表題は、最近ネット上で見た一情報なのだが。
原左都子としてはその記載内容を読まずして、何が言いたい記事なのか想像がつく。
要するに、親の所得が高い家庭の子の既婚率は高くて、親の所得が低い家庭の子の未婚率が高い、と言いたい内容なのだろう。
それでは早速、当該ネット情報の一部を以下に要約引用しよう。
生涯未婚率 「学歴」だけでこうも違う過酷な現実 親の所得低いほど子の未婚率が高いという衝撃
(陰からの原左都子の小声だが)「ほら、やっぱりね!」😖
国勢調査では10年に1回、最終卒業学歴のデータを調査している。 先ごろ行われた2020年はその10年に1回に当たる。学歴別のデータと年齢別配偶関係のデータを掛け合わせると、学歴別の未婚率が計算可能となる。
今回は、10年ぶりに更新された学歴別の未婚率についてみてみよう。
男女で大きく異なる年齢・学歴別の未婚率
各年代5歳階級別の最終卒業学歴別の未婚率を、それぞれの性別の年代別全体未婚率との差によって示したグラフ。個別の細かい数字ではなく、「高卒以下」「短大・高専卒」「大卒以上」の3つに分類した場合の、男女の違いの全体像。
これを見ると一目瞭然だが、男女で大きく異なる。
まず、男性の場合は、高卒以下と大卒以上が正反対の傾向となっている。つまり、大卒以上の学歴の男性は全体平均よりも低い未婚率で、結婚しやすい境遇であることがわかる。
一方、女性では、高卒以下とそれ以外とで正反対になる。 男性同様、高卒以下と大卒以上は対照的だが、その向きは男性とは逆。高卒以下の女性の場合、20代での既婚率が高く、30代でいったん苦戦するものの、生涯未婚率である50歳以上はおおむね全体平均以下の未婚率に収まっている。
大卒以上の女性は、ほぼすべての年代で平均以上の未婚率であり、本来最も女性の初婚数が多い29歳までの年齢において、大卒女性はむしろ最も未婚率が高い状態となってしまう。
深刻なのは高卒以下の男性の未婚率
それよりも、深刻なのは高卒以下の男性の未婚率が高いこと。 男性の未婚率は2020年には28%(不詳補完値)とほぼ「3人に1人は生涯未婚」という状況になっているが、それらは高卒以下の男性の未婚化の影響が大きいといえよう。
言い方をかえると、大卒でそこそこの企業に就職して一定額以上の年収を確保できた男性は結婚することができたが、この30年も続く不景気の中で年収を増やすことができなかった高卒男性が未婚のまま取り残されたという見方もできよう。
そして、これは、女性に関しても微差ながら同様に見られます。全体の上昇幅より大卒以上は少なく、高卒以下の女性の未婚率が全体を引き上げている。男女とも高卒が結婚難の時代になっている。 (途中大幅略)
学歴による給料の差は今に始まったことではない。むしろ戦前のほうが、格差は大きかったと言える。
親の所得が子の結婚に影響!?
大卒と高卒以下とでは確実に年収格差が継続してきた。 それでも、昭和の高度成長期のように、高卒であっても真面目に勤め上げれば中間層としての年収が保障されていた頃は、まだ将来の安心もあったし、結婚にも踏み切れたことだろう。
しかし、現代は、ただでさえ給料が上がらないのに加えて、知らないうちに税金や社会保障費がじわじわ上げられて、可処分所得は減り続けているという状態。そうした非消費支出のステルス値上げの被害をいちばん受けているのが、若い独身男女だ。
本人の学歴によって将来の所得格差が生まれてしまうことは間違いのない現実だが、残酷なのは、生まれた両親の所得状況によって子どもの学歴はある程度決定づけられているという現実だ。
親の所得と子の学歴は相関する。いい大学に行ける子は親が裕福だから行ける。本人の学力や努力だけの問題ではありません。どんなに優秀で医学部に行きたいと子が願っても、その学費を払う能力のない家の子は進学することは不可能だ。
さらにいえば、親の所得は子の結婚にも影響する。
経済構造上の問題が未婚化という形で顕在化
格差の話題では男女格差が取り沙汰されますが、性別以前にそうした親の環境による世帯格差も考えなければならない社会課題だと思う。
「結果の平等」はないが「機会の平等」はあるという人がいます。本当だろうか?
機会すら与えられない子どもたちは現実に多くいる。進学したくてもできない、やりたい仕事にもつけない、結婚したくてもできない、そうした声にならない叫びが埋(うず)もれている。
2世代に渡って50年前からくすぶっていた経済構造上の問題が、今まさに未婚化という形で顕在化しているとは言えないだろうか。
(以上長くなったが、ネット情報よりごく一部を引用したもの。)
原左都子の私事及び私見に入ろう。
この私自身は高学歴である事には間違いないが、決して我が親どもが(両親共々地方公務員だった故に収入は少なくなかったとしても)高学歴だった訳ではない。
そのため特段子に対して教育熱心でもなければ、決して一生懸命学問を頑張って立派になれ!と子に言い続ける親でもなかった。
今振り返ると私自身が不思議なのだが。
そのような環境下で何故に私はこれ程までに学業に専念し、上京した後も医学分野及び教育分野等々の業務に頑張ってきたのだろう?
それを、今考察してみるに。
そんな我が親どもの教育に対する貧弱な姿勢に大きな反発心を抱きつつ。
(何で我がアホ親どもは、こんなにも優秀な私に期待しないのか!? 私は立派になってやるぞ! ただの人間で終わるものか!! )
なる反発心が沸き上がり、(実際問題、郷里の医学部卒業までは親どもの経済力に依存したが)。
郷里より単身上京後は、私自身の収入源を頼りに我が学問・職業を実行・成就した人生だったと振り返る。
それにしても、この私など「もはや戦後ではない」なるスローガンが掲げれられたバリバリ昭和の時代に、この世に生を受けた人間だが。
その頃よりも今の時代の方が感覚的、いや実質的に“貧困”が急激に進んでいる様相にまで落ちぶれている実態に、心が痛む思いでもある…