太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

空飛ぶ猫

2019-04-13 07:52:45 | 日記
昨夜、私が歯を磨いていたら、ベッドで本を読んでいた夫が叫んだ。

「猫が庭に落ちた!猫が落ちた!!」


右側の窓の網戸の外側にゲッコー(やもり)がいるのを捕まえようとした猫が、
網戸に体当たりし、そのまま網戸ごと落ちた。
以前にも同じことがあったが、そのときは一階の窓だった。
今度は2階。窓の下を見ても、暗闇で何も見えない。
私と夫は、先を争うようにして階段をかけ降り、懐中電灯を手に庭に出た。
「カミサマ、チーズケーキを助けて!!」
声に出して祈る。
芝生の上には、はずれた網戸が落ちているだけで、猫はどこにもいない。
いないということは、死んではないということだ。
名前を呼んでも、いっこうに見つからない。
ジャングルになっているほうまで灯りを照らしてみたが、いない。
もう1匹の猫が、不安そうに窓からこちらを見ている。
玄関のほうを探していた夫が、
「声がする」
と言い、開けたままになっていたガレージの入り口にいた猫を見つけた。
見たところ、怪我もなさそうだけれど、ショックでおろおろしていた。





2階の、左側の窓から落下した。
勢いがついていなければ、真下のベンチに当たっていたかも。
網戸に体当たりするときに、すでにかなりハイジャンプしていたらしいので
大きく弧を描いて芝生に着地したのだろう。
下がコンクリートじゃなくてよかった。

夫の叔母の家の猫が子猫のとき、15mぐらいあるテラスから落ちて、丸一日行方不明になったことがあった。
その猫も無事で、たぶんショックでうろうろとして、1日たって戻ってきたのだろう。

それにしても、猫の身体能力ってすごいと思う。

空を飛んだヒト




5年もの・・・・

2019-04-13 02:16:10 | 日記
(注)今日の記事は、潔癖症気味の方は読まないほうがいいです



日本で働いていた職場に、潔癖症の先輩事務員がいた。
始業ぎりぎりに出社し、すでに淹れてあったお茶を、淹れた人(私)がいる目の前で流しに捨てて、自分で淹れなおす。
前日に自分が湯呑みを置いた場所と、少し位置がずれていたといって、
鍋で湯呑みを煮沸する。
床に落ちたゴミは、ティッシュを4回ぐらい引き出して、それを乗せて拾う。
挙げだしたらキリがないが、あんなにいろんなものが汚いと思えてしまうのは
さぞや生きづらかろう。

その人に比べたら、私はそうとうにユルイ。
賞味期限にもおおらかだし、落ちたものを食べることもある。
目くじらたてて汚い、と思うものはそれほどない。
そんな私でも、「うわー・・」と思うことはある。

最初に勤めた職場に、Yさんという独身男性がいた。
彼は著名な作家の甥で、頭がよくてひょうきんで、人柄もいい。
あるとき、仕事のあとでみんなで飲みに行こうということになり、
どういう理由か忘れたが、私を含めた数人がYさんの住むアパートに寄った。
同期のAが、トイレを借りようとして間違ってお風呂場を開けてしまい、
アワアワしながら戻ってきた。
「早いね、トイレ行ったの?」
と聞くと、我慢するという。
「行っといたほうがいいよ?」
するとAは、声を潜めてささやいた。
「だって、藻が」
「も?」
「風呂場に、藻が」
そこにいた人たちにはなんのことやら、わからない。
「もが?」

「風呂場に藻が密生してるんだよッ!!」

声を押し殺したまま、Aは一気に言った。
「藻って、あの金魚鉢にできる、緑のやつかよ」
「ほかにどんな藻があンだよ!」
勇気のあるBが風呂場に見に行って、目を見開いて戻ってきた。
「浴槽の中が、藻の王国・・」
もちろん私は見なかった。
Yさんは、シャワーしか使わないのだろう。
それにしたって、隣の浴槽がそんなになっていたら気になると思うんだけど。

前の夫が大学生だった時、東京の下宿で鍋でインスタントラーメンを作って、
食べかけのまま流しに置いて、夏休みの帰省をしてしまったそうだ。
うだるような夏が過ぎ、下宿に戻って彼が見たものは・・・!!
それは想像するだに恐ろしい。

