当たり前のようになっている、俳句の表記について、私はいまだに理解できないまま、俳句の世界に足を突っ込んでいます。明治時代に言文一致運動があり、戦後は新仮名遣いになったのに、いまだに俳句では歴史的仮名遣いが主流というのは、ただの懐古趣味かアナクロか?格調高ければ、それでいいのかと不思議でなりません。時代を切り取るものでなければ、どんな芸術も文学も意味がないと、私は思います。
芭蕉の時代は、それが当然だったから。今は、若い人たちが旧仮名を使うのがコスプレと似たようなものだとして、それでいいのかとも思います。小説はそんなことしないし。まるで古文書を現代で書いているようなもの。
こういうことに悩む私は、俳句に向いていないのかもしれませんね・・・。
普通に生活していて、「かな」とか「けり」なんて、言いませんもの。ああー、悩む私。土曜日の句会、どれを持っていこうか・・。
文語体で17音なら、口語体ではもっと増やして当然。ぶっ壊すくらいの改革が必要なんじゃない?