元“科学者の端くれ”を自称している原左都子だが。
以前より、宇宙工学研究開発の“現実社会への貢献度”を推し量る事ほど困難な事実は他にないように感じている。
そうであるのにその研究開発のために莫大な国家予算を費やさざるを得ないのも、宇宙工学研究開発の特徴であろう。
これに対し、例えば「医学」などは研究とその結果との因果関係が万人に分かりやすい科学分野ではなかろうか。
研究が成功すると人命を救う事が可能となる。 (いやいや、そうでもないのに莫大な国家予算が注ぎ込まれたり、はたまた研究者の売名目的似非研究の存在も否定できないかもしれないが…。)
さて昨日、JAXA(宇宙航空研究開発機構)より探査機「はやぶさ2」が小惑星リュウグウへの着陸に成功した、との発表があった。
昨日のニュース報道はテレビ・新聞等々何を見てもこればかりで、その都度、JAXAのおっさんたち(失礼申し上げました!)ではなく、研究者達が感涙しつつ抱き合う映像がテレビ画面いっぱいに大写しされた。
もちろんJAXAとしては、歴史的快挙であろう。
それは十分把握しているものの、何分“天邪鬼”の原左都子だ。 この開発研究のために一体如何程の巨額国税が投資された事だろう、との側面ばかりが我が脳裏を巡る…
テレビニュース映像によると、巷の国民達は大喜びの様子だ。
宇宙ファンは元よりそうではなさそうな国民達も集結して、JAXAの成功を我が事のように祝う姿が一日中放映された。
さて、本日2019.02.23朝日新聞「社説」に於いては、JAXAの昨日の成功を単に祝うのみならず今後の展望に関する論評も記載されていたため、それを以下に要約引用させていただこう。
探査機「はやぶさ2」が小惑星リュウグウへの着陸に成功した。 資料採取のための弾丸を発射したことを示すデータも届いた。
地球に戻る予定の20年末までに、あと2回の着陸と人工クレーターの生成とないう前例のない試みが控える。 停滞気味の日本の科学界にあって、光明を見る思いだ。
数々のトラブルに直面しながらも工夫を凝らして地球に戻ってきたはやぶさは、多くの関心を呼び起こした。 貴重な分析結果も得られた。 その成果は人類共有の財産となり、日本の科学技術力を世界に示す役割も果たした。
ただし、足元は心もとない。 政府の宇宙関連予算はほぼ横ばいだが、安全保障や産業利用のための計画に重点的に割り振られ、科学分野は低迷している。 15年度は200億円あった予算は、今年度110億円にまで落ち込んだ。 今後、米トランプ政権が掲げる有人月探査計画に日本がどのように参加するのかの議論も本格化する。 場合によっては巨額の費用負担が生じかねず、結果として科学探査にしわ寄せが及ぶ可能性もある。
はやぶさ2号にも当初はなかなか予算がつかなかった。 「初代」が奇跡的な帰還を果たさなければそのまま塩漬けとなり、今回の快挙も実現しなかったかもしれない。 このような綱渡り状態が続けば、技術の成熟と継承はおぼつかない。
政府は宇宙開発構想を打ち上げるだけでなく、予算や人員の要請などで確実に下支えしていく必要がある。 そのためには国民の理解と支持が不可欠だ。 はやぶさ2号が持ち帰るであろう試料の分析を通じて、太陽系の成り立ちや生命の起源の解釈が期待される。
関係者は、この事業の目的や価値、そして宇宙をめざす根源的な意義を、社会に分かりやすく伝える事に、引き続き取り組んでもらいたい。
(以上、朝日新聞本日「社説」より要約引用したもの。)
ここで、余談に入ろう。
昨日昼間テレビのニュース解説番組を見ていたところ、当該JAXA成功ニュースに絡んで某女性解説者から「私も宇宙へ行きたくて、宇宙飛行士の試験を目指したことがある」なる談話が出た。
