原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

学校給食に於けるアレルギー死亡事故を完全撲滅するには

2022年12月20日 | 教育・学校
 本日の話題は、学校給食におけるアレルギー死亡事故に飛ぶが。


 今からちょうど10年程前に東京都調布市の市立小学校で給食を食べ、アレルギーショックで亡くなった小学5年生の女子に関するエッセイを、私は我がエッセイ集内で綴り公開している。


 以下に再掲載しよう。

 2012年12月に東京都内某公立小学校において、食物アレルギーのある女子児童が、担任が誤って渡した給食の食材によりアナフィラキシーショックを起こし死亡するとの痛ましい事故があった。

 このニュースを先だってNHKニュースで見聞した原左都子だが、その報道のし方に大いなる違和感及び疑義を抱かされた。
 当該NHKニュース報道では、「女児が給食で『おかわり』をした際に担任が手渡した食材によりアレルギー反応が起こった」との表現を用いていたのだが、ニュース表題にも「おかわり」の文字を使用する等、女児自身が「おかわり」をした事を殊更強調しているかのように私の耳に入ってきたのだ。
 これでは、まるで「おかわり」をした女児側の自己責任範疇の事故と視聴者に受け取られかねないのではあるまいか?!?
 とんでもない話だ。 
 女子児童は未だ11歳の小学5年生。 もしも周囲の児童達が元気よく「おかわり」をするのが日常であったとするならば、女児とて担任が自らのアレルギー体質を理解してくれているものと信じ「おかわり」を要求することは重々想定内の出来事であろう。

 今回の我がエッセイは、当該事故を時事問題あるいは医療問題として取り上げる趣旨ではないため、ここでは専門的な発言を差し控えることとする。
 ただ、元医学関係者として一言のみ私論を付け加えさせていただくならば、義務教育現場は一部の児童が抱えている食物アレルギーを絶対に軽く捉えてはならない事を再認識するべきである。
 現在公立小中学校に通う児童達は、全員学校で給食を取る事を強制されている。 そうであるなら尚更、現場の教職員は一部の医療的弱者児童の存在を肝に銘じるべきである。 一見元気そうだからと、児童が抱えている体質を安易に見過ごしてはならない。 
 
 学校給食が元でアナフィラキシーショックにより命を落とす児童は、今回に限らず後を絶たない現実だ。
 もしも学校現場の教職員がそれら児童の徹底管理にまで手が回らないのであれば、全員一斉食材を基本とする給食システムこそを、今一度その細部に至るまで再考し直すべきだ。
 食物アレルギー児童を抱える家庭によっては、自宅から弁当を持たせる事例も存在する事は私も承知している。  それが時間的制約等様々な事情で叶わない家庭が多い実情をも踏まえ、時代の要請に応じてもうそろそろ義務教育行政は何らかのきめ細かい対策を練る事に着手するべきではないのか。

 参考のため、1月8日付朝日新聞の当該事故に関する報道のタイトルは 「担任、誤り料理渡す」と記されている。
 記事を読み進めたところ、最後の目立たない場所に一言のみ「おかわり」の文字があるものの、この記事においてはあくまでも担任教諭の落ち度を前面に出す体裁となっている。
 原左都子としては、当然ながら朝日新聞の報道観点・姿勢こそに賛同したい思いだ。

 さてさて今回の記事は、学校給食における 「おかわり」 を考察することを趣旨としているのは表題に掲げた通りである。
 上記女子児童の学校給食による痛ましい食物アレルギー死亡事故に際して、NHKニュースが給食を 「おかわり」 したことを執拗にまで繰り返していた事実に、とことん反発したい思いが我が脳裏に渦巻き続けている故である。

