本日のメインである四日市に鎮座する諏訪神社に到着。
思ってたより都会にある神社です。
車は商店街手前の左手から境内に入り、
社務所前に数台停めれます。
初めての場合ここから入っていいのか迷うけど、
大丈夫です。
所在地:三重県四日市市諏訪栄町22-38
御祭神:建御名方神、八重事代主命
創建:建仁2年(1202)
社格:県社
【由緒】
鎌倉時代初期の建仁2年(1202)に、
信州の諏訪大社の御分霊をこの地に勧請し創祀されたと伝わっております。
建御名方命と八重事代主命を主祭神とし、
四日市・浜田の総産土神として崇敬を集め、地域の歴史とともに歩んでまいりました。
四日市が史料に登場するのは文明5年(1473)の伊勢神宮外宮庁宣に、
四ヶ市庭浦の記述が見えるのが四日市の初見とされています。
このような文書からこの地域が開かれるのは1400年代以後と考えられています。
その後は伊勢平野の肥沃な土地と海陸交通の利便に恵まれて、交易が盛んになり、
戦国の諸将にとって重要な地と考えられるようになりました。
江戸時代になると四日市は東海道の宿駅に定められ、
浜田と四日市は一体の町場に発展します。
また、本能寺の変の顛末から徳川家康ゆかりの地と考えられた為か天領となり、
享保9年(1724)から享和元年(1801)までは、
大和郡山藩領となるものの、その後天領に復しました。
当社は東海道に面していたことから、道中の旅人も多く参詣し、
伊勢参宮名所図会、東海道名所図会にも街道の名所として紹介されるようになります。
明治6年(1873)3月には新しい社格制度によって県社に列せられ、
正式に現在の名称である諏訪神社となりました。
【鳥居】
変わった形の石鳥居です。
これは非常に珍しいですね。
こちらは青銅製の正鳥居。
【御神馬】
【御神木】
【境内】
結構広い境内です。
【拝殿】
【鳥居】
【山津見神社】
【政成稲荷大神】
【伊勢神宮遥拝所】
【明治神宮遥拝所】
【天神社】
【誓之御柱】
こちらは神社の隣にある諏訪公園にあるものです。
【御朱印】
これにて本日の参拝終了。
【ひつまぶし】
四日市にある「うな勢」さんで大好物のひつまぶし。
大満足という名前の通りご飯の量が多くまさに大満足。
3300円とリーズナブルに感じるボリュームと味でしたよ。
思ってたより都会にある神社です。
車は商店街手前の左手から境内に入り、
社務所前に数台停めれます。
初めての場合ここから入っていいのか迷うけど、
大丈夫です。
所在地:三重県四日市市諏訪栄町22-38
御祭神:建御名方神、八重事代主命
創建:建仁2年(1202)
社格:県社
【由緒】
鎌倉時代初期の建仁2年(1202)に、
信州の諏訪大社の御分霊をこの地に勧請し創祀されたと伝わっております。
建御名方命と八重事代主命を主祭神とし、
四日市・浜田の総産土神として崇敬を集め、地域の歴史とともに歩んでまいりました。
四日市が史料に登場するのは文明5年(1473)の伊勢神宮外宮庁宣に、
四ヶ市庭浦の記述が見えるのが四日市の初見とされています。
このような文書からこの地域が開かれるのは1400年代以後と考えられています。
その後は伊勢平野の肥沃な土地と海陸交通の利便に恵まれて、交易が盛んになり、
戦国の諸将にとって重要な地と考えられるようになりました。
江戸時代になると四日市は東海道の宿駅に定められ、
浜田と四日市は一体の町場に発展します。
また、本能寺の変の顛末から徳川家康ゆかりの地と考えられた為か天領となり、
享保9年(1724)から享和元年(1801)までは、
大和郡山藩領となるものの、その後天領に復しました。
当社は東海道に面していたことから、道中の旅人も多く参詣し、
伊勢参宮名所図会、東海道名所図会にも街道の名所として紹介されるようになります。
明治6年(1873)3月には新しい社格制度によって県社に列せられ、
正式に現在の名称である諏訪神社となりました。
【鳥居】
変わった形の石鳥居です。
これは非常に珍しいですね。
こちらは青銅製の正鳥居。
【御神馬】
【御神木】
【境内】
結構広い境内です。
【拝殿】
【鳥居】
【山津見神社】
【政成稲荷大神】
【伊勢神宮遥拝所】
【明治神宮遥拝所】
【天神社】
【誓之御柱】
こちらは神社の隣にある諏訪公園にあるものです。
【御朱印】
これにて本日の参拝終了。
【ひつまぶし】
四日市にある「うな勢」さんで大好物のひつまぶし。
大満足という名前の通りご飯の量が多くまさに大満足。
3300円とリーズナブルに感じるボリュームと味でしたよ。