いよいよその時が来ました。
日本百名山を登るかたわら、ちまちまと登ってきた関東百名山。
最後に残しておいたのが神津島にそびえる『天上山』です。
ちなみに僕が登ってきたのは、いまや旧/関東百名山となってしまいました。
選定した「山と渓谷社」が今年新たに新/関東百名山をリリースしたからです。
いずれこちらも完登するつもりです。
さて神津島と言えば東京都に属し、伊豆諸島の一つです。
アクセス方法は船か飛行機ですが、飛行機は調布からの小型飛行機で平日の就航はありません。
まあ調布まで行くのも大変ですから、おのずと船になるという訳です。
その船は東海汽船が伊豆諸島を網羅していて、東京竹芝から大型客船と高速ジェット船が就航しています。
大型客船は「さるびあ丸」といい、竹芝から22時発という便があります。
なんと12時間かけて大島、利島、新島、式根島に寄りながら最終目的地(終点)神津島に到着します。
この天上山は花の百名山としても有名で、春にはオオシマツツジが咲き乱れるのです。
そして山頂は「表砂漠、裏砂漠」といわれる月の世界を思わせる地形と静寂な砂地があるのです。
これはもう行くしかない。
ところが相手は海の向こう、そう簡単に行けるわけないですね。
天候だけでなく、航海上の問題もあります。
なんせ欠航になったら帰って来れないのですから。
そして今年の夏はスノーカントリートレイルに命をかけてしまいましたから、なかなか行けなかったのは仕方がありません。
なので秋でもいいかと思っていました。
ところが今年の台風は凄かった⋯。
天気は回復しても海上に次々と台風が発生し、安心できない状況でした。
連休がくるのは月にたった2回、当初今週も週間予報ではあまり良くなかったのです。
『パパちゃん、今度の休みウォーキングしない?霞ヶ浦に行ってみようよ』と女房が言い出しました。
ふだんそんなことは言わない女房がそう言うのだから、ここはそうしようと思いました。
その話をした翌朝、いつもの習慣で天気予報を見ると⋯ あ。
2日間天気が良い予報に変わった(良いのはもちろん神津島ね)。
でもさ、女房が一緒に歩こうなんて言ってくるのは奇跡に近いのです。
茨城県の関東ふれあいの道を一緒に歩いていた頃が懐かしいです。
なぜそうなったかといいますと、女房の股関節の状態があまり良くないのと、娘に持病があるので学校から呼び出しが来た場合、すぐに駆けつけなければならないからなのです。
なので娘の学校に近い霞ヶ浦周辺のウォーキングになるのです。
前々夜、女房から今度の連休についてお話がありました。
『ねぇパパちゃん、今度の休みはまだ山に行けないの? まだ台風の被害でダメなの? どこか影響がなかったところはないの?』と。
(はあー? 霞ヶ浦歩くんじゃないのか⋯)
『えっ?霞ヶ浦は?』
『それはパパが山に行けない時とか、行く気がない時の救済措置で言ってるのよ。可哀想だから』
(なななんと。俺は子供と同じか。あやしてくれてたのか?)
『実はさ、これは言わないようにしていたんだけど、お客さん何人かと話していたんだよ。「女房がウォーキングしない? って言ってるんだけど、前々から狙っていた神津島の天気が落ち着いて遂にチャンス到来なんですよ。でもねうちの奴がそんな事言うなんて滅多にある事じゃないし⋯。たぶん神津島のチャンスが巡ってきたって言ったら絶対行っておいでって言うんですよ。それは可哀想かなって⋯ どう思います?」って』
あーぁ言っちゃった。
すると女房は、
『なーんだ、私はね本当にパパが行けないのが可哀想だから言ってるだけだから。だったら行きなよ良かったじゃない』
ほら、ダメって言わない人になってる。
ダメだ、やっぱりダメな俺。
『い⋯ 行かせていただきます』
下を向いてそう言った僕、顔をあげた時には瞳の中に炎が映っていました。
そそくさと準備を始める僕。
出発は明日の夜、仕事場から直接向かうためには今夜中にパッキングしなければなりません。
就寝は午前2時になってしまいましたが、明日の夜にはたっぷり寝れるので、今夜の寝不足は問題ないと考えました。
そして出発当日の予約は朝から満タン。
まだ船の予約もしてないのです。
予約の電話をする時間あるかな⋯。
もちろん何とかするしかないので、手早く手短かに予約の電話をしました。
その話はちょうど僕が山に行くようになる事を予言したお客様の髪をやっている時で「行ける事になるといいね」と励まされている時でした。
思ったより仕事が長引きましたが、夕食を摂る時間はありました。浜松町駅を降りて、竹芝に向かう途中にあった牛丼屋ですけどね。
船での渡航は初めてなので、慎重にぬかりなく行きました。
念の為にパンを2つ買いました。
乗船を告げるアナウンスがあり、常連客らしき方に着いて行きました。
出航は定刻通りの22時。
だんだんと離れて海に向かう船。
都心の夜景をこんな所から見たのは初めてかもしれないです。
(画像は離岸直後)
