原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

人は何故年齢を重ねると認知力が低下するのか?

2016年02月17日 | 時事論評
 昨日約1ヶ月ぶりに高齢者有料介護施設に住む義母の整形外科受診の付き添いのため、義母と再会した。


 イタリア旅行より帰国後連日幾度も電話を掛けて寄越した母だが、実際の姿を見るのは久々の事だ。
 介護認定が「要介護1」までランクアップ(ダウンというべきか?)してしまった義母だが、その後施設内で如何に暮らしているのか、久しぶりにその実態観察が叶う。

 さて施設にて義母に再会してみると、血色も良好そうだしご機嫌の様子だ。
 何と言っても、相手の姿が見えない電話での会話と実際に会うのとでは、その心理背景が大きく異なる事は承知だ。
 まずは身元引受人である私が施設を訪問した事に、心より安堵した様子だ。 満面に笑みを浮かべ、 「○子さん(私の事)少しお茶でも飲んで部屋で休憩しましょう」と誘ってくれるのだが、それをしていたのでは整形外科の受付が遅くなってしまう。
 「病院の待合室でゆっくりお話しましょうね」と義母を促し、施設よりタクシーに乗せる。

 そのタクシー内でも、よほど久々の私の病院付き添いが嬉しいのか義母は上機嫌で私に語りかけて来る。
 しかも、どうやら(義母の不注意で落としたのも含めて)幾度も買い替えた補聴器の調子も良さそうだ。 いつもならば補聴器を付けているにも関わらず会話が成り立たないのに、今回は私の大声が少しは聞こえているようで、理解出来た問いかけには返答をして来るし、自ら私に語りかけたい様子も伺える。


 さて、到着した整形外科(大病院の一診療科)は、相変わらずの混みようだ。

 結果として義母の診察順番まで待ち時間3時間を費やしたのだが、その間義母と会話が叶った内容等々から、私なりに義母の認知力低下の要因につき考察してみることとした。
 元々他者や外界の観察・分析力に鋭い私であるのに加え、そうでもしなければ、本心で快く認知力低下人物になど付き合い切れないのが本音でもある。

 こんな事を書くと、もしかしたら認知症状がある人物と直接関わった事がない方(あるいは頻繁にはかかわっていない方々)からは「もう少し親切に接してあげたらどうなの?」等々のご意見が届く事であろう。 ところが、認知力低下者との会合とはそう甘くはないのが実情だ。 もちろん親切に接するのが鉄則だ。 かと言って本音で会話が成立する訳がない事は、ご経験者にはお分かりいただけることであろう。

 そうした場合、どうしても介助者の演技力がものを言うということだ。 相手が何を欲しているかを探りつつ、「こう回答するのがベスト!」なるベストアンサーを脳内で模索しながらの対応となる。

 それをつつがなく実行する私に対し、昨日補聴器の調子が良かった義母が待ち時間の3時間に渡り私に心の内を訴え続けた。
 その内容とは、認知症状があってもなくてもお年寄り全般の共通項だろうが、“いつも同じ話題の繰り返し”である。  ただ既に慣れ切っている私は、その話題が100回目であろうが200回目であろうが、いつも初めて聞くかのごとく「へえー、そうですか!」などと相槌を打ちつつ耳を傾けている振りを義母の前で大袈裟にする。 (そろそろ、主演演技賞が欲しいものだ…)
 そしていつものことだが、それが心地よいのか義母の声が徐々に大きくなっていく。


