(写真は、3日前に訪れた旧古河庭園にて撮影したもの。 本文とはまったく関係がございません。 未だ新パソコン内にこれと「メゾン原」リノベーション物件の写真しか保存していない関係で、この写真を公開させていただきました次第です。)
前回のエッセイ内欄外にぼやかせて頂いたが、結局、壊滅的に壊れた旧パソコン内のデータは “諦めこそが肝心!” との結論に至った。
実際、それを誰が見たり利用したりするか? を考えた場合、この私しかいない訳だ。 そうした場合、我が心の踏ん切りさえつけば誰一人として困る人などいないことに気が付いた。
これに関連して思い出したことがある。 数年前に高齢者介護施設に暮らす義母が、「どうしても自分が気に入った写真で葬式時の遺影を作成しておきたい!」との我がままを言い出した。 そして私を捕まえて曰く、「〇子さん、私のお気に入りの写真を数枚用意したから、今のうちに遺影のプロと相談して一番良い写真で大きめの遺影を作成してくれる?」
葬儀は親族のみで執り行たいと言う義母だが。 なのに、そんな立派な遺影を作成して一体何処のどなたに見てもらいたいのか?!? 加えて認知症を抱える義母の保証人業とはそうでなくとも日々大変なのに、これぞ究極の我が儘!と当時の私はかなり怒り心頭 だった。 それでも義母のたっての願いを叶えるべく私は東奔西走した。 結果として、ネット通販にて複数枚の写真を送付すればプロが一番良い写真を選んで遺影を作成してくれる店舗を発見した。 そうして出来上がってきた義母の遺影は、我が娘が描いた油絵よりも数段大きいサイズかつカラー写真のラメ銀縁付きだった…。
で、あれから数年が経過した現在、義母本人は私が発注した「遺影」の存在など、忘却の彼方だ……
ついでに実母の方はと言えば。 元々写真にはこだわりのない人間だが、施設入居時に自らすべての写真を捨て去っている。 遺影の話題など一切出ないが、おそらくそれ用の写真を施設へ持ち込んでいて、いざとなれば「これを遺影に」と施設担当者にお願いするのだろう。 (と言うのも何分我が住まいから遠方に付き、おそらく急な葬儀準備に私は間に合わない。 施設へはその場合、施設提携の葬儀場へ運んで欲しい旨は伝えてある。)
さらについでだが、我が葬儀の遺影に関しては実母同様の様式を既に考慮している。
何故か葬儀の話題に移ろいでしまったが。
我が旧パソコン内保存データに関して、特に実に迷惑だった義母の葬儀時遺影に関しての記憶が蘇ったのだ。 結論としては、上記に記載済みだがそれらをすべて喪失したとて、誰にも迷惑をかける訳ではない事実に気づいたとの次第だ。 私自身の心の折り合いさえ付けられるならばそれで何ら問題無し、との簡単な結論を導けたとのことだ。
具体的な話をさせていただくならば。 一番無念なのは、我が2台前のパソコンより引き継いでいた写真群をもすべて失った事実こそが痛手だ。 その頃娘が未だ中学生、この私も未だ「原左都子エッセイ集」を立ち上げていない時期だ。 故に当該「原左都子エッセイ集」内にもその映像は少ししか紹介していない。 特に当時中2の娘を連れて出かけた「エジプト・ギリシャ・地中海クルーズ旅行」のデジタル映像の98%を喪失してしまった事実こそが一番悔やまれる… まあそれでも、ギザのピラミッドとギリシャ・アテネプラトンのアカデメイア前のプラトンとソクラテスの銅像写真は「原左都子エッセイ集」内で公開しているため、それでよしとしよう。
それ以前のアナログ写真のプリントは全て残してある故に、将来的に娘に迷惑をかけることもないだろう。
更には、「文書群」だが。 今後おそらく私が世にご意見する場合、当該「原左都子エッセイ集」が主体となるであろう故に、これも問題無いのではなかろうかとの結論に至る。
そうすると突如壊滅的に壊れたパソコンといえども、それ程までに嘆き悲しむべく対象でもない事実に気付かされる。 6年程の年月だったが、我がパソコン生活を支えてくれてありがとう! との思いを持って我が3代目パソコンを廃棄処分としよう。