(写真は、メディチ家の邸宅だったという ピッティ宮殿。)
アルノ川のポンテ・ヴェッキオ橋を渡ってそのまま大通りを南西の方向へ進むと、直ぐにピッティ宮殿がそびえている。
ここは、元々15世紀にピッティ家の邸宅として建てられた宮殿を、メディチ家一世が愛妻のために購入したとの歴史があるらしい。
その後増改築が繰り返され、現在では広大な宮殿内には「パラディーナ美術館」や「銀器博物館」「陶器博物館」「衣装博物館」等々、ゴージャスだったメディチ家の暮らしぶりを物語る展示が多くなされているとのことだ。
その広々とした前庭では、観光客のみならず地元の親子連れ等も寛いでいたようだ。
建物の外壁には、大きなライオンの顔の像が幾つもある。
どうやら、イタリアにはローマのみならずライオンの顔象が好まれて造られている様子だ。
サンマルコ美術館でもお目にかかったが、このピッティ宮殿の外壁にも大きなライオン顔象があり、
娘とその口の中に手を入れふざけている写真を幾枚か撮影した。
(左欄「フォトチャンネル」に掲載しておりますので、よろしければご覧下さい。)
アルノ川のポンテ・ヴェッキオ橋を渡ってそのまま大通りを南西の方向へ進むと、直ぐにピッティ宮殿がそびえている。
ここは、元々15世紀にピッティ家の邸宅として建てられた宮殿を、メディチ家一世が愛妻のために購入したとの歴史があるらしい。
その後増改築が繰り返され、現在では広大な宮殿内には「パラディーナ美術館」や「銀器博物館」「陶器博物館」「衣装博物館」等々、ゴージャスだったメディチ家の暮らしぶりを物語る展示が多くなされているとのことだ。
その広々とした前庭では、観光客のみならず地元の親子連れ等も寛いでいたようだ。
建物の外壁には、大きなライオンの顔の像が幾つもある。
どうやら、イタリアにはローマのみならずライオンの顔象が好まれて造られている様子だ。
サンマルコ美術館でもお目にかかったが、このピッティ宮殿の外壁にも大きなライオン顔象があり、
娘とその口の中に手を入れふざけている写真を幾枚か撮影した。
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