原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

日本人の得意技と言われている「同調圧力(意識)」の弊害

2023年09月02日 | 自己実現
 (冒頭写真は、2023.09.02付朝日新聞「書評ページ」より  キャス・サスティーン著「同調圧力 デモクラシーの社会心理学」を転載したもの。)  



 本日のエッセイテーマは、久々に朝日新聞「書評ページ」より引用しよう。


 早速、2023.09.02付朝日新聞「書評ページ」より キャス・サンスティーン著「同調圧力 デモクラシーの社会心理学」に対する朝日新聞デジタル企画報道部記者・小宮山亮麿氏による書評「過激化の恐ろしさ どうすれば」の一部を、以下に引用する。  

 同調圧力といえば日本人の得意技。 空気を読むとか忖度とか。 でも本書によれば、実は洋の東西を問わない普遍的な現象だ。 個人主義者と思われがちな米国人ですら、その強大な力にのみこままいと、建国当初から対策を考え抜いていたというのだから。 (中略)
 同調で怖いのは、連鎖すること。 ある意見に賛同する人が増えていくと、異論を言える人はどんどん減り、多数派はさらに勢いづく。過激になり、ときにカルト化する。 ドイツのナチス台頭や中国の文化大革命といった悲劇も生む。
 いいもの悪いものも、社会運動の多くは過激化の産物だ。 米国の独立革命ですら例外ではない。 建国の父たちは闘いの中でその恐ろしさを知り、憲法に安全装置を組み込んだ。「表現の自由」だ。 それは表現する「個人」のための自由ではない。 人目を気にせず異論を言ってもらえれば、社会がバランスを取り、破滅を避けられる。 我々みんなが救われるのだ、と。
 ネット上では各利用者に「最適化」された聞こえのよい情報だけが届けられ、異論には触れずにすむ。
 SNSでは今、各種の話題で賛否が極端に対立しがちだ。 デマ発信者は強制的に黙らせるべきだとの意見も多い。 「インフルエンサー」たちの強い言葉をどう聞くべきか、本書はヒントをくれる。

 (以上、朝日新聞「書評」欄より一部を引用したもの。)


 原左都子のとりあえずの感想を書くならば。

 オピニオンブログである「原左都子エッセイ集」執筆・公開のモットーは、“自己のオピニオンの公開”だ。
 開設以来約15年半に渡り、ほぼ9割のエッセイにおいて日々それを実行し続けている。
 これぞ「表現の自由」に基づいた我が行動であるのだが。 たまに空耳で聞こえてくる反応がある。 それは、「こいつ、ちょっと黙らせようか!?!」(最近ではそれすら無い程に我がエッセイ集は廃れた存在であることを自覚していますが。 ブログ開設後4,5年程まではまさにコメント欄閉鎖措置を採らねば生き残れない程の誹謗中傷被害に遭ったものです…)😨 😭 
 それでも、原左都子エッセイ集の今後に及ぶモットーは「自己のオピニオン発信」で一貫し続けるとの自覚はあります!



 2011.10.10公開本エッセイ集記事は「『同調意識は身を滅ぼす』だった。
 
 約12年前に綴り公開した当該エッセイの一部を、以下に再掲載させていただこう。

 3月11日に勃発した東日本大震災の煽りを受けて、当日から翌日にかけて首都圏では交通網の不通大混乱により1400万人にも上る 「帰宅困難者」(「帰宅難民」とも言われる)が発生した。
 東日本大震災の被害とは、巨大津波と福島第一原発事故による放射能汚染が甚大かつ深刻な状況であるため、報道がそれに偏りがちであるのは当然の成り行きであろう。
 そんな中、大震災発生より7ヶ月が経過しようとしている昨日(10月9日)夜9時からの「NHKスペシャル」に於いて、“帰宅困難1400万人”と題して当日の首都圏の大混乱の様子や今後の改善策がレポートされた。
 あの日首都圏の交通網大混乱がもたらした実態とは、一つ間違えれば二次的大災害が発生しかねない危機一髪の状況だった様子が実写影像を通して伝わると共に、我が大震災当日の経験を生々しくフラッシュバックさせられる思いだった。

 「原左都子エッセイ集」2011年3月バックナンバー 「悪夢の大震災、その時私は…」 と題する記事に於いて、震災発生直後に震度5強の揺れにより室内の置物が部屋中に散乱した写真を掲載し、大震災発生直後の様子をレポートしている。
 昨夜の「NHKスペシャル」の中で放映された首都圏のオフィス内で物が散乱する影像は、まさに一人我が家で大揺れに耐えていた時の影像とダブり、当時一時“死”をも覚悟した危機感が蘇る思いだった。
 昨夜の映像のオフィス内で、物が部屋中に散乱する揺れ方はまさに我が家と同じだった。
 
 「NHKスペシャル」によると、震度5強の大揺れの直後オフィスビルから外に飛び出た大勢の人々で首都圏の道路は溢れ、ごった返したようだ。  ここにまず人々の「同調意識」の程が見て取れる。
 そう言えば、我が集合住宅に於いても第一波の大揺れ直後に家屋の外に飛び出した人々が会話をしている様子を私も自宅内で聞いている。「凄い揺れでしたね!」「沢山物が落ちましたね!」…   等々言っている暇もなく大規模余震が次々と繰り返すのだが、あの人達はその「同調行動」により安心感を抱いてその後自分の部屋へ戻ったのだろうか?
 私自身も大震災発生直後に家中の置物が落下するのを目撃した時には「死」を覚悟する程動揺したのは事実だが、その後誰に頼るでもなく生き延びようと自分を奮い立たせたものだ。 まずは“火”と自分の“逃げ場”の点検をした。 そしてベランダに出て外の状況を観察した。(崩壊している建物や火事の発生状況を確認するためだ。) それが一切ない事に安堵した私は、少し冷静さを取り戻したものである。

