豊光寺の斜め前にあるのが同じく塔頭の大光明寺。
こちらは塔頭では珍しく京都十三仏霊場の札所で、
とても落ち着く庭園があります。
約5年前に参拝したのですが、
その時はとても落ち着いた庭園だったことを覚えている。
京都には綺麗な庭園が多いですが、
落ち着くという観点からすると個人的に一番だと思います。
<2013年2月9日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/958531a120f4c363c18532f0e0fa6288
所在地:京都府京都市上京区今出川通烏丸東入相国寺門前町701
宗派:臨済宗相国寺派
御本尊:普賢菩薩
創建:暦応2年(1339)
開基:広義門院西園寺寧子
開山:夢窓疎石
札所:京都十三仏霊場
【縁起】
大光明寺は相国寺が建立される以前、暦応2年(1339)に、
後伏見天皇の皇后広義門院西園寺寧子が天皇の菩提を弔う為、
伏見離宮の傍らに一寺を建立したのが始まりであり、
皇后の法号大光明院を寺号としました。
皇后の孫にあたる伏見宮祖栄仁親王が薨じ、寺内に葬り安置されて以来、
伏見宮家歴代の御位牌をまつる菩提寺となっていました。
その後一時疲弊し、慶長年間に火災にあうも、
元和元年(1615)に徳川家康により相国寺塔頭として再興されました。
明治36年(1903)塔頭の心華院と当時天明の大火で焼失していた大光明寺、
及び既に廃絶していた常徳院の3ヶ寺が合併され、
心華院の寺域伽藍を改めて、寺号も大光明寺として再興されます。
足利9代将軍義尚(常徳院殿贈大相国一品悦山道治大居士)の塔所でもあります。
【山門】

相変わらず拝観謝絶感をバリバリに感じますが、
横の小さい通用門から入れます。
知らないと入るのは勇気が要りますね。
【前庭】


臨済宗らしい凛とした雰囲気です。
とても良い。(^^

振り返るとこんな感じ。
【玄関】

【本堂】

【扁額】

【普賢菩薩】


御本尊にお参り。
襖絵も5年前と変わっていません。(^^
【峨眉山の庭】




絶賛貸切り。(^^
ここのお庭は本当に落ち着く。
観光客が多過ぎて全く落ち着かない龍安寺の石庭に行くぐらいなら、
断然こちらの峨眉山の庭に訪れることをお勧めします。(^^
【庫裏】

【御朱印】
こちらは塔頭では珍しく京都十三仏霊場の札所で、
とても落ち着く庭園があります。
約5年前に参拝したのですが、
その時はとても落ち着いた庭園だったことを覚えている。
京都には綺麗な庭園が多いですが、
落ち着くという観点からすると個人的に一番だと思います。
<2013年2月9日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/958531a120f4c363c18532f0e0fa6288
所在地:京都府京都市上京区今出川通烏丸東入相国寺門前町701
宗派:臨済宗相国寺派
御本尊:普賢菩薩
創建:暦応2年(1339)
開基:広義門院西園寺寧子
開山:夢窓疎石
札所:京都十三仏霊場
【縁起】
大光明寺は相国寺が建立される以前、暦応2年(1339)に、
後伏見天皇の皇后広義門院西園寺寧子が天皇の菩提を弔う為、
伏見離宮の傍らに一寺を建立したのが始まりであり、
皇后の法号大光明院を寺号としました。
皇后の孫にあたる伏見宮祖栄仁親王が薨じ、寺内に葬り安置されて以来、
伏見宮家歴代の御位牌をまつる菩提寺となっていました。
その後一時疲弊し、慶長年間に火災にあうも、
元和元年(1615)に徳川家康により相国寺塔頭として再興されました。
明治36年(1903)塔頭の心華院と当時天明の大火で焼失していた大光明寺、
及び既に廃絶していた常徳院の3ヶ寺が合併され、
心華院の寺域伽藍を改めて、寺号も大光明寺として再興されます。
足利9代将軍義尚(常徳院殿贈大相国一品悦山道治大居士)の塔所でもあります。
【山門】

相変わらず拝観謝絶感をバリバリに感じますが、
横の小さい通用門から入れます。
知らないと入るのは勇気が要りますね。
【前庭】


臨済宗らしい凛とした雰囲気です。
とても良い。(^^

振り返るとこんな感じ。
【玄関】

【本堂】

【扁額】

【普賢菩薩】


御本尊にお参り。
襖絵も5年前と変わっていません。(^^
【峨眉山の庭】




絶賛貸切り。(^^
ここのお庭は本当に落ち着く。
観光客が多過ぎて全く落ち着かない龍安寺の石庭に行くぐらいなら、
断然こちらの峨眉山の庭に訪れることをお勧めします。(^^
【庫裏】

【御朱印】
