原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

“親の財布から金を盗む子ども”、どう対処する?

2020年08月15日 | お金
 つい先程、表題に関するネット情報を発見した。


 早速、以下に要約引用しよう。

 「小学4年生の娘が財布から5000円抜いていた」という投稿に反響 「私もやってた」「癖になっているかも」

 育児はとても大変だが、特に子供が悪事を働いた時の接し方に頭を悩ます親は多くいる。 某サイトに、「親の財布から子供がお金を盗む」というトピックが立った。
 小学4年生の娘が親の財布から5000円を抜いていることが発覚したという。 「友達と遊ぶお金が欲しかった」と泣きながら理由を述べたが、実は保育園の年長だった時にも盗んだ経験があり、これが2回目の"犯行"になる。
 善悪の判断ができるようになった小学4年生の娘の行いに怒り心頭し、思いっきり叱ったようだが、それでも不安感はぬぐえず「家庭、夫婦仲も悪くなく、クラスで孤立しているという話も聞いた事はありません。もう理解が出来ない」と苦しい胸の内を綴った。
 「お小遣いが欲しい」と言いにくい空気感があった?
 かつて親の財布からお金を抜いたことを懺悔するコメントが散見された。
「私もしてた。うちはゲームや流行り物も無く、服もお古。貧乏だと子ども心に思い込んでて、お金ほしいとかあれ買ってほしいって言えなかった」
「私も親の財布からお金取ったことある…中学生の時だから善悪の判断もできる歳なのに。他の子と一緒にプリクラ撮ったり遊びに行ったりしたくてやってしまった」
 やはり欲しい物があったり、友達と遊びたかったり、といった理由でお金を盗んだ経験のある人は少なくないようだが、今でも罪悪感に苛まれている人もいる。 
 過去にお金を抜いた負い目から、「あれが欲しい」「遊びに行くからお金頂戴」と言いにくい空気感が親と娘の間にあった可能性もある。 (中略)
 窃盗する際の緊張感や窃盗後の解放感・達成感に憑りつかれてしまう精神症状"クレプトマニア(窃盗症)"が近年問題視されるようになったが、娘も心の渇きを満たすために窃盗をしてしまったのかもしれない。繰り返される場合は、「専門家に依頼する」という選択肢を念頭に入れたほうが良さそうだ。

 (以下略すが、ネット情報より一部を引用したもの。)



 私事に入ろう。

 私が子どもだった頃に、この種の経験が全く無い。
 本エッセイ集内で幾度となく公開しているが。
 小学校低学年頃からむしろ「お金を貯める」趣味(面白さ)に芽生え、小遣いの残り銭を肝油ドロップの缶に貯め込んだものだ。
 その“趣味”は中学生になって小遣いを札で貰えるようになって以降も続いた。
 高校生になった暁には近くの郵便局へ一人で行って「郵便貯金通帳」を作り、それまで貯め込んだ小遣いをそれに移しつつ、ますます小遣い貯め力を増強した。
 大学生になった後はアルバイトで稼いだ金をこの通帳に入れ、大学卒業後単身で上京する際にはこの通帳預金が大いに役立った。
 外見も行動も派手な私故、“浪費家”だと後ろ指をさす周囲連中が多い中。
 我が貯蓄増強力は衰えを知らず、ついに30歳独身時に自分が単身で住むマンションを購入した。 全額現金払い出来る程手元に貯蓄があったが、ローン会社の勧めで住宅ローンを組み、その後独身のうちに全額完済した後に晩婚に至っている。


 そんな母親(私のことだが)が育てた一人娘も、貯蓄力が凄い!
 決して特別な金銭教育をした訳ではない。 娘自身が母親である私の背中を見て育った結果であろう。
 現在社会人5年目にして、既に私が30歳時点で単独でマンションを購入した時と同等額程度の金を貯め込んでいる。 (まあ娘の場合はずっと親元で暮らしていて給与のほとんどを貯蓄に回せる立場故に、私が単身で貯めたよりもずっと容易な技なのであろうが。)

 その娘が今までの人生に於いて、まさか親の財布を当てにしたことは皆無だ。

 故に、冒頭のネット情報の事例を論評するのは難しい立場なのだが。



 私見に入ろう。

 失礼な表現かもしれないが冒頭事例のような場合、家庭(親)自体が何らかの事情を抱えているとも推測出来そうだ。

 小学4年の少女が友達と遊ぶのに何故5000円との大金が必要なのか? そもそも私には想像不能な世界だ。 そこから既に論理破綻だ。

 その辺の子どもの周囲環境等に親が日頃から目を向け大事に見守ってやっていれば、子どもが親の財布に手出しする等の犯罪行為を子どもにさせずに済むはずだ。
 そんな環境作りさえも出来ていない家庭において、このような子どもによる犯罪が成り立ってしまうのだろう。

 要するに、子どもが親の財布に手出ししてしまった段階では既に遅い。
 可愛そうだがその子はその悪習を今後も繰り返してしまう姿が、我が目には見えてしまう…😰 

 まさに子どもとは“親の背中を見て育つ”生き物である。 一人しか子どもを産んで育てていない私だが、それを重々実感してきている。

 今後の対策としては、親こそが子どもに見られて恥ずかしくない“背中”を見せる努力を、遅ればせながらでも実行してはどうだろうか?