原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

ローマ・ピサ・フィレンチェ 列車と徒歩の旅 -イタリアでの最後の酒宴編-

2016年02月11日 | 旅行・グルメ
 (写真は、娘と共にフィレンチェ最後の夜に訪れたレストランにて撮影したワインとビールの写真。)



 「酒宴」と言ってみたとろで、何とも親孝行な事には“亭主血縁系DNA”を受け継いだらしき我が娘は酒には滅法弱い体質の様子だ。 
 そのため母の立場としては娘の将来に関する心配の種が一つ減り、ラッキーの限りである。


 冒頭写真の酒類は酒豪の私一人が飲み干すに決まっているのだが、それでもサリバン母を100%信頼してくれている我が娘は、いつも我が酒宴に快く付きあってくれる事もこれまた嬉しい。



 そしてフィレンチェ最後の夜(イコール イタリア旅行最後の夜)に訪れたレストランにて、私はイタリアンビールとハウス赤ワインを注文した。

 (次なるエッセイにて、その後提供された料理に関するコメントを述べる手筈となっておりますので、読者の皆様、ご安心下さいますように。)


 ここで、イタリアンビールとハウス赤ワインの感想を述べておこう。

 まずイタリアンビールだが、これはアリタリア航空内でも飲んでいるイタリアン等の様子を既に見物していた。  
 レストランにて飲んだ私の感想としては、味が“きつい”とのイメージを抱いた。 辛口と表現するよりも、何だか舌触りが“きつい”のだ。  

 レストランのハウス赤ワインに関しても、当該レストランがフィレンチェ客を問わず国内外からの観光客も来店して流行っている事に起因しているのだろうが、ハウスワインにして大した印象がなかったのが正直なところだ。 
 おそらく大量生産の後、ボトル詰めして客席に提供しているのであろう。

 ローマのレストランにてデカンタで提供されて楽しんだ自家製白ワインの方が、私にとってはよほど感激ものだった。



 最後のフィレンチェ酒宴に於いてレストランより提供された料理内容に関してのエッセイは引き続き綴り公開しますので、是非とも、原左都子によるイタリア旅行記を今週末までお楽しみ下さいますように。

ローマ・ピサ・フィレンチェ 列車と徒歩の旅 -ウフィツィ美術館編-

2016年02月11日 | 旅行・グルメ
 (写真は、ウフィツィ美術館前広場にて撮影した一風景。)



 このウフィツィ美術館の正式名称は、我がフィレンチェ宿泊ホテルにて貰ったイタリア語地図によれば 「Galleria degli Uffizi」 と記載されているのだが、その日本語表記の程が様々なようだ。


 今回のエッセイでは、朝日新聞より引用して 「ウフィツィ美術館」にて統一させて頂くこととしよう。


 さてさて、実は「ガリレオ博物館」観賞中に、またもやカメラの充電切れなるハプニングに苛まれていた。 
 一体全体、(亭主から借りて来た4万円もしたとの一眼レフでもない この “私でも写せるバカチョンカメラ” の性能はどうなっているのか!?!  とイタリアにてぶち切れたとて問題は解決しない。


 こういう場合、諦めが肝心だろう。

 「ウフィツィ美術館」とは観光客で常に満杯で、その内部を観賞したい場合予約が欠かせないとの情報も日本出発前から得ていた。 
 長時間並んで内部を観賞する時間は元々取れないと目論んでいた我々母娘は、現地到着後も前庭が観光客で溢れている様子を一見して、今一度内部入場を諦めた。
 

 要するに正直なところ、元々観光客でゲロ混みらしき当該“超人気美術館”にはさほどの思い入れがなかった我々母娘だ。


 そうして、カメラの充電が少しでも復活するのを待って撮影したのが、冒頭のウフィツィ美術館外の広場にて写した写真だ。

 携帯写真も撮影したが、やはり画面が大きい上記写真を紹介するに留めておこう。

ローマ・ピサ・フィレンチェ 列車と徒歩の旅 -ガリレオ博物館編-

2016年02月11日 | 旅行・グルメ
 (写真は、ガリレオ博物館にてガリレオ・ガリレイ像を見上げる我が娘。)



 実は、このガリレオ博物館には“間違えて”入場した。


 何処と間違えたのかと言えば、ウフィッツ美術館かと勘違いしたのだ!

 そんな訳があるはずがない、とウフィッツィ美術館を訪れた経験がある方々は呆れ果てるであろう。
 博物館の入口にはちゃんと 「Museo Galileo」と書かれているし、世界に名立たるウフィッツィ美術館がこんなに小さい訳もない。

 ところが何故私がガリレオ博物館をウフィッツィ美術館と取り違えたのかと言うと、両者が同一敷地内に存在しているためだ。
 要するに、ガリレオ博物館とはウフィッツィ美術館の分館の位置付けなのだろうか??


 間違えて入場した割には、元科学者の端くれの私にとってガリレオ博物館は大変興味深いスペースだった。
 ここはそもそもイタリアに於いて、日本の国立科学博物館のごとくの役割を果たしている博物館の一つなのだろう。
 その展示は、天文学分野のみならず、化学・医学等々科学各分野の多岐に及んでいる。


 そもそもガリレオとは、コペルニクスが提唱した「地動説」を支持し教会と対立した人物だ。
 天動説こそが絶対と信じて疑わない教会側は「太陽中心の世界観を抱くとは異端!」との思想の下、ガリレオの研究成果を否定し続けた。
 これに打開策を見出だそうと、ガリレオは天動説と地動説両者をあくまで仮説とし、禁令に触れることがないよう地動説を解説した書物「天文対話」を出版する。 にもかかわらず、「天動説」思想を曲げない教会側はこの書物がローマ教皇の意に背くと判断し、ガリレオは2度目の異端審問にかけられる。
 その後ガリレオは有罪判決を下され、終身刑を言い渡される。 有罪判決の際、地動説を放棄する旨の異端誓絶文を読み上げさせらた後、ガリレオがつぶやいた一言が有名だ。

 「それでも地球は動く」 …… 
  
 (以上、ネット情報に私論を交えつつ紹介した。)


 いやはや、科学論争の世界は時代を問わず常に命がけだ。
 ガリレオの功績の足元にも及ばない稚拙な例を挙げると、一昨年「STAP細胞事件」で大揺れした理化学研究所も、再生医療一基礎研究者の自殺者を出している事を思い起こした。

 
 ガリレオ博物館内には、アーミラリ天球儀や大昔の望遠鏡等々、世紀を超えて天文学の発展に寄与して来た多くの天文学機材が展示されている。

 また化学分野に関しては、昔のフラスコ等の実験器具や天秤、顕微鏡等も数多く展示されている。

 医学分野では、母親の子宮内異常体位胎児模型が展示されていたのが興味深かった。
 我が娘も私の体内で逆子(さかご)だった事が一つの理由で出産時のトラブルに繋がった事を、フィレンチェの地にて思い起こさせられる展示だった。



 観光の対象としては十分に“異色”だが、フィレンチェの歴史的建造物に飽きた時、気分転換にこんな博物館を訪れてみては如何だろうか。