季語も、旧暦の物をそのまま使うことに違和感を覚えています。そして、戦後からはっきりと新仮名遣いと口語体とにきっちり変わったはずなのに、歴史的仮名遣いが俳句の世界では当然のように残っています。
正直、私は違和感を感じます。懐古趣味やアナクロニズムと思えて仕方がないのです。戦前の国家主義とか、右翼そのもののように思えてなりません。リベラルな人間が使う言葉だとは、おもえないのです。だって、日常で「や」や「かな」という切れ字を使いませんよね?だったら、定型の五七五だって、文語体だからやっていることでしょう。口語体で俳句を作るのなら、定型にはめなくてもいいのではと思います。今の時代に合ったものを詠むべきだと思います。いつまでも、江戸時代みたいなことやっているのが、古文書じゃあるまいし、おかしいです。
季語だって、旧暦の頃と今の暦ではずれがあります。それを修正しないで、季語にこだわるのも、どうかと思います。考えれば灌げる程、俳句の世界はおかしいです。
こういう疑問を持つ私は、これから俳句をやっていく自信がありません。今の時代を詠むのに、歴史的仮名遣いはおかしい。かび臭いとしか思えません。もっと過激に変革したほうがいい!
だから、高齢者ばかりが集まっているんじゃなくて?今を切り取らなくては、文学の世界とは言えないと思います。俳句って、もしかして、悪趣味?