(写真は、娘生後1ヶ月頃1993.12の我が「育児日誌」ページを撮影したもの。 黒塗り部分は「〇子(私の本名)病院」と記されている。 緊急帝王切開手術にて超難産で我が子を産んだ私は、産後重症の膀胱炎に罹患し、娘1か月後も未だ微熱が続き通院を余儀無くされていた。)
エッセイのテーマが、突如として我が育児時代に舞い戻るが。
私が出産して四半世紀(25年)もの年月が流れているにもかかわらず…。
先だっての2019.01.28付朝日新聞夕刊にて、許し難き記事を発見した。
何でも今尚 、“その必要性に関する信憑性が欠ける”「哺乳瓶の消毒」を産婦に対し強制指導する産院が存在する事実に実に驚かされた原左都子だ。
記事によれば。
「長女が生まれてから1日8回、昼夜問わず3時間おきに母乳と粉ミルクを与えていた。哺乳瓶は毎回洗剤で洗い、消毒剤のタブレットを溶かした水につけた。 赤ちゃんは自分の手もなめているし、おもちゃ消毒もしていないのに、哺乳瓶だけ念入りに消毒する必要があるのだろうか?」と嘆くのは、生後8か月の赤ちゃんを育てる27歳の女性。
記事の途中を飛ばし、結論部分の大学教授のコメントを紹介しよう。
「完璧主義で疲れてしまい、子どもが可愛いと思えなくなる親もいる。気楽に楽しく子育てしてくことが一番です。」
ここで一旦私事を述べるならば。
我が25年前の授乳時に於いては、消毒剤ではなく授乳前にいちいち鍋で哺乳瓶を煮沸消毒していた。 夜中とて然り。 それを「絶対にせよ!」と厳しく産院から指導を受けていた。
郷里から育児応援に駆け付けた実母が、産後の肥立ちが悪く微熱も抱える私が日々夜中にもそれをする姿をみて、「そこまでする必要はないのではないか?」との意見を述べてくれた。
ところが体調が悪く微熱で意識朦朧としている私の脳内判断能力がマヒしていて、いつものように頭が働かないのだ… 「いや、これをせねば、この子が死んでしまう!」と本気で実母に対抗したものだ。
上記写真をご覧頂こう。
その尋常では無い身体状況で、私は更に毎日、上記のごとく詳細な「育児ノート」を付けていた。
写真のページには離乳食を含めたカロリー計算は未だ行っていないが、その後は日々摂取させたカロリーまで綿密に計算して記録した。 更に、「母子手帳」には身長・体重測定を定期的に実施し、グラフ化して記録したものだ。
まあ私の場合元々医学実験を主たる業としていた身でもあり、「実験ノート」記録に関してはお手の物だったのだが。
それにしても、今このノートを見直しても当時の衰弱した我が身体状況が蘇る。 上記大学教授がおっしゃる通り、子どもが可愛いどころか、我が人生で一番辛い時期だったと振り返る。
本エッセイ集開設直後期の2007.09.07公開「聖母マリアにはなれない(Part1)」より、一部を要約して以下に紹介しよう。
私は我が子が新生児・乳児の頃大きな失敗をしでかして、未だに後悔している事がいくつかある。
(以下は、1990年代前半の頃の話だ。 現在では、産院及び自治体の育児指導はこの頃より進化を遂げていることと信じたい。)
私が子どもを産んだ病院は授乳教育が徹底的にマニュアル化され、授乳時間が厳格に決められていて、毎日その時間になると母体の健康状態にかかわらず母親は全員強制的に授乳室に集合させられた。 そして、赤ちゃんのグラム単位の体重測定を経て授乳を行うのだが、母乳が足りない赤ちゃんには人工乳で補うという手順となる。 ところが、生まれたばかりの赤ちゃんと言えども千差万別であるし、また時にはご機嫌斜めで授乳を拒否する等のハプニングは当然のことであるのに。 その産院では、赤ちゃんが規定量を飲む(無理やり飲ませる)まで母親は病室に帰れないシステムとなっていた。 我が子は不運にも母乳も足りていなければ人工乳の飲み方も少ない子で、私と私の赤ちゃんは授乳の時間毎に授乳室に居残りとなり、授乳の都度胃が痛い思いをする辛い入院生活を味わう羽目となった。
この拷問に近い仕打ちを余儀なくされた産院を何とか無事退院したものの、元々完璧主義で神経質な私は、この後もこの産院の悪しき習慣を引きずってしまう。 後になってみれば、愚かな新米母親であった自分をつくづく恥じ入るばかりである。 だが、小さくていたいけな我が子を目の前にすると、その産院の授乳習慣に従わないとこの子は死んでしまうのではないかとの呪縛にがんじがらめとなり、冷静な判断ができなくなってしまうのだ。 医学的、教育学的バックグラウンドがあり、結婚・出産が遅かった分人生経験も豊富だと自負していたこの私でさえも…。
ただ幸運だったのは、我が子は退院後授乳量が急激に増え、準備した規定量を難なく飲み干してくれスクスク(というよりは丸々と)大きな赤ちゃんに成長してくれたことである。
ところが、今度は我が子のその大きさが新たな呪縛を呼び起こす原因となる。(Part2へ続く)
(以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を要約引用したもの。 その後Part2、Part3に於いて、徐々に我が身体が回復するにつれ本来の私らしさを取り戻しつつ、真に強い母親となっていく姿を綴っておりますので、よろしければご覧下さい。)
未だ、産院(や育児雑誌?)に於いて旧態依然とした授乳指導がなされている事実に愕然とさせられる。
そうでなくとも、出産直後の母体とは(私のように緊急帝王切開手術でなくとも)大打撃を受けているものだ。
