この本の発行は1979年です。原理運動というのは、旧統一教会の大学生の活動です。いわゆる「原理研」です。たいていの大学に存在していて、大学側は気を付ける様に注意を促しています。この本の最初のところだけ読みましたが、デジャブというか、既視感にとらわれました。まるで、オウム真理教が大学生を取り込むのと同じだったからです。
親は、息子や娘が下宿を変えてなんだかわからない団体の寮に入ってその活動に夢中になり留年をしてしまう。それはそれは、心配ですよ。原理研被害者の会のようなものを作って、親が結束します。オウムの時もそうだったけれど、マインドコントロールを受けた人間を普通に戻すのはすごく大変なことです。宗教は、狂信の世界だから、私は絶対に近づきません。
こちらでも駅の近くに新興宗教のパンフを配っている人を見かけますが、不況よりも自分でバイトしてその分寄付しろと思います。人を引きずり込むのが信者のつとめなのですか?それはねずみ講と同じ、詐欺の手口と同じですよ。生活のためのお金を寄付することがいいことといえるのでしょうか?そのお金がどう使われているか、全然考えないのでしょうか?盲目的に信じることが宗教なら、それはおかしい。お金を出せというのは、宗教ではないのです。本当なら、お気持ちだけでというべきでしょう。私には、旧統一教会はオウム真理教と変わらないと思います。
自我を持ちましょう。自分の目で見て、自分の頭で考えて、納得できない事には動じないことです。日本人は、集団になると本当に怖い。卑怯な民族ですからね。いじめや差別、平気でするんですよ。私は大嫌いです。いいじゃない、一人でいたって。孤独は悪いものではないですよ。いっそ、禅宗のように坐禅で瞑想して境地を開いたほうが、本当の宗教に近づけるんじゃないでしょうか。