 昨日も病院待合室にて義母より“いつもの話題”が展開されたのだが、この中から、義母の認知症状が何故低下したかを探れる話題を以下に紹介しよう。

 義母は元々、お江戸日本橋に船問屋を経営していた家系のお嬢さんとしてこの世に誕生している。
 金銭的には恵まれていたものの、「女に学は不要!」なる当時としては珍しくない歪んだ親の考えの下に、あくまでもお嬢さんとしての花嫁修業に勤しむ事を強要されたらしい。 
 ところが義母の兄である大卒の長男がふがいなかったらしく、結果として妹の義母がその後の家業を引き継ぐ事となった。 義母には養子の夫を取り、義母に船問屋(現世では海運業)の経営を実質任されたとのことだ。 (まるで、NHK連続ドラマ「あさが来た!」を再現するような話だが。)
 時代が変遷し、義母が産んだ子供達(我が亭主も含めて)にその事業を継く意思と能力がまったくない事が判明した時、義母は思い切ってその事業の営業権を赤の他人に(もちろん有償にて)譲渡した。
 ただ私の感想としては、要するに経営主だった義母に跡継ぎを育てる力量がなく、代々続いた船問屋(海運業)を軟弱な義母が手放して(潰して)しまったとも言い換えられよう。 そもそも私に言わせてもらうと、我が嫁ぎ先である原家一族は皆が生来のDNA資質として軟弱だ。

 その海運業経営当時から、義母は税務申告(青色申告)を一人で実施していたらしい。
 それが今尚義母の自慢である様子で、私に会うとそれを自分の力で実施していた事を幾度も告げる。 
 ところが一応税理士資格の半分を取得している私に言わせてもらうと、その内容とはド素人感覚の範疇を出ておらず、とんでもなく勘違いした申告を実施していた様子である。 そもそも義母は「脱税」と「節税」の違いすら全く理解出来ていない。
 それでも義母としては自分なりに一生懸命税務申告を実施していた事が過去の「プライド」であり、高齢に達した今尚その事実を私にいつも告げるのだ。
 これが、私にとっては悲しいし鬱陶しい。

 「学」が無いことが義母にとってそれ程悔しかったのならば、どうして自分なりに奮起して「学」を身に付けなかったのだろうか??  と思うのも我が疑問点の一つだ。  豊かな家庭に育った義母にそのチャンスは幾らでもあったはず、と私など推測する。
 義母として遅ればせながら、40代にしてそのチャンスを「料理学校」に求めた事も私は聞いている。 その腕を磨いたのは確かなものの、今現在一切料理に興味がない事実も気がかりだ。 要するにあくまでも“お嬢さん”のノリで、好きでもない分野に要らぬ時間を費やしたという事ではなかろうか??

 現在義母が入居している高齢者施設内での義母の行動も気にかかる。 
 何らの自主的活動をするでもなく、単に受動的に施設が提供するプログラムに興じている様子だ。


 そんな事に思いを巡らしていた頃、義母の診察順番となった。

 そして担当医師から告げられたのは、「骨折は完全に完治しています。 ところで、お義母さんは骨折中炊事をどうされていましたか?」  である。
 待合室で懇親に話を聞く私に対しては聴力があるのに、肝心の整形外科医の質問が一切聞こえず、勝手気ままに話を続ける義母だ。 
 仕方がなくその質問に付き添いの私が応えて曰く、「母は完全介護の施設に入居して長いですから、ここ4、5年一切の炊事をしていません。」 
 その回答に驚いた医師が「施設でそんなに甘やかされているのですか!?」 私応えて「炊事のみならず掃除も洗濯もすべてが施設任せです」  呆れた医師が義母に対して曰く「施設内でもっと動きましょうね」  その医師の指導も聞いていない義母を引き連れて、私は診察室を出た。

 まさに、上記整形外科医先生がおっしゃる通り! と私も再認識出来た思いだ。
 
 高齢者認知症患者を減らす第一の手段とは、高齢者自らが自分が生きて行くに必要な家事を最低限の課題として、男女を問わず自分自身でこなし続ける事と実感した。
 それを自分の力で実行し続けようとする意志を、高齢者自身が持ち続けることこそが肝要だろう。


 原左都子の私論結論をまとめよう。

 高齢域に達して「認知症」にならないための条件・鉄則とは…

   ○  生来のDNA資質
   ○  「学」や「交友関係」等、自主的に獲得した自身にとってプラスとなる後天的人生経験
   ○  高齢域に及んで後の「自己管理力」及び「主体的に生きようとする力」 (これは上記2つとダブるが…)

 これらすべてに於いて若き時代より義母は欠けている部分があるにもかかわらず、その事態に自身が気付かないまま、歪んだプライドを持ちつつ年老いてしまったのではないか? と思うふしがある…


 いやいや義母を反面教師として、年老いても「認知症」にだけは絶対になりたくない原左都子の勝手な論評に過ぎないエッセイだが…