今の夫が大学生だった時、最初の1年は寮にいた。
ルームメイトはゲームオタクで、朝から晩までニンテンドーを握り締め、
授業に出かけるそぶりもない。
ついに5ヵ月後、大学から「PLEASE LEAVE(どうか出ていってください)」という内容の手紙が来て退学になった。
その5ヶ月の間、彼は1度もシーツを洗わず、グレイの人間の形をした跡が
シーツにくっきり残っていたという。

どれも、うわー・・と思うが、それを軽く上回るものがあった。

それは私の同僚、Kだ。
Kは50歳の独身で、さきごろ母親を亡くして一人で暮らしている。
そのKが、シーツを5年洗っていないのだという。

タイプミスではない。
5年。5ヶ月ではなく、5年。

その事実もさることながら、それを平気で人に言う、その神経。
Kは肌がとても荒れているのだが、それはきっとそのシーツのせいに違いない。
5年!!
その日は、他の同僚と顔をあわすたびに「5年!!」と言い合って目をまるくしていた。
夫のルームメイトは5ヶ月で人型ができた。
5年洗わないでいると、どうなる。
そこにはすでに別の生命体がいるに決まっている。
なにかのウィルスが発生したら、あたしらはみんな死んでもKは生き残る。
独自の免疫システムを構築しているから。





カラオケに行きたい

2019-04-11 19:15:18 | 日記
仕事を終えて、海を左手に見ながら家路につく。
海面が、きらきらと太陽を反射して、その上をボートがすべってゆく。
生きた鶏を抱えた少年が二人、笑顔で歩いてくる。
野生の鶏はそこいらじゅうにいて、さしずめ夕飯のおかずにするんだろうか。
手作りのバター餅や、干した魚なんかを売る車が、路肩の広い芝生の上に日がな一日止まっている。
橋の上から、釣り糸を垂れる子供がいる。
芝生の上のベンチに座って、海を眺めているおじいさんがいる。



この木なんの木、知らない木。
この幹を見よ。
まるで誰かが意図的に編んだようじゃないか。
どうしたらこんなふうに育つのだろう。
ここがこう出て、こっちはこう出て・・という仕組みが、この木のいったいどこに潜んでいるんだ?


我が家が近づいてくる。
気のきいた店ひとつない。
ガソリンスタンドがひとつ、地元資本のスーパーがひとつ、
薄暗い店内に雑多なものが詰め込まれている、よろづ屋がひとつ。

家に帰り、食事をして、星を眺めながら寝て、暗いうちに起きて、
賑やかにさえずりだすたくさんの鳥の声とともに太陽が昇ってくる。
こんな私の日常は、悪くない。

けれども、友人が誕生日に仲間達とカラオケに行って、昭和の歌を歌いまくったという話を聞いたら、羨ましくてならない。
友人は日本の会社にいるので、日本人の友達がたくさんいる。
私の前の職場には数人日本人がいたけれど、仕事を離れて会うほどには親しくならない。
カラオケに1度だけ一緒に行った、昔の同僚がいるが、体調を崩してから家にひきこもっている。

前の職場の同僚たちと何度かカラオケに行ったことがある。
夫とも行ったことがある。
でも、私が歌う歌をまったく知らない人たちと一緒に行っても、おもしろくもなんともない。
彼らが歌う歌だって、私にはさっぱりわからん。
カラオケの楽しさは、歌を共有できることにある、と私は思っている。
ユーミンを歌えば、そこにいるみんなの脳裏にそれぞれの思い出が広がり、
竹内まりやを歌えば、鼻の奥がツンとする。
思わず一緒に口ずさみ、踊りたくなる。
私はそういうカラオケに行きたいのだ。

私の日常には、日本人がいない。
家族も、職場でも、アート仲間の中でも、日本人は私一人だ。

 
アメリカ人とイギリス人の友達にはなんでも話せるけれど、
日本語のように、どんな細かいニュアンスも完璧に伝えられるわけではないし、
日本人同士だからこそわかりあえる、ものごとの背景や考え方は、説明できるものでもない。
カラオケに行ったという、その友人は、羨ましがる私を見て気の毒に思うのか、今度ふたりで行こうかと言ってくれた。
もちろん私が住む地域にカラオケなんかないから、はるばる都会まで行かねばならない。

私は私の日常が気に入っているけれども、
ときどきこんなふうに日本人同士のあれやこれやが懐かしいものに思えてならないのである。




8年

2019-04-10 18:59:43 | 日記
8年前の今日、不安50%・希望25%・勢い25%を抱えてホノルル空港に降り立った。
そのちょうど1ヶ月前に、東北の地震があって、新幹線のダイヤはまだ乱れ気味だったし、成田空港では震度4の揺れがあった。

