ハッチがいた日常

夫は病死、仕事も辞めて被災猫ハッチと暮らしたけれど、10年で終わってしまった。これからは本当の一人暮らしの日々。

有吉佐和子「非色」

2019年11月11日 14時42分30秒 | 読書

 以前、従軍慰安婦関係の本に出てきた有吉佐和子の「非色」を図書館で借りて、読み終えました。ものすごく読みごたえがありました!人種差別をテーマにしたこの本、昭和42年に出ています。私が10才の頃ですよ。有吉佐和子の本を今回初めて読みました。それも、一気に読みました。私たち日本人は黄色人種だから当然、差別される側ですが、戦後の占領軍が日本に来た時、黒人と結婚して子を産み、帰国した彼を追ってアメリカに移住した主人公の、アメリカでの人種差別の様子が克明に描かれていて、ショックでした。黒人の差別の外にも、イタリア系やプエルトリコ、なんとなくわかっていたつもりでも、昔の現実は本当に恐ろしい・・。そしてアメリカでは中絶が罪だとされていること。カトリックはかなり厳しい。

 戦後の日本では、旧満州でのソ連兵による強姦はすさまじく、帰国後はすぐに女性は中絶手術を受けていました。日本では、それが当たり前だったのが、アメリカではそうじゃない。出産で仕事を失う女性、これは本当に怖いこと。生活ができなくなるのですから。それはいまにも通じること。何も変わっちゃいないのかもしれませんよね。

 妊娠したら産むのが当たり前?それは、恵まれた環境に入ればそうでしょうけれど、現実は厳しい。女性だけが仕事をあきらめるなんて、本当におかしい。少子化を問題にするのなら、育児体制の充実と職場復帰の補償を国がしてくれなくちゃ、産めませんよ。いまだに、こんなことで女性が苦しんでいるんだから、悔しい限り。

 小説の終盤は、主人公が「私もニグロだ!」と開き直って、生きなおそうとします。

 占領軍にいた黒人の夫が「平和と平等」を力説していたのが、その後のアメリカでのスラム街の生活を思うと、夢物語に近かったんだと悲しくなります。

 私が気になっている「人はなぜ他人を支配したがるのか」の答えのヒントが、この小説にあるような気がしました。

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蜜蜂と遠雷

2019年11月11日 13時54分47秒 | 映画

 先日、BSプレミアムで、蜜蜂と遠雷のモデルとなった浜松国際ピアノコンクールのドキュメンタリーの再放送がありました。私はそれを4月に見て感動し、恩田陸の小説を読んだだのですが、今回はさらにコンクールのその後の受賞者たちのインタビューもあるので、録画して見ました。そして今日、一駅先の映画館に行き、その映画「蜜蜂と遠雷」を見ました。映画館は10室以上の上映室があり、私は初めて入ったのですが、窓口は券売機のように画面をタッチして操作するので、高齢者が多いともたもたしていてなかなか進まない・・。対面式の窓口は、必要なんじゃないかなーと思いました。私もちょっと戸惑いました。なんたって、9時半にその映画館が開館しますが、10時前に上映が始まるのがけっこうあるんですもの。でも、10分前にならないと入れないから、焦る必要なかったのでした。それに、なんたって10以上の部屋があるんだから、窓口は混雑していたのに、上映の部屋はがらがら・・・。こんないい映画にあまり入らないのは、残念!それに、本編上映前に、ほかの映画の予告があまりに多くて、うんざりしました。今まで、こんなに予告ばかり延々と流すのにあたったことがありませんでしたよ。

 松坂桃李が今度はピアニストです。以前、彼がヴァイオリニストを演じた映画を見ました。それと、ブルゾンちえみが、地方の放送局の取材班役で、それも松坂桃李演じる年齢ぎりぎりのコンクール参加者の同級生として出てきたのですが、彼女、よかったです。お笑いの人って、勘がいいのかな、俳優業にもけっこう向いてますよね。

 原作もよかったし、映画もよかった。もちろんプロのピアニストの吹き替えだけれど、映画では役者もある程度、本当に弾いていたのかなあ?私は鍵盤苦手なので・・。

 音楽はいいよー。人生賭けるには十分すぎる程、ものすごい世界だし。でも、プロの音楽家は、本当に「音」を「楽しんで」いるのかな?音楽って何だ!?

 完璧に弾けるからといって、それは芸術にはならない。へたくそなアマチュアの私が言ってもしょうがないけど。弾けるということと、感動させるというのは別物。ただ、コンクールというものは、人間を観察するものすごく面白いケースなんだと思います。

 音楽は一瞬だけれど永遠。本当に、そうです。

 たまたま、子どもの頃にヴァイオリンを習い、大人になってから再開して個人レッスンで途中からヴィオラに転向し、アマチュアで弦楽オケとカルテットやってきて、亡夫は演奏はしないけれどマニアックなクラシックファンで古楽演奏のコンサートにはよく一緒に出掛けたから、私の人生の半分以上はクラシック漬けでした。いいものを聞いたけれど、アマチュアで腕が悪いから、演奏は全然ダメでした。でも、楽しめたし、これからも(肩骨折でヴィオラは断念)ヴァイオリンはたまにお遊びで練習して、それで十分。今回、思い立って映画見たのも、音楽を聴きたかったから。

 亡夫のCDはほとんどを売却しました。あっても自分の残り時間で聴くことができないんじゃあ、意味ないし。今手元に残した分だけでも、すこしずつ聴くことにしましょう。いつ死んでもいいようにね。

 コンサートでいい演奏を聴くと、ああ、この空間に入られて、本当に幸せと思ったものでした。

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朝日俳壇11月10日

2019年11月11日 13時35分50秒 | 俳句

 今回も、秋出水の句がありました。今年は大水害の年になりました。今年も一文字は、「水」になうんじゃないかしら・・。

長谷川櫂選

病める人苦しむ人を照らす月        流山市 葛岡昭男

 月はだれにも分け隔てなく照らすけれど、お日様と違い、夜、あえて月を仰ぐという行為は、誰もがするわけじゃないですよね。つらい時、悲しい時にこそ、月が寄り添うんじゃないかと思いました。

椅子二つ一つは猫に秋の昼         大阪市 今井文雄

 ほのぼのとした、秋の陽だまりを連想します。私が猫好きなので、ついつい、猫の句に注目!

 

大串章選

家ごとの軒ごとの柿すだれかな       仙台市 三井英二

 私、柿が大好き!軒に干し柿を吊るしている光景が目に浮かびました。

木の実独楽ことりと止まる夜更けかな     川越市 大野宥之介

 小さな木の実の独楽が、止まって倒れたあとのしーんと耳鳴りがするような静かな感じ、なんか惹かれました。

 

高山れおな選

家康が信長兼ねる村芝居           対馬市 神宮斉之

 村芝居、地芝居は、晩秋の季語というのを、初めて知りました。稲刈りのあと、村の人たちが歌舞伎や芝居を自分たちが演じて楽しむということがあったそうで・・。農閑期の楽しみですね。それにしても、家康も信長も、一人の演者がやるなんて、忙しいです、大変だー。秀吉と信長は無理だけどね。

 

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