本エッセイ集 2022.11.10付バックナンバー「現代医療に於ける“リハビリ”が果たす役割の大きさ」と題するエッセイに於いて、私は以下の文章を綴り公開している。
再掲載させていただこう。
(私が現在お世話になっている)病院・整形外科患者の退院判断は、リハビリ担当者がその権限を握っているとの事で。 その担当者のA氏より「退院OK」のお墨付きを頂戴し、私は退院の権利を得て。
晴れて、“自由の身”を手中にしたとの訳である。
それにしても、確かに理学療法士による「リハビリ」との施術が進展して以降、整形外科分野での医療の在り方が180度変化進展した感を抱かされる。
“患者をある程度まで自立させて後に世に戻す。”
この思考・方針は、今後も医療に於ける中心理念として息づいていくことだろう。
晴れて、“自由の身”を手中にしたとの訳である。
それにしても、確かに理学療法士による「リハビリ」との施術が進展して以降、整形外科分野での医療の在り方が180度変化進展した感を抱かされる。
“患者をある程度まで自立させて後に世に戻す。”
この思考・方針は、今後も医療に於ける中心理念として息づいていくことだろう。
(以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)
今週の月曜日にも当該病院のリハビリ科にて、理学療法士氏より退院後4度目のリハビリのお世話になったのだが。
退院後はいつも異なる理学療法士が、私のリハビリを担当して下さっている。
今週月曜日の担当者氏は、女性だった。
いつものように、怪我の状態や日々の暮らし方等々リハビリに役立つ会話の雑談をしつつのリハビリが展開した。
それに関しては、何ら問題は無いのだが。
その回の担当者が、少し“手荒い”ことを感じ始めたのは、リハビリが開始して10分後頃の事だっただろうか?
私の膝に対する措置に比較的強い痛みを感じるため、それを正直に言葉で表現すると。
担当者氏がおっしゃるには、「手術後1か月が経過しようとしているこの時期に、この措置に耐えられ得ないとすると問題がある…」 そのようなニュアンスの返答をし始めた。
そう言われてみても私としては痛いものは痛いため、少しお手柔らかにお願いしたいものだが…
その後も措置中の痛みが続き、私はリハビリによる痛みを抱えたまま自宅に帰るはめとなった。
帰宅後もやはりリハビリ(打撃)を受けた膝が痛むものの、その日はその痛みを我慢して過ごした。
その後3日が経過した現在の膝の痛みは、平常レベルに戻っているのだが。
今の私は、正直言って当該病院のリハビリ施行に対し違和感を感じてしまっている。
元々医学部出身で医学関係者の私だが、そもそも “痛み”に関する我が考えは表題に掲げた通りだ。
繰り返すならば、“痛み”とは身体に発生した「異常」を知らせるシグナルの一つ”。
そうであるからこそ身体に“痛み”が発生した時には、とりあえずの措置としてその“痛みを抑える”べく行動に出るのが常識であろう。
ところが、現在通院中の病院で行われているリハビリとは。
「痛みを我慢してでも、(例えば)早く膝を90度曲げられるようにならねば、通常世界で暮らしていけない! “痛い!”と言っていないで、鎮痛剤を飲んででも痛みを麻痺させて、膝曲げのリハビリに耐え抜くべき!!」
要するに、そういうことなのであろう。
その気持ちが分からなくもない。
実際問題 現役世代の人々は、退院後すぐに現役職場に戻らねばならないであろう。 その身で、「私は膝が90度曲げられませんから、この仕事はスルーさせて下さい」という訳には行かないのはこの私も重々承知だ。
ところが私自身に関して言うならば、既に現役を引退している身だ。 もちろん、それでも日常生活上、膝が90度曲がった方が利便性が高いに決まっている。 それはそうなのだが…
とにかく、元々“医学措置慎重派”の私だ。
「痛み止め薬を飲んで痛みを和らげてでも、リハビリにて膝が早急に90度曲がるように努力せよ!」との指導には、どうしても従う気にはなれない。
これを次回リハビリ科へ行った際に、担当者に伝えるかどうかなのだが。
そんなこんなを考えていると、病院通いが嫌になるというものでもあるが。😫
次回の通院日は11日先のため、それまでに我が解答を出そうと考えている。