(冒頭写真は、私が以前に郷里高校時代東京支部同窓会に出席した頃の写真。)
いや、この写真は30代前半独身時代に撮影したものだから、もっと前か??
参考だが、この写真は米国ハワイ州マウイ島にて撮影したものだが。
つい最近、このマウイ島ラハイナが大火事で焼き尽くされた映像をニュースで見て愕然とさせられた。
マウイ島はオアフ島の如くの観光客の混雑も無く、素晴らしいハワイ州の観光地だったのに、まさに今では大火事で廃墟となってしまった…
話題を、郷里高校時代の同窓会に戻そう。
今朝起きてパソコンメールを開いたら、郷里高校時代の同窓生より「東京支部同窓会お知らせ」のメールが届けられていた。
このメールの送り主は、我が高校1年生時代に同クラスで比較的仲よくしていた女性だが。 とにかく“幹事まめ”な方と表現するべきか、卒業後既に50年の年月が経過しているにもかかわらず、かかさず同窓会を自ら企画してお知らせを届けて下さっている。
この私、当該ブログにて幾度となく公開しているが。
実は我が人生に於いて郷里の高校生時代程充実していなかった時期は無かったと断言できる程に、日々高校では“死んで暮らしていた”人間だ。
何がそんなに当該高校が気にくわなかったかと言えば、既に本エッセイ集にて幾度も公開している通り、私が生まれた過疎県内では燦然と一位を誇るべく女学校として君臨していたのだ。
私が高校生だった頃はその“名門女学校”の名残が色濃くて、学校の窓口に「お見合い紹介コーナー」がある程に 名家の女子生徒を入学させてはその生徒達を名家の嫁として斡旋していた様子でもあった。 (こんなことを公立高校が公に実施して許されるのか!?!!と、私など怒り心頭だったものだが。 意外や意外、多数の女生徒はこの高校に入学できたことを誇りに思っているふしもあった…)
とにかく、この高校を卒業した後は私は“水を得た魚”のごとく蘇ったものだ。
バックナンバーで幾度も述べているが、その後地元国立大学医学部卒業後は、“親を捨て郷里を捨てて”単身で上京し、身ひとつでわが夢を叶えてきている。
そんな私にとって、郷里の卒業高校程後々鬱陶しいものは無かった。
ところがこれが、希少にも「同窓会のお知らせ」を届けてくれる方がいらっしゃる…
まず最初に届いたのが、私がちょうど二度目の大学そして大学院へ入学して頑張っている頃だった。
その頃、私としては学問にノリにノッていた頃であり、これは内心、(我が自慢話でもしに出席してみようか)と思ったものだ。
その時にド派手なミニワンピースを着て出席した私を見た同級生女性が、「誰がコンパニオンを呼んだの!?」と言ったエピソードを既に語っている。
結果としては、卒業女性のほとんどが専業主婦でつまらない同窓会だったとの印象しか抱けず、その後は誘いがあってもこの高校の同窓会出席は拒否してきた。
時が過ぎて、私が50歳を過ぎた頃だっただろうか?
またもや、当該高校より同窓会の誘いが届いたのだが、今度は「高校東京支部同窓会」と称していた。
それにもど派手なミニスカートで出席して会場だった飲み屋にて「阿波踊り」を披露してはしゃいだものの… 私としては、“なんか違う、これ私が出席するべき場じゃない” 感覚が否定できずに、その後の出席を拒み続けていたところ。
当該高校の1年生時代に同じクラスだった女性より、「小規模同窓会」のお知らせ が定期的に届けられるようになった。
それも“東京支部”と称しているのだが、私の認識では要するにまるで“小規模”であり、私も記憶している人物がその同窓会に出席すると言う。
これは出席して少しは価値あるかも?? などと思い始めた矢先、私は左膝複雑骨折の身となり、まさに身動きが取れなくなった…
その身にして、9月に入って以降つい先だって届けられたのが、高校1年生時代の同級生女性からのこれまた「小規模人数同窓会」のお知らせだった。
何と言うのか、これぞ今後老後に至る私が出席するべき会合か!?!
そんな予感がした私は、早速「出席」の意向をメールにて同級生女性にしたまめたところ。
快諾の返答を頂いた。
何分少人数につき、その詳細開催内容回答を未だもらっていないが。
なんだか高齢域に達している身にして、高校時代の懐かしい顔ぶれに再会したい気分になっている私が自分でも不思議だ…