原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

1988 米国ハワイ州 マウイ島 ラハイナ の思い出

2023年09月06日 | 旅行・グルメ
 (冒頭写真は、1988年に実母と2人でマウイ島ラハイナを旅した時の写真。 ホテルのカフェの前にて。)



 昨日 別エッセイを公開した際に、過去にマウイ島ラハイナを訪れたことがある旨を記載した。

 それは1988年、私が2度目の大学の夏季休暇中の事だった。
 当時、我が実姉(20数年前より絶縁中)がマウイ島に2年間??程居住していたことがあり、実母の希望により1988年夏にかの地を2人で訪れた。

 実母一人で行けばよいのだが、当時はマウイ島へ行く場合往復共々一旦オアフ島まで行って宿泊の上、マウイ島まで航空便を乗り換えねばならないとの複雑さだった。
 それがどうしても一人でできない、との実母の訴えで次女の私が同行することとなった。


 さて、いざマウイ島へ到着してみると、これがオアフ島の観光客の混雑とは打って変わって まさにゆったりとしたリゾート地といった風合いだ。
 母に同行した私としても、“行って良かった!!”感が強く、滞在中ゆったりと過ごせたものである。

         
 姉がマウイ島で住んでいた住居がこのコンドミニアムなのだが。 (参考だが、当時の姉のパートナーはプロの米国人テニスプレーヤーであり、マウイ島のホテルのテニスコート専属コーチをしていた。 さらに参考だが、我が姉はパートナーをとっかえひっかえする癖があり😫 、このテニスプレーヤーは2度目のご亭主だった。)
 2軒にひとつプール付きのコンドミニアムで、十分にゆったりした住居だった。 
 そのプールにも入ったのだが、随分と深い箇所があり、泳ぎが達者とは言えない私には危険だったものだ…。


          

 こちらは、コンドミニアム近くのホテル。
 ここに食事に行ったりした。


          

 これは、1988年夏当時のマウイ島にての我が姉妹と母。
 この時私は32歳だったはずだ。もちろん未だ独身だった。 身長は姉より私の方が少し高いのだが、姉がいつも10cm以上のヒールを履いているため逆転している。
 母はこの時50代半ばのはずだが、基本的に“自己管理力”に欠落していていつも太っていたため、老けて見える。 (はっきり言って、現在高齢域に達していいる私よりもおばさん風貌で呆れるなあ…😨
 このマウイ島旅の途中で、実母が私に告げた“お願い”がマイナスイメージで私は今尚忘れられない… 50代の母曰く、「老後の面倒は必ずみてよ!!」…
 私は未だに、そんな実母を軽蔑している。 結果としては郷里の自立支援施設へ入居して90歳過ぎた今尚そこで生活しているため、私が面倒を見るのは、入院時のみだが…


 何だか、マウイ島の思い出というよりも。
 我が過去の血縁家族に対する「愚痴」オンパレードになってしまったようだが。😖 😷 

 それはさておいて。


 この度、マウイ島ラハイナにて大災害に遭われた現地の皆様のお見舞いを心より申し上げたく存じます。
 ほんの一時でしたが、1988年夏に訪れた際のマウイ島の素晴らしい光景が今尚我が脳裏に焼き付いております。

 今後のマウイ島の再発展の道程を、陰ながら心より応援申し上げます。