8月16日付の新聞の小さな囲みに、詩人の和合亮一さんが、イギリス北部のエディンバラで朗読劇に参加したと、載っていました。
おやおや、イギリスまでつぶやき^^に行ったんですねー。
和合さんは今年44歳、福島県在住の詩人で、高校の現役の国語教師でもあり、3.11の時は小学校卒業目前だった息子さんと奥さんとで暮らしていました。
地震直後の3月16日からツイッターで思いのたけを発信し続けたことはあまりにも有名です。
最初の詩集を出版してから20年間で、世に送り出した詩集は6冊。
ところが、東日本大震災後の1年間で、出版した書籍は7冊にもなります。
詩集だけではなく、インタビュー集や写真と組み合わせたものなど、形態は多岐にわたります。
その7冊の中で、私が読んだのは2冊。
初期の詩集3部作の中の1冊「詩ノ黙礼」。
それぞれにタイトルはなく、4月から5月にかけてツイッター上に書き込まれたものが羅列されています。
もう1冊は「ふたたびの春に―震災ノート20110311-20120311」。
手帳にメモしていた断片的な言葉をまとめたそうです。
タイトルをつけて、詩として完成させたもの、散文のようなものが載っていました。
震源地から、遠く離れた地に住む者としては、肌に当たる空気・風の感覚や、ただよってくる臭いや、聞こえてくる様々なな音がない分、どうしても傍観者として読みがちで、被災地の一つの情報として、受け取ってしまった感があります。
でも、茫然と座り込むしかなかった被災者の方々のケータイに飛び込んでくる、のどからしぼり出すような言葉は、辛く苦しいのは自分だけじゃないのだと、気持ちを奮い立たせただろうと、想像ができます。
だから、和合さんの一連の行動に対して、
「・・・自分の野心のために震災を利用したとしか思えない。・・・もてはやしたメディアも悪い。・・・」
などと言い放った同業者(詩人)さんには、
「ちょっとそこまで言ったら酷じゃないかなー」と思うのです。