この談話を何気なく聞いた私は、漠然と(宇宙へ行きたいという人は少なくないが、その理由は何なのだろう??)と思い描いた。
少なくとも私の場合、その発想はまったくない。 何分“閉所恐怖症”気味でもある。 それより何より、宇宙にてあれ程の厳しいミッションの連続を達成せねばならない体力・気力の程を兼ね備えた人物とは、希少な存在であろうと心得る。 私には所詮不可能な業務のひとつにしか過ぎない。
それに対しJAXA(米国NASAも同様だろうが)職員(研究開発員)を目指す人材とは、あくまでも「宇宙開発科学者」であらんとしている存在であり、宇宙飛行士を目指す人物とはまったく別範疇に分類できるであろう。
(こんなところで私事の披露で恐縮だが、我が米国育ち日米ハーフの甥がNASAに就職を決定している。 大学院にて学位取得後、NASAにて宇宙開発科学者として将来活躍する予定だ。)
最後に、原左都子の私論でまとめよう。
JAXAもNASAもその規模は異なれど、まさに同様だろうが…。
“宇宙開発研究科学者の夢” と “国家財政による巨額予算” の間に、これ程までに整合性が取れない科学分野は他に類を見ないのではあるまいか??
上記朝日新聞「社説」に記載されているが、「政府の宇宙関連予算はほぼ横ばいだが、安全保障や産業利用のための計画に重点的に割り振られ、科学分野は低迷」する事実とは、国民全体の整合性を考慮した場合やむを得ない事実であろう。
(いや、安倍政権に長年操られている我々は、すべての国家予算に関して何らの“整合性”無き事実下に無理やり生かされているとも表現出来そうだが。)
ここは、昨日「はやぶさ2」の快挙に感涙し抱き合ったJAXA研究者達の涙を信じよう。
貴方達の宇宙開発研究に捧げる夢と努力こそがJAXAの行方を方向付け、今後の我が国の宇宙開発の未来につながる事であろう。
以前より、宇宙工学研究開発の“現実社会への貢献度”を推し量る事ほど困難な事実は他にないように感じている。
そうであるのにその研究開発のために莫大な国家予算を費やさざるを得ないのも、宇宙工学研究開発の特徴であろう。
これに対し、例えば「医学」などは研究とその結果との因果関係が万人に分かりやすい科学分野ではなかろうか。
研究が成功すると人命を救う事が可能となる。 (いやいや、そうでもないのに莫大な国家予算が注ぎ込まれたり、はたまた研究者の売名目的似非研究の存在も否定できないかもしれないが…。)
さて昨日、JAXA(宇宙航空研究開発機構)より探査機「はやぶさ2」が小惑星リュウグウへの着陸に成功した、との発表があった。
昨日のニュース報道はテレビ・新聞等々何を見てもこればかりで、その都度、JAXAのおっさんたち(失礼申し上げました!)ではなく、研究者達が感涙しつつ抱き合う映像がテレビ画面いっぱいに大写しされた。
もちろんJAXAとしては、歴史的快挙であろう。
それは十分把握しているものの、何分“天邪鬼”の原左都子だ。 この開発研究のために一体如何程の巨額国税が投資された事だろう、との側面ばかりが我が脳裏を巡る…
テレビニュース映像によると、巷の国民達は大喜びの様子だ。
宇宙ファンは元よりそうではなさそうな国民達も集結して、JAXAの成功を我が事のように祝う姿が一日中放映された。
さて、本日2019.02.23朝日新聞「社説」に於いては、JAXAの昨日の成功を単に祝うのみならず今後の展望に関する論評も記載されていたため、それを以下に要約引用させていただこう。
探査機「はやぶさ2」が小惑星リュウグウへの着陸に成功した。 資料採取のための弾丸を発射したことを示すデータも届いた。
