29日の日曜日、父の13回忌の法事を、父の妹、つまり私の叔母の嫁ぎ先の浄土真宗の寺で、父の13回忌の法要をしてもらってきました。
うちは、母が多発性骨髄腫で昭和天皇の数日前に亡くなり、父はその後一人暮らしでずっと絵を描き続けていましたが95年に父がメラノーマに罹り、入退院を繰り返して97年3月27日に亡くなりました。私は母のときも父のときもがん闘病で退職して実家に看病のために住み込みましたが、父の死後は、40歳過ぎて自動車免許を取って実家の整理をして売却し、父や母のお骨も、先日郷里の叔母に確認してやっと理解できたのですが、東本願寺や名古屋別院にお骨を収める手続きをしていたそうでした。当時は、父の死のショックで何をしていたのかよくわかっていなかったのです。
姉も私も結婚して親の姓をついでいないし、墓を作るべきか悩んで叔母に相談し、それはいいからと言われました。叔母は寺の本堂に父や母の分骨したものを祭って拝んでくれているそうです。ありがたいことです。
もともと、浄土真宗では、一族のお墓にみなが入るという形で、個別に作ることはないとのことでした。けっこう、合理的にできているんですね。
ただ、私は嫁いでしまって、義母はプロテスタント、夫も私も無宗教で子供もいないから、この先、どうなるのか・・。私だけでも散骨してもいいかと思っています。あまり、死後も夫やその親の代の墓に同居したくないというのが本音です。
母はともかく、父はもうこの13回忌で最期にしてもらおうかという心積もりで、姉と私とでひっそり田舎にいくつもりでしたが、母の弟である叔父が一緒に、さらに姉の娘二人も加わって法要は5人が集まりました。叔父が執り行ってくれましたが、従兄弟の祥ちゃんとお嬢さんの家族は披露宴に出るとかで留守でした。このところは花冷えで急に冷え込んでいたのは愛知県も同じようで、本堂でお経が始まる中、あまりの寒さに私たちはぶるぶる震えていました。
でも、寺の本堂というのは広くて荘厳で、父もきっと喜んでいることでしょう。寒い中、1時間程度で読経も終わり、控え室でお茶をいただきました。子供のころからなじんだ叔母の寺は、相変わらず複雑で迷路のような部屋、みんなでぞろぞろ迷路を行き来してしまいました。
お互いに、これが最後なのかもしれないという思いがあったのかもしれません。だからこそ、祥ちゃんには会わないままでよかったのかも・・・。立派な本堂が出来る前は柱の大本だけが並ぶ丘になっていて、私と姉と祥ちゃんは、籐ででき大きな乳母車にのりこんでその丘から、下の灯篭めがけて駆け下りたものでした。灯篭にぶつかって倒れるのが面白くて・・・。何度も何度もそんな無茶な遊びを子供のころにしていたものでした。
インターネットで親戚の寺の場所を確認したときに、近くに「三岸節子記念美術館」があるのを知り、せっかくだから帰りに底に寄ろうと決めました。名前だけは知っていた女流画家の生家を美術館にしたとのことでした。姉たちは別行動で、私と叔父が法要後にタクシーで美術館に直行しました。叔母たちにはなんともあわただしい・・と呆れられてしまいました。
ヨーロッパの風景の絵はダイナミックでとても素敵でした。とにかく、パワーのあるおばさん、すごいなーと感心しきり。父より一世代前の女性でした。美術館を後にして、バスで一宮駅に向かいましたが、途中、木曽川に出て、とても懐かしくて写真を撮りました。子供のころ、夏に行ったときは木曽川で泳いだ覚えがあるのです。
バスターミナルの近くの居酒屋で叔父と食事して飲んでおしゃべりし、彼は翌日、同級生に会う(戦時中に疎開していたのでした)のでビジネスホテルに泊まるとのこと、私はそのまま名古屋から「のぞみ」で新横浜経由で帰宅。
けっこうきついけれど、愛知県には十分日帰りで行かれるものでした。懐かしい日帰り旅を堪能しました。もしかしたら、もう二度といかれないかも、という父の郷里。私自身もこの先どうなるかわからない現状です。さて、来週からの学校がよい、どうなることでしょうか・・・。