ハッチがいた日常

夫は病死、仕事も辞めて被災猫ハッチと暮らしたけれど、10年で終わってしまった。これからは本当の一人暮らしの日々。

子供のころは・・・

2012年03月19日 12時22分12秒 | 日常

 夫は想像力というよりも、妄想力が豊富すぎます。50代の人間に向かって、子供のころはこうだっただろうと平気で憶測で断定します。これに関して私は猛反発します。彼がどうして、私の子供のころの性格などをいう権利があるのか?いつもきまってこのことで喧嘩をします。

 お前は勝気だから、子供のころはこうだったろうとか、いちいちいうのです。50代の人間の子供のころの話をする必要がありますか?再三、このテーマでは腹を立ててしまいます。

 こういうことをいうのに何のメリットがあるのか?

 大体、26歳で結婚した私が今は54歳ですから、オギャーと生まれて家族で暮らした年月よりも不本意ながら、夫と暮らした年数のほうが長いのです。性格はすでに彼によってねじまげられているはず。

 深読みも昔のことを憶測で言われたのでは、頭に来ますよ。こういう変わった人って、夫だけなのでしょうか?

 猛反発する自分が悪いのか。こういう口論って、無駄だと思うんですよ、まったく・・・。やっぱり、彼は喧嘩が好きなのかも!?疲れますね、健康な私でも。

 子供のころのことって、あまり覚えていません。今の一年と学童時代の一年とは全く違う感覚でしょうし。母が私の年齢だとあと6年くらいしか生きなれなかったと思うと、切ないですね。寿命は人それぞれ。かわいそうなのは、子供のころに寿命を迎えてしまうこと。あの、大阪の餓死させられた兄弟は、悲惨です。母親に懲役30年という判決が出ました。自分が殺したという実感もないのでは?木島佳苗と同じですね。

 私は、人の物を盗んで平気でいる人が信じられません。それが命ならなおさらです。自分の都合のいいようにしか生きられないとしたら、監獄で一生を送るのもしかたのないことでしょうね。日本という国は、更生プログラムをもっていないのでしょうか?

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義母に会いに行きました

2012年03月19日 07時55分52秒 | 日常

 昨日は雨模様でした。ぎりぎりまで二人で行くか一人になるかわからなかったのですが、結局、夫の体調が良くなくて無理しないでほしかったので、一人で千葉の外房に行ってきました。私はお義母さんに会うのは半年ぶり。

 ま、お互い、不機嫌な夫と一緒よりも気ままに楽しく過ごせてラッキーでした。お義母さんもビールや冷酒も飲めてご機嫌でした。

 この親にしてこの子あり、って感じで、わがままなのはこの上ない。なんでも、いいのっ!お嫁さんの仕事!と言われるのには閉口します。

 特急わかしおに東京駅から乗るのですが、京葉線はいつも、ディズニーランドに行く人たちで混んでうんざりします。おみやげにと言われたコロンバンが見つからず、私の好きなヨックモックをおみやげにしました。

 外房大原の駅周辺は、半年でけっこう変わっていました。つぶれたスーパーには金物屋が入っていたし、駅正面の建物は壊していて、何かに変わるのでしょう。そのまま空地だとかなしいです。

 大原の地で10年目の、いつも行くうなぎ屋さんでお義母さんと食事しました。彼女は右手が不自由になってしまい、お店からフォークを借りて食べました。80歳過ぎているのだから、それくらいならましなほうと思わなくてはいけませんよね。それだけの元気を夫に分けてもらいたいです。

 昼に飲んだお酒のせいか、私は帰りの特急わかしおでうつらうつらしてしまい、愛用している革のブックカバーがついている大事な本を車内に置き忘れてしまいました。それで新宿の紀伊国屋でその文庫を買い、さらに今度は麻の猫模様のブックカバーを購入しました。今読んでいるのは、身延典子の「頼山陽」上巻です。ちょうど、私の名前と同じ女性が登場してきたところです。

 ものをなくすのはうっかりしているからですが、大事なものだったので悲しいです。でも、きっと何かと引き換えにいなくなってくれたのかも。いままでありがとう(と、置いてけぼりのその物に感情があったら、怒っているかもね)。

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