ハワイに住めていいねー、と人はみな言ったけれど、
40歳になっていた夫の職さがしや、私の言葉の壁や、
私はここでこれからどんなふうに人生を築いてゆくのかという漠然とした不安で、胸の中の半分は埋まっていた。
不安は見事に的中。
夫が最初に見つけた仕事は、初日から彼をブルーにし、
だんだん元気がなくなり、持病のウツが出てきて、とうとう辞めた。
次の仕事はよかったけれどフルタイムのポジションがなく、
その次の仕事は破格に待遇がよくて、やりがいもある仕事だったけれど、
2年ほどするうちに中間管理職のストレスに心が蝕まれて、体調を崩して辞めた。
しばらくして、アイスクリームファクトリーでアイスクリームを作るようになり、
1年半後、レンタカーの会社に入り、カスタマーサービスがゼロの会社の方針についてゆけずに、2ヶ月で辞めた。
そしてこの1年あまり、プラントナーサリーで植物を育てる仕事についている。

私はといえば、いつかここで私個人が主軸の社会を作りたいと思っていた。
家にいるだけだと夫の友人とか、家族の知り合いばかりで、私にできた最初の友達は、郵便配達のスタンだった。
けれども、仕事をしようにも、異国で私にできることなどなにもないように思えて、そのことを思うと落ち込んだ。
ちゃんと英語を勉強してからにしようと思い、
英語が母国語でない人のためのスクールを探したこともあったが、結局それは行動を起こしたくない私の言い訳でしかなかった。
ろくに英語も話せないのにガイジンと結婚してしまった私が、
英語を話せるようになったら仕事を探そう、だなんてありえない。
私はいつだって見切り発車しかできず、
とりあえず発車したあと、開き直りと勢いだけで乗り切ってきたのだから。
ひょんな思い付きから本屋に就職して、4年後、転職して今に至る。

コラージュに出会うまでは、家で毎日水彩画やパステルを描いて、
一体こんなことをしていて、どうなってゆくんだろうという思いが、常にあった。
そんなとき、友人が、
「好きなことを続けていたら、きっと自然に道がついてゆくよ」
と言ってくれた。
友人の言ったとおり、スーザンに出会い、コラージュを始めて、なにを目指すでもなく楽しいだけで続けていたら、いつのまにかプロとして売るようになっていた。

今日で8年だね、という話を夫としていたら、夫が言った。

「早いように思うけど、やっぱり早くもないね」

私達がハワイに来る時に、私の両親も一緒に連れてきて、10日ほど観光をしたのだが、あのときはまだ両親とも元気一杯だった。
そして8年の間にあった、心穏やかにいられないようなあれやこれやを思うとき、
たかが8年といえども、来た道の長さを思わずにいられない。








しょっぱい現実

2019-04-10 02:52:56 | 日記
昨日、同僚の結婚式に行った記事を書いた。
楽しかったなァと思いつつ、ヴィッキと撮ったおもしろ写真を眺めていて、
ふと、リーディンググラスをかけて改めて見た。

「!!!」

そこには驚愕の現実が刻まれていた。


脚かと見まごう、二の腕。
蛇腹かなにか?、と二度見する首のシワ。

四十代半ばぐらいまでは、それでもまだ二の腕はこれほどには育っていなかった。
フレンチスリーブの袖から出る腕は、案外まっすぐだった。
ハワイに来て、どこにいっても「細い、細い」と言われるようになり、
慢心しているうちに50の声を聞き、さらにそれから5年が過ぎ、
いつのまにか私の二の腕は、別の生き物のように育った。

まわりはボリューミィな体型の人ばかり。
彼女達の二の腕は、それこそ太腿のようで、
私は自分だけはまだ大丈夫だと思っていた。
昔買ったフレンチスリーブの袖口が窮屈になったのも、服が縮んだのだと信じて疑わなかった能天気さ加減。

 
だからといって、二の腕が痩せる運動をしよう、などとは思っていない。
きっと日本に住んでいたら、それをやるのだろうが、
ハワイにいる限り、写真を見たときだけ凹むのであって、あとは忘れてしまう。
痩せていること、ちゃんとしていることに重きをおく環境にいるのと、
体型かまわず着たいものを身につけてハッピーでいられる環境にいる違いは大きい。

写真は、あんまりだ。
こうであるはずの自分と、違う自分であることが年々増えてゆく。
しょっぱい現実は、いつも私を傷つけるのである。