんでいる絵だ。
私が近づくと、その人は涙を流していた。

「私、なぜだろう、ここを知ってる。なぜか知らないけど、涙がでてくる」

そのご婦人は、その絵を買ってくださった。
私はどうしてその絵を描いたのか、わからない。
その町並みを知っているわけでもなく、そういう風景に思いいれもない。
だからきっと、それはそのご婦人のために私が描かされた、
その絵は、そのご婦人のところに行くべきして生まれたと思うのである。





14番目の月

2019-04-04 07:26:20 | 日記
ユーミンの古い歌に、「14番目の月」という歌がある。
満月になる前の月、つまり、恋も完全に成就してしまうその手前ぐらいが1番いい、というような内容だったと思う。
なんだって、そうなのだ。

旅行は、行く日を指折り数えているうちが1番楽しい。
出発の朝になれば、もう旅行は始まっていて、あとは砂時計の砂が落ちるがごとく、
楽しい時間は秒読みを始めてしまう。
どんなに旅先で楽しく過ごしていても、旅が終わる日のことを思ってブルーになる。

ただの休日だって、明日は休みだ、という前の日の夜が1番うれしい。
休日の朝になってしまえば、どんどん休日は目減りしてゆくだけ。

そして、私の場合は、本。
ここでは欲しい本を手に入れることができないので、本を買うときにはなるべく読みでのあるものを選ぶようになった。
内容はもちろんだが、厚ければ厚いほどうれしい。

先日、日本のアマゾンで頼み、実家に送ってもらったものを、姉に頼んでハワイに送ってもらった本がある。

佐藤愛子の「血脈」。
以前から、読みたいと思っていた本だ。
この厚さで、しかも上中下と3冊もあり、私はこれを前にして小躍りした。
私はこれを、寝る前に読む本に認定し(昼間、職場で読むのと、つねに2冊の本を平行して読む)さっそく読み始めた。

ところが、あまりのおもしろさに、ぐいぐい読んでしまう。
少しずつ、長く楽しもうと思うのに、なかなか読むのをやめられない。
あまり読んではいけない、あとがなくなる、と思うのに、
寝不足になるほどに読んでしまう。
当初の予定では、3ヶ月ぐらいかけるはずが、1ヶ月ももたずに終わりそうだ。

未読の本が積んであるのを横目に、本を読む。
その状態が1番よいのである。




年号

2019-04-03 19:05:12 | 日記
平成のあとは、令和だそうだ。
2年前に、やっと東京オリンピック開催のことを知った私としては、奇跡的に速い情報だ。
姉や友人に、年号が決まったら知らせてくれるように念押ししていたのだ。
 
雅子さまは、私と同じ歳。
皇太子さまは、姉と同じ。
天皇陛下も、皇后陛下も大好きだし(こういう言い方していいかわからんけども)、皇太子ご夫妻も好きだ。
親が心配するほどに、なかなか結婚しなかった姉は、
皇太子さまがご結婚したら、私もできるような気がする、などと言っていた。
親戚の子じゃないんだから・・・
まあ、そんなふうに勝手に身近に感じていたということだ。
 
昭和から平成になるとき、私はすでに社会人になっていて、
昭和最後の日、私が働いていた、父の会社のオフィスに友人3人がやってきて、
「さよなら昭和!」
と言って乾杯した。
はしゃいだ勢いで、車に乗って静岡駅まで乗りつけ、切符の券売機で入場券を1枚ずつ買った。
「昭和最後の入場券だよぅー」
平成最後の日に、こんな子供じみたことをする大人がいるだろうか。
この4人は、山梨県にぶどう狩りに行き、ぶどうを刈る前にワイナリーに寄って、
そこでしこたま全員でワインの試飲をしてしまい、誰も運転できなくなってしまったというアホ仲間だから、いたしかたない。
 
「令和だって」
「令和に決まったよ」
姉や友人から送られてくるメール。
夫にそれを伝えると、令和の意味を聞かれた。
友人の受け売りで、『厳しい冬のあとの希望に満ちた季節』と言っておいた。
あっているのかどうか。
すると、
「平成の意味は?」とくる。
「うーん、平和ってこと」
「じゃあ、昭和は?」
「それも平和」
「・・・適当に答えてるでしょ」
知るか!国家にとって平和は1番大事なことだから、それでいいのだ。

「私たちは令和で人生を終えるんだねえ」
 
友人が言った一言に、しみじみとなった。
昭和に生まれ、年齢だけ大人になって、平成で大波小波の人生を生き、令和で閉じる。
気だけ若いが、思えばすっかり人生を折り返していたのだ。
 
 
平成も、最初はとってつけたような感じがしたものだ。
だから令和もそのうちしっくりくるようになるだろう。
日本の外にいる私にとっては、令和という年号は何年たっても馴染みのないものになるだろうが、
レイワという言葉の響きは美しくて好きだ。
 
 
 
 
 
 
 

ピジン

2019-04-03 13:46:20 | 日記
ハワイに来て間もない頃、ビーチに行ったら、近くにいた男性二人が話をしているのが聞こえてきた。
聞き慣れない言葉だったので、夫に聞いた。
「何語?」
すると夫は言った。
「英語」

またあるとき、レストランで、頼んだデザートがなかなか出てこなかったので催促すると、若いウェイターは言った。
「Oh,you like'm?」
ユーライカムって・・・?

これがピジンイングリッシュ。
英語には違いないが、文法もめちゃくちゃだったり、発音もイントネーションも違うし、単語も別の意味で使われることもある。
もともとは、違う言語をもつ人達が開拓者として集まってきた時代に、
互いにコミュニケーションを図るうちに、自然に生まれてきた独自の言葉がピジンだ。
ハワイには、大人になってもピジンでしか話さない人がけっこういて、ピジンイングリッシュでしゃべりまくられると、ほとんど聞き取れない。
普通の英語だってままならぬ私が、もうひとつ言語を学ばねばならないのかと暗澹たる気持ちになった。
普通の英語だけで手一杯、ピジンなんかなくなればいいのに、と思う。

先日、シャワーのあとで、夫のユーカリのスプレーを借りようと思い、夫に言ったら、
「モヤシ?」
と言う。
モヤシ、だなんて言ってない。
「自分が何て言ったのか、よーく思い出してごらんよ」
いや、私は、だから、スプレーを足に使わせてもらおうと思って

「I do  シュッシュ on my アシ」

と言った・・・・
スプレーは、夫にはシュッシュで通じるが、なんとひどい英語でも日本語でもないものをしゃべっているのだろうか。
オン マイ アシ のところが、モヤシに聞こえたのだろう。
私は、無意識のうちに、独自の言語を創り出していた。
これは、ピジンではあるまいか?
恐ろしいのは、自分では英語を話しているつもりでいることである。
夫相手なら、まだいい。
外で、うっかりこれが出ないとも限らない。
いや、もしかしたら、すでにどこかで出ているかもしれない。
くわばらくわばら~