(写真は、ローマ テルミニ駅の電光掲示板。 列車の出発時刻と乗り場等の案内が記載されているが、我々母娘は右側中央より少し下方に掲示されている10時05分発トリノ行列車に乗る予定だった。)
ローマにて迎えた初日は、丸一日かけてローマ観光を実施する予定だ。
その前に、確認しておくべき事項がある。
翌日フィレンチェまで移動する特急列車(上記のトリノ行の列車)の予約は日本にて既に完了しているが、テルミニ駅内の実際の乗り場や乗り方をあらかじめ習得しておこうと考えた。
大都会東京暮らしが長い我々にとって、電車に乗る事など日常茶飯事だ。 ただ、国により駅の運営方法や乗車の仕方が異なる事も過去に於いて経験している。
さてローマのテルミニ駅だが、東京に負けず劣らず乗客の数が半端ではなく多い。
その人混みをかき分けつつ、トリノ行の列車乗り場をあちこち探したのだがどうしても見つからない。
駅にインフォメーションがあるとの情報を得ていたため、それを探してもどこにもなければ、東京に比し駅員の数が極端に少なく駅員すら探し出せない。
そんな折、切符自動販売機の近くにいた警備員らしき若き女性に乗り場を尋ねた。
そうしたところ、その態度のあまりにも横柄な事に驚かされるはめとなった。 どうやら、我々が乗る列車の会社とは異なる自動販売機の近くで乗り場を尋ねた様子だ。 それを「この黄色人種のバカどもが!」とでも言いたげに我々を蔑んだ眼差しで見ながら “チッ” と舌打ちしたのを私は見逃していない。
(何と失礼な奴!)とムカっ腹が立ったものの、一応その女性が「Go straight and left」と言い放ったのを聞き、一応一言お礼を言ってその方向へ向かった。
ところが、やはり乗り場は見つからない。
そこにやって来たのが、一見親切そうなイタリア人男性だ。 駅の係員ではなさそうなのだが、どうやら駅案内に慣れている様子だ。 私が手元に持っていた電車情報を見せると、すぐさま乗り場まで連れて行ってくれた。
予想に反して駅の入口から遠い場所に乗り場ホームがあったのだが、わざわざそこまで案内してくれ我々が安堵していると、イタリア語でチップをせがんでいる様子だ。
仕方なく財布から5ユーロを取り出して手渡すと、喜んでそそくさと去って行った。
後味が悪い事この上ないが、とりあえずは乗り場が判明したため役には立ったと考え直し、我々も駅から去った。
ローマ初日の初っ端の朝から、ローマの玄関口テルミニ駅にて遭遇したこれらの“事件”により多少のトラウマが残ってしまったものの、気を取り直して我々のローマ観光が続く事と相成る。
ローマにて迎えた初日は、丸一日かけてローマ観光を実施する予定だ。
その前に、確認しておくべき事項がある。
翌日フィレンチェまで移動する特急列車(上記のトリノ行の列車)の予約は日本にて既に完了しているが、テルミニ駅内の実際の乗り場や乗り方をあらかじめ習得しておこうと考えた。
大都会東京暮らしが長い我々にとって、電車に乗る事など日常茶飯事だ。 ただ、国により駅の運営方法や乗車の仕方が異なる事も過去に於いて経験している。
さてローマのテルミニ駅だが、東京に負けず劣らず乗客の数が半端ではなく多い。
その人混みをかき分けつつ、トリノ行の列車乗り場をあちこち探したのだがどうしても見つからない。
駅にインフォメーションがあるとの情報を得ていたため、それを探してもどこにもなければ、東京に比し駅員の数が極端に少なく駅員すら探し出せない。
そんな折、切符自動販売機の近くにいた警備員らしき若き女性に乗り場を尋ねた。
そうしたところ、その態度のあまりにも横柄な事に驚かされるはめとなった。 どうやら、我々が乗る列車の会社とは異なる自動販売機の近くで乗り場を尋ねた様子だ。 それを「この黄色人種のバカどもが!」とでも言いたげに我々を蔑んだ眼差しで見ながら “チッ” と舌打ちしたのを私は見逃していない。
(何と失礼な奴!)とムカっ腹が立ったものの、一応その女性が「Go straight and left」と言い放ったのを聞き、一応一言お礼を言ってその方向へ向かった。
ところが、やはり乗り場は見つからない。
そこにやって来たのが、一見親切そうなイタリア人男性だ。 駅の係員ではなさそうなのだが、どうやら駅案内に慣れている様子だ。 私が手元に持っていた電車情報を見せると、すぐさま乗り場まで連れて行ってくれた。
予想に反して駅の入口から遠い場所に乗り場ホームがあったのだが、わざわざそこまで案内してくれ我々が安堵していると、イタリア語でチップをせがんでいる様子だ。
仕方なく財布から5ユーロを取り出して手渡すと、喜んでそそくさと去って行った。
後味が悪い事この上ないが、とりあえずは乗り場が判明したため役には立ったと考え直し、我々も駅から去った。
ローマ初日の初っ端の朝から、ローマの玄関口テルミニ駅にて遭遇したこれらの“事件”により多少のトラウマが残ってしまったものの、気を取り直して我々のローマ観光が続く事と相成る。