 原左都子にとっての次なる課題は、まさに「帰宅困難者」候補の未成年の我が娘である。 (身内に関しては対等な大人であるためお互い自己責任でこの危機的状況を打破出来るはずと信じ、当日私は1本の連絡もしなかったし、向こうからも無事帰宅するまで何の連絡も無かった。)
 昨日の「NHKスペシャル」を見て愕然とさせられたのは、オフィス内に於いて“いい大人”達が「同調意識」に煽られ続け主体性なく行動していることである。
 例えばある民間企業の事例に於いては既に大混乱状態の首都圏交通網を鑑み、組織長が「帰宅せず社内に留まる」事を全社員に指示している。 ところが一人の社員が「子どもが心配だから」と帰宅を希望したところ、「そうだよね」と応じてその上司も帰宅しようとし、結局ほとんどの社員が連鎖的に帰宅を志して大混乱状態の首都圏へ放り出されてしまったのだ。
 その結果、首都圏の翌日までに渡る1400万人「帰宅難民」を生み出す事となった。

 我が家の話に戻ると、原左都子は既に東京12チャンネルTVとNHKラジオ放送を通じて当日16時頃から首都圏の大混乱状態は把握していた。
 こういう状況下においても、大抵の場合学校組織とは「保護者が学校まで迎えに来た家庭から子どもを帰します」と言い始める事くらいは我が子幼稚園児の頃より承知している。(この“通り一遍”の学校の指導で、悲しい事に巨大津波地方では多くの児童や保護者の犠牲者が出ている事は皆さんもご存知であろう。) 
 ところが首都圏は既に道路も大渋滞だ。 そもそもこれ程巨大な地震が発生した以上、今個々人が居る場の安全が確保できるのならば、そこに留まる事が最善の安全策であると既に確信していた。
 そんな私にとって幸いだったのは、学校の「緊急連絡網」が通信網の大混乱により届かなかったことである。 我が娘とは16時半頃より私からのパソコンメールにより、娘の携帯に連絡が途切れ途切れではあるが通じるようになった。 もしも娘が私にどうしても学校まで迎えに来て欲しいと言うならば何が何でも行ってやるつもりでいた矢先、娘から「どうやら学校で泊まれるらしい」との連絡が入った。 こういう場合、自分は理想的な親だと自覚し、他者からもそう評価して欲しい親ほど学校へすぐさま迎えに行くのであろうか? 実は原左都子も迷った。 ただ私が出した結論とは、ここはドンと構えて娘も私も生き延びよう!ということだった。
 そして私は娘に対し「学校が今夜泊まっていいと言ってくれるならば、それが一番安全だからそうしなさい。」と指示し、娘は学校の体育館で“銀紙”のようなブランケット一枚で一夜を明かし、翌日昼頃復旧した交通網で無事に自宅まで帰ってきた。
 娘の話によると、当日学校の体育館で一夜を明かした生徒は全体の1割強だった模様だ。 多くの親達はたとえ深夜や朝方になろうと大渋滞を耐えて学校まで迎えに来たとのことだ。 

 3月11日の大震災当日に娘を学校まで迎えに行かなかった私は“冷血失格親”なのだろうか?? 私が知らない処で、もしかしたらそういうレッテルを貼られて後ろ指を指されているのであろうか???
 それでも私は周囲に同調はしない!  あくまでも自分自身の状況判断力と決断力の下、今後も我が子を育ててつつ親子共々この世に健全に生き延びて行きたいと欲している。

 昨夜放映された「NHKスペシャル」においても、同様の結論が導かれていた。 
 人の「同調意識」とは、時に危機的状況をもたらすものである。
 例えば3月の大震災時に於いても、混乱を余儀なくされた道路を負傷者を運ぶ救急車が大渋滞にはまってしまった。  今回首都圏においては震災に伴う大規模火災が発生しなかったのは幸運だった。 だが今後大震災によりこのような交通網の混乱が再び引き起こされた場合、必ずや消防車が道路の大渋滞に巻き込まれ、街全体が焼き尽くされるごとくの大火災が発生することはNHKが分析せずして目に見えている。

 「同調意識」とは“平和な日常”が繰り返す空間においては、その平和を維持増強するエネルギーを発揮する源である事を私も否定はしない。
 だが一旦自然災害等の予期せぬ事態が発生した場合、人間は安易に「同調意識」になど頼って行動している場合ではない事は歴然である。

 どうもこの国は、時代が移り変わり人々を取り巻く事情が大きく変遷しているにもかかわらず、学校教育が集団主義から脱却できず旧態依然としたまま軟弱である事を私は以前より憂慮している。  
 ここは昨日の「NHKスペシャル」の結論として導かれた通り、少しは国民一人ひとりに“有事の際”に自ら考え行動できるごとくの「主体性」を身に付けさせるべく、教育を展開する時期ではなかろうか。

 (以下略すが、以上「原左都子エッセイ集」2011.10バックナンバーより再掲載したもの。)


 この事例など、まさに「同調意識(圧力)」が人の命を左右するであろう深刻な例だ。
 その後、我が国では2011.03勃発の「東日本大震災」以上の大災害は発生していないと言えようが。

 とにもかくにも、非常災害発生時には特に「同調意識(圧力)が身を滅ぼす」事態に繋がり易いことには間違いない。

 それ故 普段より各自が「同調圧力(意識」」ではない、確固たる自己のポリシーの下に思考・行動する習慣を身に付けられることを私は推奨したい!!