(冒頭写真は、原左都子30代頃の職業だった「教諭」の身分証明書。 何の職業に就こうが 自らの外見的個性には常にこだわりがあった私だったため、教員の割にはド派手なヘアスタイルだったなあと、写真を見て振り返ります…)
2023.09.13付朝日新聞 牟田都子氏による「落ち穂拾い」より、“肩書ひとつに宿る自分”と題する記事より、以下に一部を引用させていただこう。
会社や組織に属さず仕事をしているので、活字化を前提にした取材を受けると「フリーランスの校正者」と書かれることが多い。
主体性の無さゆえ就職活動から早々にドロップアウトして、非正規雇用で食いつなぐうち、気が付けば今の働き方になっていた人間には、いささか荷が重い肩書だ。
自らの意思でフリーランスという働き方を選び、腕一本で世を渡っている人も周囲には多い。 だからこそ、自分がそこに並ぶのはおこがましい… (中略)
分子生物学者・福岡伸一さんの略歴からは、ある時「分子」の二文字が消えた。 実験と研究に邁進する日々を経て、「もっと総合的に生命のことを考えたい。文化や社会とのかかわりの中で生命感を深めたい」との思いが募り、「ふつうの生物学者に戻ろう」と決意したという。
(以下略すが、以上朝日新聞記事より一部を引用したもの。)
上記朝日新聞よりの引用文を読んだ直後の、原左都子の感想を書かせていただこう。
「ふつうの生物学者」に戻られたとの、元・分子生物学者・福岡伸一氏に関しては、医学関係者としての活躍時期も長かった原左都子にして、当然よく存じているのだが。
へえ、分子生物学者として世に大いに名を売られていた福岡伸一氏にして、御自身の「肩書」に関するそんな葛藤(と言う程ご本人にとっては大げさではなかったのかもしれないが)の時期があったのだ!! と、興味深く拝見申しあげた。
その「肩書」に話題を戻そう。
この原左都子など、現役時代には自分の名刺や冒頭写真の身分証明書のごとくの書面に於いて、「肩書」をどうしようか?? なるある意味では楽しい迷いの時間など皆無だったものだ。
それもそのはず、上記写真の「教諭」もそうだが。
私が携わった仕事のほとんどが、それ以外の表現の仕方が皆無である程に、世に一般的に蔓延っている職業であったからだ。
この冒頭の「身分証明書」に関しては、当時通勤していた高等学校現場で作成して下さったものだが。
突然「身分証明書」用の写真を映します、と告げられた際には、このヘアスタイルでOKかな、と私本人が尻込みした程だった。
そして出来上がって来たのが、冒頭の「身分証明書」だ。
これが当時職場の誰に責められることも無い程、この我が風貌は職場内で受け入れられていたと言えよう。
生徒にも一番人気の女性教諭として、高齢域にしての出産退職まで当該高校教育現場で思う存分に活躍出来た事実こそが、我が誇りでもあり忘れ得ぬ学校現場での思い出でもある。
我が医学経験も 教諭経験同様にずっと順調な道程を辿った事実を、その“正当”な「肩書」と共に語ろうと考えていたが。
字数が既に多くなってきたため、次回以降に回そう。