本日2022.06.03付朝日新聞「論の芽」欄に、冒頭の表題に関連する興味深い記事があった。
「『すみません』よりも、『ありがとう』にしませんか 東京学芸大学名誉教授 相川充さんに聞く」と題する当該記事を、以下に要約引用しよう。
日常生活や仕事のやり取りで、よく耳にするのが「すみません」「申し訳ありません」といった謝罪の言葉。 必ずしも謝る場合だけでなく、相手に感謝する場面でも頻繁に使われている。 なぜなのか。 人づきあいの心理学が専門の相川充名誉教授に聞いた。
他人に何かしてもらうと、ありがたいとか申し訳ないとか、何らかの気持ちが沸き起こる。 大きく分けて二つの要素が相手への気持ちを決めると心理学では考えられている。
一つ目は、「うれしい」とか「助かった」とか思う事で表されるような、自分の得た利益の大きさ。 二つ目は、相手が自分のために費やした時間や労力金銭などの負担の大きさ。 二つの要素の大きさの合計が、「相手への気持ち宇」の大きさになる。 心理学研究では、これは世界の主要国で同じだと確認されている。
ただ、「自分の利益」と「相手の負担」のどちらを重視するかは、国や文化により異なる。 欧米では「自分の利益」が重視されていたのに対し、かつて私が論文発表した研究では、日本では「相手の負担」が重視されていた。
個人主義ではなく集団主義の日本では、まず集団があって自分がいるので、互いに自分を譲って相手を立てる。 そんな相手になにかしてもらえば「大変な思いをさせてしまった」という気持ちが先に来る。 だから日本人は、こうした場面で「すみません」「申し訳ありません」と、謝罪の言葉で対応することが多い。
ただ、感謝を示すのに「すみません」を繰り返していると「相手に迷惑ばかりかけている」という気持ちが募り、心の重荷が増えていく。 感謝したい場面では、きちんと「ありがとう」と言いませんか。 「ありがとう」という感情を相手に伝えることで、満足感や自尊心が高まることもわかっている。
感謝を伝えるのは本来ポジティブな場面。 「すみません」とネガティブに自分を下げず、「ありがとう」と言ってポジティブを体験することが大事。 行動を習慣化すると、いずれその行動が人格に影響を与える。 そうした心理学の考え方の実践で心の負担を減らせ、周囲にも自分の心にも変化があるはずです。
(以上、朝日新聞「論の芽」より要約引用したもの。)
原左都子の場合、医学部時代に多少「心理学」にも触れる機会があったように記憶しているが。
それにしても表題のように、私が普段から「すみません」よりも「ありがとうございます」を多発するのは、決して上記引用文中にあるがごとく、心理学的論理に基づいての事ではない。
ただその感覚は心理学を学ばずして、我が心理の根底に既に存在していた。
上記引用文中にも書かれている通り、日本人とは「すみません」を多発し過ぎる人種であると私もずっと認識してきている。
この場面では「すみません」ではなく「ありがとう」と言いべきだろう?? と私が思う時にも、返されてくるのは「すみません」。
何だかこちらが謝罪を強要しているようでもあり、違和感を抱かされる場面を経験することが今尚多い…😵
そこで私が実践に踏み切ったのが、「すみません」は極力辞めて、「ありがとう(ございます)」を連発することだった。
いやもちろん、明らかにこちら側のミスをお詫びする場面では「すみませんでした。」と相成るのは当然の事だが。
そうではなく、例えば「助かったなあ」なる感覚の時にも「ありがとうございます」と返す習慣をずっと身に付けてきている。
コロナ禍以前に数回海外旅行をした際にも、例えば道を尋ねて現地の人々がそれに応じて下さった時等には、笑顔で「Thank you!」を多発したものだ。
必ず現地の皆さんも、笑顔で「You are welcome!」と返して下さった。(参考だが、英語ネイティブでない国ではこの表現を用いることが多いようだ。)
そうではなく自身の粗相等を謝る場面では、当然ながら「I,m sorry.」なのだが、これに対しても優しく「Never mind!」を返して下さったものだ。
それらの自らの体験によっても。
人の心が受け取る「すみません」「ありがとう」に対する思いとは、もしかしたら世界共通であるのかもしれない、と結論づけたい気もする。
そうだとした場合、まさに心理学者であられる相川名誉教授がおっしゃるとおり。
特に相手に感謝の気持ちを伝えたい場面では、「すみません」ではなく。
「ありがとう(ございます)」と発する方が、より相手に気持ちが伝わるのではないでしょうか?!!