そう言う私も根っからの「朝日新聞」ファンであり、読売新聞には全く興味が無いのだけど…
郷里の自宅ではずっと地元の新聞を定期購読していて、それを私も垣間見ていた。
上京後しばらくは仕事に遊びに超多忙で、とてもじゃないが新聞に目を通す時間はとれなかった。
当時は女性が25歳を過ぎて尚単身でいると、「売れ残り」だの「行き遅れ」だの後ろ指をさされる運命にあったのだが。
その頃から私的時間に多少の余裕が出てきたというのか、いっぱしの社会人が新聞に目を通さずしてどうする!? なる使命感にも燃え始めて。
そして、私が迷いなく選んだのは「朝日新聞」の購読だった。
朝はどうしても読む時間がとれないため、その新聞を勤務先へ毎日持っていき、「一人昼飯」の残り時間を日々朝日新聞愛読タイムに充てた。
その頃からだろうなあ。 私の「時事論評」癖が身についたのは。
この習慣のお蔭で私は仕事・恋愛三昧に加えて、“社会性”も身に付けていけた。
そして、30歳を過ぎて再入学した大学にて「経営法学修士」を取得できたのも、当時の専門ではない「量子力学的実在論」や「プラトンのイデア論」等々に没頭できたのも、この朝日新聞愛読がその根底にある事には間違いない。
さて、それでは表題のテーマに戻そう。
今回取り上げるのは、朝日新聞2002.05.29付「社説余滴」 科学社説担当・黒沢大陸氏による「本件、私は読売に同感です」だ。
早速、当該社説の一部を以下に要約引用しよう。
科学社説担当だけどコンピューターに詳しくない。 スマホ利用は極力減らしてネット浸りを避けたい。
こんなアナログ人間だからデジタル教科書導入に違和感を持っている。特に気になるのは学習効果だ。
経済協力開発機構(OECD)の国際学習到達度調査では、デジタルより紙に親しむ生徒の方が読解力が高かった。 紙の方が、記憶や読解の効果が高いとする研究も複数ある。
デジタルの方が、理解が深まることもあるだろう。 立体図形の把握は買い転ずる動画を見ればわかりやすそうだ。 それは教科書でなくとも教材で足りるだろう。
文科省は2024年度の本格導入に向け、全小中学校への提供を始めた。
子どもに影響が大きい政策。 効果と弊害の検証を深めてからでは遅いのか。 (途中大幅略。)
デジタル教科書に関する資料の内容を担当課に求めて、届いた資料には。 賛否両論や熱心な注文や指摘が書き込まれていた。 学習効果に否定的な研究を示した意見、公表資料にはない「メリットばかりが強調」「課題の検証を後回し」との表現も目に付いた。 ただ、文科省が神経質になるような内容とは思えなかった。
デジタル教科書について弊社は昨年3月の社説で、「国は前向きに取り組んで欲しい」と主張した。 当時は、社内でも慎重論もあったが、推進論が多かったそうだ。
一方、読売新聞は今年4月に「神を補助する活用法が有効だ」とする社説を載せた。 これまでも慎重な対応を求める社説を繰り返し掲載、教育効果に疑問も投げかけ、関連記事も多い。
意見を異にすることが多い新聞だが、本件については、同感してしまう。
(以上、朝日新聞「社説余滴」より要約引用したもの。)
最後に、原左都子の私見を述べよう。
私の場合は、「紙教科書」を元より紙文化の下で学習や学問に励んできた世代であるため。 やはり「デジタル教科書」と言われても、その実態がよくつかめない気がする。
ただ「デジタル教科書」化とは言えども、当面は紙との共存状態が続くのか?? との実態をよく知らずしての甘い考えもあり、その議論はもっと後でもよいのか? と捉えたりもする。
その立場からこの問題を考察した場合、当該議論を急ぎ過ぎることなく、しばらくは共存状態で試行錯誤すればよいかと思ったりもするのだが。
ただそういう意味では、朝日新聞社の黒沢大陸氏がおっしゃる通りことを急ぎ過ぎるのではなく。
読売新聞の主張にも耳を傾けつつ、時間をかけて議論を重ねるべきと考える。
それにしても、朝日新聞社の黒沢大陸さん。
あなたの勇気ある「本件、私は読売に同感です」発言は。
徹底して朝日新聞ファンである私も立派であると感じ、拍手申し上げます!!😃