 実は我が子が小学2年生の時、公立小学校担任先生との保護者個人面談において、「○○ちゃん(我が子のこと)は給食の『おかわり』ができるまで成長していますよ!」と告げられた経験がある。
 これには仰天した。 (「原左都子エッセイ集」読者の方はご存知であろうが)我が子は出産時のトラブルにより若干の事情を持って産まれ出ている。 特に幼少の頃は衣食住全てに関してケアが必要な身であった。 「食」に関しても例外ではなく、必要最低限の栄養源を摂取させることに日々精進した私である。 
 公立小学校入学後は、案の定給食を時間内に食することが出来ず、担任先生のご好意による配慮で我が娘のためにクラスの給食時間を最大限長くして頂いた経験もある。
 その後上記担任先生がおっしゃるには、娘が小学2年生に進級した時、級友達の勢いに煽られて給食の「おかわり」をしたと言うのだ!(それを娘が食べ切れたか否かは不明であるものの…。)
 このようにまだまだ未熟な児童にとっては、公立学校に於ける給食時の「おかわり」とはその成長を物語る一場面の意味合いもあるのかもしれない。  集団生活内での「給食」という場を有効活用して、我が子を成長に導いて下さった当時の担任先生に感謝申し上げたい思いである。

 原左都子自身の昭和30年代後半頃の郷里過疎県での小学校給食を振り返ると、それはそれは実に“まずかった”の一言に尽きる…
 既に4時間目あたりから給食時間が嫌で嫌で、(今思えば)そのストレスで胃液が我が体内を襲い、とても給食が食べられる身体環境ではなかったものだ。(後々考察するに“集団嫌い”だったことも理由として大きいのだが…)
 そんな厳しい学校給食現場を経験した私は、当時級友が「おかわり」をしていたかどうかの記憶すらない。
 今思うに、当時から学校給食とは給食当番児童生徒が「アルマイト」の食器にテキトーに配るシステムだったため、当然ながら“残り”が存在していた事であろう。それを元気な児童が「おかわり」していたのだろうと考察するものの…。
 中学生になってからは、多少事情が変化した。
 身体が大きく育っているこの私とて昼食時にはお腹が空き始めたのである。 ところがこれまた当時の時代背景であろうと考察するが、女子生徒が学校給食の「おかわり」など出来る訳もないのだ。 まだまだ控え目な女子が好まれた時代背景である。
 周囲の女子生徒皆が「もう食べられない~ ウッフ~~ン」などと(言ったかどうかの記憶はないが)、給食のパンを残すことが美徳とされていたのだ。 「ゲゲ!私は完食できるのに…!」とは思いつつそれに同調しないことには、その中学を女子として渡っていけない気がしていた私だ…
 そうこう思い起こしてみるに、人間最低限の食の場であるにもかかわらず集団行動を強制される学校給食とは実に辛いなあ…… 

 最後にやはり冒頭の事件に戻りたい私だ。
 義務教育学校現場における給食が国民に果たしている役割は、その恩恵に与った時代がある私も確かに大きいものであることは自覚できている。
 そうであるからこそ、「食」に関するあらゆる多様性を学校現場は認識し直すべきであろう。

 今一度言うが、公立小学校に通っていたアレルギー女児は、決して給食の「おかわり」をしたから死に至ったのではない。
 人間の多様性を心得ない、あるいはその対策を怠っている義務教育学校現場が招いた悲惨な事故に他ならない。

 (以上、本エッセイ集2013.01公開のエッセイのほとんどを再公開したもの。)


         

         

 これらの写真は、2022.12.19付朝日新聞記事「『ちょっとちがう』11歳の命の先に 給食アレルギー事故10年 対策の訴え形に」と題する記事より引用したもの。

 上の写真は、亡くなった少女が生前授業中に書いた詩「ちょっとちがう」。 
 この作品を見れば、少女のお母上は我が子の食物アレルギーを十分に理解しつつ少女に接していた事実が読み取れる。
 
 下の写真は、現在実施されている「学校における食物アレルギー対応の「調布モデル」」。
 これだけの配慮があれば、児童生徒の給食時の食物アレルギー事故を防げるであろう。
 小学校現場が進化を遂げている事実に、安堵する。


 話題を変えて、我が一人娘も生後間もない頃より若干の食物アレルギーを抱えている。
 その事実にすぐに気づいた私は、私なりの最大限の注意を払いつつ接してきたものだ。
 今尚絶対に食せない食材が複数あるため、寡黙な娘には、「必ずその事実を食材提供者に伝えよ!」と言い聞かせる日々だ。
 お蔭で事なきを得ている様子だが。

 とにかく、食物アレルギーを決して軽くみてはならない。

 特に学校給食等々集団現場に於いては、今後共それを肝に銘じた対応を願いたい。