地球に戻る予定の20年末までに、あと2回の着陸と人工クレーターの生成とないう前例のない試みが控える。 停滞気味の日本の科学界にあって、光明を見る思いだ。
数々のトラブルに直面しながらも工夫を凝らして地球に戻ってきたはやぶさは、多くの関心を呼び起こした。 貴重な分析結果も得られた。 その成果は人類共有の財産となり、日本の科学技術力を世界に示す役割も果たした。
ただし、足元は心もとない。 政府の宇宙関連予算はほぼ横ばいだが、安全保障や産業利用のための計画に重点的に割り振られ、科学分野は低迷している。 15年度は200億円あった予算は、今年度110億円にまで落ち込んだ。 今後、米トランプ政権が掲げる有人月探査計画に日本がどのように参加するのかの議論も本格化する。 場合によっては巨額の費用負担が生じかねず、結果として科学探査にしわ寄せが及ぶ可能性もある。
はやぶさ2号にも当初はなかなか予算がつかなかった。 「初代」が奇跡的な帰還を果たさなければそのまま塩漬けとなり、今回の快挙も実現しなかったかもしれない。 このような綱渡り状態が続けば、技術の成熟と継承はおぼつかない。
政府は宇宙開発構想を打ち上げるだけでなく、予算や人員の要請などで確実に下支えしていく必要がある。 そのためには国民の理解と支持が不可欠だ。 はやぶさ2号が持ち帰るであろう試料の分析を通じて、太陽系の成り立ちや生命の起源の解釈が期待される。
関係者は、この事業の目的や価値、そして宇宙をめざす根源的な意義を、社会に分かりやすく伝える事に、引き続き取り組んでもらいたい。
(以上、朝日新聞本日「社説」より要約引用したもの。)
ここで、余談に入ろう。
昨日昼間テレビのニュース解説番組を見ていたところ、当該JAXA成功ニュースに絡んで某女性解説者から「私も宇宙へ行きたくて、宇宙飛行士の試験を目指したことがある」なる談話が出た。
この談話を何気なく聞いた私は、漠然と(宇宙へ行きたいという人は少なくないが、その理由は何なのだろう??)と思い描いた。
少なくとも私の場合、その発想はまったくない。 何分“閉所恐怖症”気味でもある。 それより何より、宇宙にてあれ程の厳しいミッションの連続を達成せねばならない体力・気力の程を兼ね備えた人物とは、希少な存在であろうと心得る。 私には所詮不可能な業務のひとつにしか過ぎない。
それに対しJAXA(米国NASAも同様だろうが)職員(研究開発員)を目指す人材とは、あくまでも「宇宙開発科学者」であらんとしている存在であり、宇宙飛行士を目指す人物とはまったく別範疇に分類できるであろう。
(こんなところで私事の披露で恐縮だが、我が米国育ち日米ハーフの甥がNASAに就職を決定している。 大学院にて学位取得後、NASAにて宇宙開発科学者として将来活躍する予定だ。)
最後に、原左都子の私論でまとめよう。
JAXAもNASAもその規模は異なれど、まさに同様だろうが…。
“宇宙開発研究科学者の夢” と “国家財政による巨額予算” の間に、これ程までに整合性が取れない科学分野は他に類を見ないのではあるまいか??
上記朝日新聞「社説」に記載されているが、「政府の宇宙関連予算はほぼ横ばいだが、安全保障や産業利用のための計画に重点的に割り振られ、科学分野は低迷」する事実とは、国民全体の整合性を考慮した場合やむを得ない事実であろう。
(いや、安倍政権に長年操られている我々は、すべての国家予算に関して何らの“整合性”無き事実下に無理やり生かされているとも表現出来そうだが。)
ここは、昨日「はやぶさ2」の快挙に感涙し抱き合ったJAXA研究者達の涙を信じよう。
貴方達の宇宙開発研究に捧げる夢と努力こそがJAXAの行方を方向付け、今後の我が国の宇宙開発の未来につながる事であろう。