原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

私は「墓」は要らない

2023年10月09日 | 自己実現
 と言いつつも、もう既に10年程前に亭主と2人で自宅近くの葬儀社に「永代供養墓」の申し込みをしている。


 この「永代供養」に関して説明するならば。
 ひとまず“死”が訪れると、その自宅近くの葬儀社にて葬儀を執り行い火葬を施す。 
 一旦 その遺骨を、葬儀社内に建設されている「個別ロッカー方式の永代供養ボックス」に入れてもらう。
 一定の年月が経過した後に、そのロッカー内の遺骨は都内の多摩地方(詳細は把握していないが、とにかく人口が極端に少ない地)の大規模寺院に合葬墓の形式で埋められるらしい。  その後は、まさに永代供養となって永遠に放置され土へ帰るシステムだ。

 
 こんなに早い未だ若い時期に、我が亭主と私が既に「永代供養」の予約をしたのには我が家なりの事情がある。

 それは、我々の死後を見てくれる人間が一人娘しか存在しないことだ。 
 今のところ娘本人に結婚願望が一切無く、子孫が立ち消えることがある程度明白だ。
 しかも、親の死後は独り身で毅然と生きていこう!!と欲している気丈な娘に対し。 親の願いとして、娘自身の人生の充実を図りつつ生きて欲しいとの思う以外の負担を一切かけたくは無い。

 原家の親に関しては 親の代まで永代供養の申し込みをしていて、義父は既にそこで供養している。

 片や 私側の特に実母が、少し以前までは次女の私相手に「老後と死後の面倒はきちんとみて欲しい!」と言い張って実際鬱陶しかった…
 それを米国の姉には一切言わず、次女のこの私にばかり言ってくるのが私としては許せない思いだった。 というのもこの私は実際問題、子ども時代から現在に至るまで父方祖母のお世話にはなったものの。 実母には何らの世話にもなっていないような環境下で育ったと言って過言でない故だ。
 (それは、よく面倒を見ていた米国の姉に言えよ!!)と私はずっと内心実母に対して苛ついていたのだが。
 父が60代の若さで他界した直後から、やっと実母は自分たちは地元の永代供養にお世話になるとの決断をして、それを実行に移してくれて心底ホッとした。
 ただこれに関しても、実母自身が永代供養の申し込みをしている郷里の寺に「生前挨拶に行きたいから、郷里まで来て連れていけ!」と平然と私に言ってくる有様だ。 正直言って迷惑な話だが 実母の生前最後の願いと受け止めて、11月にその挨拶のために出かける予定を組んでいる。



 話題を変えて、2023.10.05付朝日新聞「社説」より、“増える無縁墓 望む弔い 選べる基盤を” と題する「社説」の一部を以下に引用しよう。

 今現在、管理する人のいない「無縁墓」が増えている。
 これを放置すれば、墓石や塀の倒壊、災害による崩落の危険性もある。(途中大幅略)  
 これに対する財政負担も大きい。 高松市には、4割以上が無縁化した墓地がある。 公営墓地問題は、氷山の一角だ。
 墓は家で継承しなければならないという考えは、明治民法下の「家制度」のもとで確立されたとされる。 だが、高度成長期を経て郷里を離れる人が増え、少子化も進み、単身世帯も増えた。 集落などの共同体も細る中で、誰もが家族が弔いを担い続けられる時代ではなくなってきている。 政府は自治体に実情を聞き、改葬の判断や墓石の取扱い等の基準を整理し、必要な支援を検討して欲しい。

 (以下略すが、以上朝日新聞「社説」より一部を引用したもの。)



 先祖の供養ねえ。

 それに関しての、原左都子の思いを書いて結びとしよう。

 この私、実母がずっと職業人だったが故に、郷里の父方祖母に4歳児から中3までの約10年に渡りお世話になった身だが。
 その恩義を未だ忘れることは無い。
 父方祖母は元女学校の「和裁」教員をしていた人材のようだが。 この“お婆ちゃん”が働き者だし頭は切れるし、とにかく幼き孫である私(と姉)にとって大いに役に立つ人物だったものだ。

 にもかかわらず、実母の父方祖母に対する対応が大いに気になっている幼き私だった。
 と言うのも、実母からの父方祖母に対する「お礼」の言葉をただの一度も聞いたことが無いどころか。 
 いつも素直な次女の私を捕まえては、「○○はあかん!」と自分の嫁ぎ先である父方家の悪口をほざき続けていたのだ… 😨 

 そんな実母を、未だにどうしても許せない感覚の私である…

 その身にして、特に実母と同じ墓など是が非でも勘弁願いたい!!