原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

身内高齢者が可愛いと思える時と憎ったらしい時

2019年11月24日 | 人間関係

 (写真は、昨日娘が誕生日祝いに義母から譲り受けたダイヤモンドの指輪。 そもそも写真撮影能力に欠けるため、美しく撮影出来ていないことをお詫びします。)

 

 ちょうど1週間前に風邪をひいた私だが、実はこの風邪の症状が思いもよらず重かった。

 そんな時に限って無理難題が押し寄せてくるものだ。

 昨日は娘の誕生日だったが、この誕生祝いを外部の食事処にて行いたいと言い出したのは高齢者施設に住む義母である。  そう言われると、この私がその手配係となるのが必然だ。 

 日曜日の夜から喉の痛みが激しくなった私だが、あくる日の月曜日にはその手配のために動いた。 電話にての予約時にほとんど声が出ない。 それでも何とか通じて、席を確保出来た。

 そうしたところ、翌日の火曜日には発熱だ。 起きるのも辛いのだが、皆が私に“おんぶに抱っこ”の我が家では私が寝ていては成立しない。 発熱の体に鞭打っていつものようにルーチンワークを行っていると、再び義母から電話だ。 「ごめんなさい。せっかくの〇ちゃんの誕生祝いだけど体調が悪くて、やはり外部の食事処はやめたいの…」 まだ痛い喉を酷使して難聴の義母に応えねばならない。 出来る限りの大声で「分かりました。それではキャンセルしましょう。」  

 さて、木曜日が来た。 熱は下がったものの今度は咳が出続け、まるで喘息症状の我が身だ。 またまた義母から電話で、「何だかね、体調が良くなってきたのよ。やっぱり〇ちゃんの誕生祝いを外でしたい。」  電話口で私が咳き込んでいるのも聞き取れない義母に対して、これまた私が大声で応えて「予約が要らないところで誕生祝いしましょうか?!」  それにOKした義母だが…   次の金曜日には、「やっぱり体調が悪いから、〇ちゃんの誕生日会中止にしたいのだけど…」  多少喉の調子が回復した私が提案して、「それでは、明日の土曜日に〇を連れてお義母さんの施設へ一家3人で行きますから、そこで簡単なお祝いをしましょう!」  電話での文章が長いと、義母が聞き取れているのかどうかがあやふやだ。 それでも強引に約束時間を決定して、とにかく3人で施設へ行く!と大声で言い放ち電話を切った。

 

 その昨日土曜日の事だが。

 施設の義母の部屋を訪れると、義母が満面の笑みで我々3人を出迎えてくれる。 そしてすぐさま私に近づいてきて「〇子さん(私のこと)いつもお世話になってばかりで申し訳無く思っているの。 〇子さんのお陰で私はこの施設で暮らせると感謝しているわ。 これからも頼りにしているからよろしくね。  ところで郷里の〇子さんのお実母さんはお元気かしら??」  

 これ、いつも通りの私に対する義母の挨拶なのだが、昨日は特別その内容が丁寧だった感覚を抱いた。  実際、少しずつ義母の基本的体力が弱りつつある感覚もある…。  特に「郷里の実母」に対する言及に関しては、実母が弱って私が長期間郷里へ行かねばならない事態を懸念する義母の心理が痛いほど身に沁みて、その心細さの程が我が身にも染み渡る。  そこで応えて「お義母さん、郷里の実母は本当に元気ですから、私が長期間東京を離れる事などありません!」と応え義母を確信させることに集中した。  (ただ実際東京暮らしの私にして、娘のサリバン業を筆頭にそれほど長く家を留守にする訳にはいかない。 遠くに住む実母に関しては、有事の際には現地の世話人を雇う等の方策しか取れないであろうと考えている。)

 そんな義母が不憫と言うのか、何とも可愛いというのか…  それに加えて、いつも娘にプレゼントを用意してくれている義母に感謝の思いすら抱く。 

 ここで冒頭写真のダイヤモンド指輪の解説に入ろう。  義母からその「カラット」に関する説明があったのだが、その分野に疎い私は既に忘却している。  それにしても“花柄”の何とも可愛らしいデザインの指輪だ。  毎年のように義母から我が娘に義母が過去に使用していた宝石類を頂戴している。  そんな義母に対し、感謝の思いを抱かない訳がないではないか、との我が感想だ…

 

 あっと、憎ったらしいのは我が実母が本日寄越した我が娘への「誕生日祝い電話」なのだが。

 せっかく義母に関する 、娘へのダイヤモンド指輪プレゼントとの実質利益!を伴う“可愛らしい”までの美談を綴った後にして、興ざめすることを避けるため、この話題は後日に回した方がよかろう。