今年の京都の桜もほぼ終わりですので、不評ではありますが再び天皇陵巡り再開です。
第82代後鳥羽天皇(1180~1239)(在位1183~1198)の第1皇子で、母は内大臣源通親(ミチチカ)の養女在子(ザイシ)・承明門院(ショウメイモンイン)の為仁親王(タメヒトシンノウ)は、わずか4歳にして第83代土御門天皇(ツチミカド)(1195~1231)(在位1198~1210)となりました。
阪急長岡天神駅から色鮮やかな長岡京はっぴいバスに乗って、新興住宅街をグルグル回って、高台西で降りたらすぐに、今回の御陵は有ります。
即位直後の1199年源頼朝が亡くなり、息子頼家がその後を継ぎましたが、1204年には謀殺され、鎌倉幕府3代目将軍実朝も1219年に暗殺されるなど、出来たての武家社会も安定しなかった時代です。
そんな中で、父後鳥羽上皇の院政下での土御門天皇ですが、生来温厚で世事には疎かったことから、父後鳥羽上皇はこれでは鎌倉幕府と渡り合えないと、16歳の土御門天皇に、異母弟の順徳天皇に譲位するように迫りました。
この時も、内心は不満ではありましたが、そぶりも見せずに父の意に従ったそうです。
その後起こった承久の乱(1221年)では、土御門上皇は討幕計画に関与していなかったので、乱後に鎌倉幕府が後鳥羽・順徳両上皇を島流しにしたのに対して、特別に罪は問いませんでした。
御陵を巡ったのは昨年の秋、直角に曲がる参道も綺麗でした
しかしながら、この辺が私がなんとなく土御門天皇に心を寄せる理由でもあるのですが、咎められなかったことを潔しとせず、自らの意思で鎌倉幕府に申し出て、土佐へ続いて阿波に下り、出家した後に徳島で亡くなっています。
土御門天皇火葬塚(徳島県鳴門市大麻町)は、写真のように堀もある立派なものです。
この火葬塚の隣にある、広々とした参道の有る阿波神社の祭神は、土御門天皇です。
鳴門市に火葬塚や神社が有るので、晩年はこの辺に住んでいたのでしょうね。
か弱く真面目そうに見える土御門ですが、そうはいっても15人ほどの妃に20人以上の子をもうけていますし、死後20年経ってその息子の一人が天皇になったので(第88代後嵯峨天皇)、土御門の血は現在の天皇に繋がっています。
そんなわけででもないですが、金原陵(カネガハラノミササギ)(京都府長岡京市金ヶ原)は、京都西南の山すそに、綺麗に存在していました。
返事
花水木さん:私の人生と同じで、
競馬の負けは、これぐらい獲り返しても、
への足しにもなりません。
宝くじは選べませんが、競馬などの賭け事は、
考えて考えて、選んで選んで、上手にはずれ馬券を買うという、
面白さがありますので、ぜひやってみて下さい。
toitennさん:散ったらすぐに次の準備をする桜に負けないように、
私も、獲れなくてもすぐに、
次のレースを買う準備をしてます。
かなり違いがありますね。
宝くじを買う私は他力本願。
端からヘタレの生き方です。
馬券組は、何かあれば自己責任、宝くじ組は
人のせい・・・。
ダメですね。