その2へ続きます。
日本百名山を登るかたわら、ちまちまと登ってきた関東百名山。
最後に残しておいたのが神津島にそびえる『天上山』です。
ちなみに僕が登ってきたのは、いまや旧/関東百名山となってしまいました。
選定した「山と渓谷社」が今年新たに新/関東百名山をリリースしたからです。
いずれこちらも完登するつもりです。
さて神津島と言えば東京都に属し、伊豆諸島の一つです。
アクセス方法は船か飛行機ですが、飛行機は調布からの小型飛行機で平日の就航はありません。
まあ調布まで行くのも大変ですから、おのずと船になるという訳です。
その船は東海汽船が伊豆諸島を網羅していて、東京竹芝から大型客船と高速ジェット船が就航しています。
大型客船は「さるびあ丸」といい、竹芝から22時発という便があります。
なんと12時間かけて大島、利島、新島、式根島に寄りながら最終目的地(終点)神津島に到着します。
この天上山は花の百名山としても有名で、春にはオオシマツツジが咲き乱れるのです。
そして山頂は「表砂漠、裏砂漠」といわれる月の世界を思わせる地形と静寂な砂地があるのです。
これはもう行くしかない。
ところが相手は海の向こう、そう簡単に行けるわけないですね。
天候だけでなく、航海上の問題もあります。
なんせ欠航になったら帰って来れないのですから。
そして今年の夏はスノーカントリートレイルに命をかけてしまいましたから、なかなか行けなかったのは仕方がありません。
なので秋でもいいかと思っていました。
ところが今年の台風は凄かった⋯。
天気は回復しても海上に次々と台風が発生し、安心できない状況でした。
連休がくるのは月にたった2回、当初今週も週間予報ではあまり良くなかったのです。
『パパちゃん、今度の休みウォーキングしない?霞ヶ浦に行ってみようよ』と女房が言い出しました。
ふだんそんなことは言わない女房がそう言うのだから、ここはそうしようと思いました。
その話をした翌朝、いつもの習慣で天気予報を見ると⋯ あ。
2日間天気が良い予報に変わった(良いのはもちろん神津島ね)。
でもさ、女房が一緒に歩こうなんて言ってくるのは奇跡に近いのです。
茨城県の関東ふれあいの道を一緒に歩いていた頃が懐かしいです。
なぜそうなったかといいますと、女房の股関節の状態があまり良くないのと、娘に持病があるので学校から呼び出しが来た場合、すぐに駆けつけなければならないからなのです。
なので娘の学校に近い霞ヶ浦周辺のウォーキングになるのです。
前々夜、女房から今度の連休についてお話がありました。
『ねぇパパちゃん、今度の休みはまだ山に行けないの? まだ台風の被害でダメなの? どこか影響がなかったところはないの?』と。
(はあー? 霞ヶ浦歩くんじゃないのか⋯)
『えっ?霞ヶ浦は?』
『それはパパが山に行けない時とか、行く気がない時の救済措置で言ってるのよ。可哀想だから』
(なななんと。俺は子供と同じか。あやしてくれてたのか?)
『実はさ、これは言わないようにしていたんだけど、お客さん何人かと話していたんだよ。「女房がウォーキングしない? って言ってるんだけど、前々から狙っていた神津島の天気が落ち着いて遂にチャンス到来なんですよ。でもねうちの奴がそんな事言うなんて滅多にある事じゃないし⋯。たぶん神津島のチャンスが巡ってきたって言ったら絶対行っておいでって言うんですよ。それは可哀想かなって⋯ どう思います?」って』
あーぁ言っちゃった。
すると女房は、
『なーんだ、私はね本当にパパが行けないのが可哀想だから言ってるだけだから。だったら行きなよ良かったじゃない』
ほら、ダメって言わない人になってる。
ダメだ、やっぱりダメな俺。
『い⋯ 行かせていただきます』
下を向いてそう言った僕、顔をあげた時には瞳の中に炎が映っていました。
そそくさと準備を始める僕。
出発は明日の夜、仕事場から直接向かうためには今夜中にパッキングしなければなりません。
就寝は午前2時になってしまいましたが、明日の夜にはたっぷり寝れるので、今夜の寝不足は問題ないと考えました。
そして出発当日の予約は朝から満タン。
まだ船の予約もしてないのです。
予約の電話をする時間あるかな⋯。
もちろん何とかするしかないので、手早く手短かに予約の電話をしました。
その話はちょうど僕が山に行くようになる事を予言したお客様の髪をやっている時で「行ける事になるといいね」と励まされている時でした。
思ったより仕事が長引きましたが、夕食を摂る時間はありました。浜松町駅を降りて、竹芝に向かう途中にあった牛丼屋ですけどね。
船での渡航は初めてなので、慎重にぬかりなく行きました。
念の為にパンを2つ買いました。
乗船を告げるアナウンスがあり、常連客らしき方に着いて行きました。
出航は定刻通りの22時。
だんだんと離れて海に向かう船。
都心の夜景をこんな所から見たのは初めてかもしれないです。
(画像は離岸直後)
その2へ続きます。