昨年春の旅行で、海沿いの喫茶店で休憩した時に食べた、ほぼアイスクリームだけのパフェです。
ケーキも食べたのではなく、ケーキは家内の分です。
と言うことで、今回は残念ながら月輪陵(ツキノワノミササギ)ですよ。
関白一条兼香(カネカ)(1693~1751)の娘一条富子(イチジョウトミコ)(1743~1796)は、1755年に入内し、第116代桃園天皇(1741~1762)(在位1747~1762)の女御となって、二人の皇子を産んでいます。
写真は何回も出てきてる月輪陵の門です。
その門のアップです。
夫である桃園天皇が22歳の若さで亡くなった時、二人の間の第1皇子で次期天皇になるべき英仁親王(ヒデヒト)はまだ幼過ぎたので、皇位は夫の姉、すなわち富子にとっては義姉智子内親王(トシコ)が継ぎました。
この第117代後桜町天皇(1740~1813)(在位1762~1770)の中継ぎ後、富子の実子の英仁親王が第118代後桃園天皇(1758~1779)(在位1771~1779)となったので、富子は皇太后に成り、恭礼門院(キョウライモンイン)の院号も授かっています。
皇位に就いた息子後桃園天皇ですが、病弱で夫と同じく22歳で亡くなったので、唯一の孫である欣子内親王(ヨシコ)(1779~1846)を富子自身が育て、第119代光格天皇に入内したのを見届けて亡くなり、月輪陵に葬られました。
その制札21番目に 桃園天皇女御尊称皇太后富子月輪陵 とありました。
そのグダグダ言ってる時に、絵を思い浮かべるのを怠らないのがキモです。
ユーチューブにありますから是非見て予習して下さい。
私は心配してた実地も受かって一安心でした。
節分に恵方巻と焼いた鰯と我が家も同じメニューでした。
昔は二十歳位で亡くなる方多いですが、死因は何でしょう?気になります。
ミントとクッキー?がついている?だけ?
受験の日が予約出来たら、勉強します。
ありがとうございました。
鰯と小さめの恵方巻だけで、充分腹一杯になりましたよ。
この二人は血が濃すぎたのか、感染症か、ぐらいですかね、しらんけど。
科目は、歴史←であります!
本文が、わかるわけないじゃないですか!笑
数学も理科も家庭科も体育も苦手なのに、社会は少し好きです少女と思ってました。