それは、どうしてかと言うならば。
おそらく親である私が、我が娘が「一人っ子」であることをプラス評価というよりも賞賛しつつ育ててきていて、娘本人もそれに同意出来ているからではあるまいか?
本日2022.06.29付朝日新聞「声」欄の”どう思いますか”のテーマは「一人っ子」だった。
内容は割愛するが。
6名の投稿者の投稿内容すべてが、ご自身が「一人っ子」として生まれて来たことをマイナス(どちらかと言えばマイナス)と捉えているようだ。
投稿の表題のみを紹介すると。
「一人っ子は可哀想? 気楽な私」 「堂々と名乗れぬ 社会の視線」 「一人でも二人でも いなくても…」 「きょうだいの自慢話がつらい」 「自由と責任 プレッシャーか」 「『二人っ子』になった あの数年」
では何故、原左都子の我が家は「一人っ子」家庭を選択したのか?
その理由も至って簡単で、第一の理由は高齢出産だったからに他ならない。
見合いにて婚姻に至った我々高齢夫婦は、結婚が決定してすぐにその話し合いを持った。
「子どもはどうする?」
「出来たら産むし出来なければ要らない。 ただし高齢出産になるから、子どもは一人でよい。」 この解答で夫婦の意思がものの見事に一致した。
(参考だが、この話し合いを持った時点で私は既に娘を身ごもっていた。その事実が判明した時は何とも出来過ぎた話だと、そのラッキーを称え合ったものだ。)
ただ私側には、別の理由もあった。
私が40代前半時点(娘が4歳時点)で、私は現在米国に暮らす実姉との縁を切っている。
元々“異常人格者”(この表現を親どもは拒否するが、医学関係者の我が判断ではそういうことになる)である実姉との関係に幼いころから難儀させられ続けた妹の立場の私だった。
私が高齢出産にて我が娘を超難産にて産んだ時に、米国の姉が私にわざわざ電話にて何と言ってきたかと言えば、「先に産みやがって! 私がどれだけ辛いか分かるか!!」だった。
私側としては十分に想像がつく姉の悪態なのだが、その頃から姉との縁切りを考慮していた。
そして我が娘が4歳になった時に、今度は姉が何を言ってきたかと言うと。
(おっと、本エッセイ集バックナンバーにてそれを記載済みなのだが、今となっては忘却している。 これぞ、ラッキー、そんな嫌なことは思い出したくもない!)
とにかく、米国の姉が私の堪忍袋の緒が切れる悪態をついてきて…
その時、私の口からすんなりと冷静に出たのが。
「もう縁を切りましょう。 私の方は今現在幸せに暮らしている。 貴方も米国で幸せになってくれたらそれでいい。」
これを至って冷静に告げたところ、姉からの反論も無くて電話は切れた。
今の時代、情報伝達媒体手段において「着信拒否」制度等々の利便性が図られている事実にまさに助けられるし安堵する。
その後親を通して、姉から「妹と連絡を取りたい」旨の意向が何度か伝えられたが。
その都度、私は親(母親)に訴えた。「貴方は親でありながら、下の娘である私の姉に対する苦悩を全く理解出来ていない! どれ程の迷惑を長年に渡り姉から被ってきたのかを少しは知ってものを言ってくれ! 姉と復縁などしたら私はまたもや地獄に突き落とされる。 今は家庭を築いて東京で幸せに暮らしているのだから、絶対に米国の姉に私の連絡先を伝えるな!!」
既に高齢に達している実母だが、母本人も長女である実姉に未だ難義させらている身にして、我が訴えを受け入れてくれたようだ。
その後も、米国の姉から何らの連絡が無い事実に命拾いの有様だ。(どうやら、ネットに疎い人種の様子で助けられている…)
最後に、「一人っ子」に話題を戻そう。
上記のような事情があって、この私は物心ついたころから「一人っ子」に憧れていた。
子ども心に、いつもいつも思っていた。
私にこんな“人格異常”の姉がいなかったならば、私はもっとずっと自由に羽ばたけただろうに、と。
それ故に、私にとってまさに「一人っ子」とは子供の頃からの理想像だったと言えよう。
そんな身にして、我が子が「一人っ子」であることに対して何らの心の悩みも無い事実が、我が娘の成育上大いに役立ってきた気すらする。
その娘が家を出て独り立ちして、早いもので2か月が過ぎた。
未だにこちらから連絡しないと連絡を寄越さない我が家の一人娘だが。
きっと自らが選んだ一人暮らしを、娘なりに日々堪能していることであろう。