そんな母体にも十分配慮しつつ、退院後は楽しい育児がなせるよう“大らかな授乳”を提案して欲しい、と切に希望する。
エッセイのテーマが、突如として我が育児時代に舞い戻るが。
私が出産して四半世紀(25年)もの年月が流れているにもかかわらず…。
先だっての2019.01.28付朝日新聞夕刊にて、許し難き記事を発見した。
何でも今尚 、“その必要性に関する信憑性が欠ける”「哺乳瓶の消毒」を産婦に対し強制指導する産院が存在する事実に実に驚かされた原左都子だ。
記事によれば。
「長女が生まれてから1日8回、昼夜問わず3時間おきに母乳と粉ミルクを与えていた。哺乳瓶は毎回洗剤で洗い、消毒剤のタブレットを溶かした水につけた。 赤ちゃんは自分の手もなめているし、おもちゃ消毒もしていないのに、哺乳瓶だけ念入りに消毒する必要があるのだろうか?」と嘆くのは、生後8か月の赤ちゃんを育てる27歳の女性。
記事の途中を飛ばし、結論部分の大学教授のコメントを紹介しよう。
「完璧主義で疲れてしまい、子どもが可愛いと思えなくなる親もいる。気楽に楽しく子育てしてくことが一番です。」
ここで一旦私事を述べるならば。
我が25年前の授乳時に於いては、消毒剤ではなく授乳前にいちいち鍋で哺乳瓶を煮沸消毒していた。 夜中とて然り。 それを「絶対にせよ!」と厳しく産院から指導を受けていた。
郷里から育児応援に駆け付けた実母が、産後の肥立ちが悪く微熱も抱える私が日々夜中にもそれをする姿をみて、「そこまでする必要はないのではないか?」との意見を述べてくれた。
ところが体調が悪く微熱で意識朦朧としている私の脳内判断能力がマヒしていて、いつものように頭が働かないのだ… 「いや、これをせねば、この子が死んでしまう!」と本気で実母に対抗したものだ。
上記写真をご覧頂こう。
その尋常では無い身体状況で、私は更に毎日、上記のごとく詳細な「育児ノート」を付けていた。
写真のページには離乳食を含めたカロリー計算は未だ行っていないが、その後は日々摂取させたカロリーまで綿密に計算して記録した。 更に、「母子手帳」には身長・体重測定を定期的に実施し、グラフ化して記録したものだ。
まあ私の場合元々医学実験を主たる業としていた身でもあり、「実験ノート」記録に関してはお手の物だったのだが。
それにしても、今このノートを見直しても当時の衰弱した我が身体状況が蘇る。 上記大学教授がおっしゃる通り、子どもが可愛いどころか、我が人生で一番辛い時期だったと振り返る。
本エッセイ集開設直後期の2007.09.07公開「聖母マリアにはなれない(Part1)」より、一部を要約して以下に紹介しよう。
私は我が子が新生児・乳児の頃大きな失敗をしでかして、未だに後悔している事がいくつかある。
(以下は、1990年代前半の頃の話だ。 現在では、産院及び自治体の育児指導はこの頃より進化を遂げていることと信じたい。)
私が子どもを産んだ病院は授乳教育が徹底的にマニュアル化され、授乳時間が厳格に決められていて、毎日その時間になると母体の健康状態にかかわらず母親は全員強制的に授乳室に集合させられた。 そして、赤ちゃんのグラム単位の体重測定を経て授乳を行うのだが、母乳が足りない赤ちゃんには人工乳で補うという手順となる。 ところが、生まれたばかりの赤ちゃんと言えども千差万別であるし、また時にはご機嫌斜めで授乳を拒否する等のハプニングは当然のことであるのに。 その産院では、赤ちゃんが規定量を飲む(無理やり飲ませる)まで母親は病室に帰れないシステムとなっていた。 我が子は不運にも母乳も足りていなければ人工乳の飲み方も少ない子で、私と私の赤ちゃんは授乳の時間毎に授乳室に居残りとなり、授乳の都度胃が痛い思いをする辛い入院生活を味わう羽目となった。
この拷問に近い仕打ちを余儀なくされた産院を何とか無事退院したものの、元々完璧主義で神経質な私は、この後もこの産院の悪しき習慣を引きずってしまう。 後になってみれば、愚かな新米母親であった自分をつくづく恥じ入るばかりである。 だが、小さくていたいけな我が子を目の前にすると、その産院の授乳習慣に従わないとこの子は死んでしまうのではないかとの呪縛にがんじがらめとなり、冷静な判断ができなくなってしまうのだ。 医学的、教育学的バックグラウンドがあり、結婚・出産が遅かった分人生経験も豊富だと自負していたこの私でさえも…。
ただ幸運だったのは、我が子は退院後授乳量が急激に増え、準備した規定量を難なく飲み干してくれスクスク(というよりは丸々と)大きな赤ちゃんに成長してくれたことである。
ところが、今度は我が子のその大きさが新たな呪縛を呼び起こす原因となる。(Part2へ続く)
(以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を要約引用したもの。 その後Part2、Part3に於いて、徐々に我が身体が回復するにつれ本来の私らしさを取り戻しつつ、真に強い母親となっていく姿を綴っておりますので、よろしければご覧下さい。)
未だ、産院(や育児雑誌?)に於いて旧態依然とした授乳指導がなされている事実に愕然とさせられる。
そうでなくとも、出産直後の母体とは(私のように緊急帝王切開手術でなくとも)大打撃を受けているものだ。
そんな母体にも十分配慮しつつ、退院後は楽しい育児がなせるよう“大らかな授乳”を提案して欲しい、と切に希望する。