今回の表題は、10月1日に参加した我が高校時代の同窓会の感想を書いたものだが。
それでも、出席して良かったと私は高評価している。
と言うのも、今現在の世の中はネットが人との交流の主たる手段となり過ぎていて、生身の人間を相手に長時間話し合える機会など同窓会以外ほぼ無いと言えるのではなかろうか??
話題を大きく変えるが。
2023.09.30付朝日新聞「悩みのるつぼ」相談内容は、30代女性による「SNSを見て苛立つのをやめたい」だった。
ほんの少しだけ、以下に相談内容を紹介すると。
15年間嫌い続けている女性がいる。 彼女のSNSをストーキングしては苛立つということをやめられない。(途中大幅略)
彼女や彼女の知人が投稿する彼女の写真や動向を閲覧しては苛立つ。 現在では、結婚して子ども生まれているのに、なぜ私はわざわざ彼女の一挙一動を追って苛立つことをやめられないのだろうか。 やめたいと思っているし、無駄な行為であると理解はしている。
(以上、朝日新聞「悩みのるつぼ」より相談内容の一部を引用したもの。)
一旦、原左都子の感想だが。
ならば、すぐにやめましょうよ。
それしかないのだが…
付け加えると、現実世界の同窓会にでも出席してカッコイイ男子の隣にでも座ってお話してきただけでも、貴方の心は少しは解放されそうにも思うのだけど。
どうして15年なる長い年月を通して、嫌いな女性のSNSのストーキングなどをあえて続けるのか!?!
子どもも生まれたならば尚更、そんな実りの無いストーキングをしている暇など無いと思うけど。
かなり理解に苦しむ相談内容だ。
と言いつつ、この原左都子も「原左都子エッセイ集」初期頃から4,5年間は、読者対応に難儀した時代であったことを思い起す。
とにかく、エッセイ書いて公開すると、多い時で10本程のコメント(そのほとんどが長文コメント)がコメント欄に押し寄せて来た。
その1本1本に丁寧な返答コメントを書くのに多大な時間を要したものだが。
いえいえ、多くのコメントは 我がエッセイファンの方々から頂戴する素晴らしいコメント群だったのだが。
中には誹謗中傷じみたコメントも存在して、その対応に難儀しつつも私は律儀にも返答コメントを必ず書いてきた。
無理は続かないもので、(というよりも、私と言う人間は今後何に重点を置いて生きるべきか? なる課題と向き合う機会となったとも言えよう)、私のコメント欄閉鎖判断は早かった。
そして現在尚、「原左都子エッセイ集」のコメント欄は閉鎖した状態のままだ。 今後もコメント欄を再開する予定は一切無い。
今では、それが大正解と結論付けている。
何と言うのか、一番の効用は我が自由時間が増えたとのことかもしれない。
(それまでは、実に長時間をエッセイ宛のコメント返答に費やしていたものだ…)
最後に表題のテーマに戻そう。
昨日出席した高校時代の同窓会は、実に充実していて楽しかった。
それも偶然お隣りになった(元パイロットの)K氏のご力量の賜物であろう。
今後はこの原左都子こそが、その役割を果たしたいものだが。
この原左都子は その力量に多少(あくまでも多少の範囲だが)に欠落していることを実感させられたりもする。 (いえいえ、高校教諭経験がある私の場合、生徒との会話、要するに“聞き役”には秀でていましたよ!)
今後の対人関係に備えて、その能力(さほど親しくない方との長時間の“対等な会話能力”)を充実させたい気がする!!