(写真は、朝日新聞12月6日付夕刊 しりあがり寿氏作4コマ漫画 「地球防衛家のヒトビト」を転載したもの。)
漫画家 しりあがり寿氏は、なんで原左都子の習性を知ってるの!?!
と、驚き果てたのがこの漫画である。
とにもかくにも“計算高く”(打算的という意味合いよりも、ここでは単に数値計算好きと解釈していただければ幸いだが)、常に理詰めで物事を考える私にとって「電卓」は必需品である。 家中の至る場所に電卓を配備し、いつ何時も直ぐに数値計算に移せる体制を採っている。
家計管理や資産管理は元より、日々の摂取カロリーや体重管理、日数時間計算等々に「電卓」は絶対に外せない我がツールである。
更には、冒頭の写真漫画内で取り上げられている飲酒に関するデータも、飲兵衛の私は日々こまめに「電卓」で計算しつつ我が健康管理に役立てているのだ。
冒頭の写真が不明瞭なため、以下に漫画内の会話内容を紹介しよう。
「あ~~、あっという間に12月だぁ~~」 「30日としてもあと720時間しかない!!」
「でも休日だとかぬいたら、もう15日くらいしかないし」 「そのうち8時間は寝るとして、のこり240時間!!」
「ほぼ毎日忘年会で残業できないし」 「翌日は二日酔いで半日は使いものにならないから…」
「60時間…? もうあと3日しかなぁ~~い!!」
(最後の知人らしき女性が怒り呆れて曰く)、 「飲む日を減らせ……」
ここで一旦、原左都子の私事及び私論に入ろう。
上記4コマ漫画の最後に発言した女性がおっしゃるところの“決めゼリフ” 「飲む日を減らせ」 こそが世の「正論」であろうことなど、飲兵衛のこの私だって重々理解出来ている。
ところが“真正飲兵衛”とは、そうは簡単に事が片付かないのだ。 飲兵衛にして理性豊かな人間程、酒による害の程も十分に承知しているのがこれまた困りものだ。
そこで私が持ち出すのが「電卓」である。
原左都子もこの漫画の主人公のごとく、自分が酒を飲む時間及びそれに酔って過ごす時間に加え、私の場合、自分が現在飲んでいる“純アルコール量”までも飲んでる最中に数値化しつつ日々その量をコントロールしているのだが…
(これ程までに苦労しつつ是が非でも酒を飲もうとのいじましいまでの行為が、無駄か否かに関する私論を述べるのが今回のエッセイテーマなのだが…)
私の場合、酒を飲んで酔っ払って過ごす時間が無駄か否かは、今まで自分が生きた時代背景や家族構成によって異なる歴史変遷を辿って来たと言えよう。
1970年代からバブル崩壊期の1990年代初頭にかけての我が独身時代に於いては、世が「酒」に関して寛容な時代背景だった。 そんな世間の風潮に甘えると同時に生まれ持っての飲兵衛体質にも助けられ、女独身の立場で周囲から誘われるがままに酒三昧を謳歌したものだ。
その頃の私の体調を顧みるに、30代後半頃に至った頃一時十二指腸潰瘍等胃腸の不具合を経験したものの、酒故の体調不良により仕事を1日も休むでもなく(有給休暇すら消費せず余して)、自分の仕事上の責務を真面目に貫き通せたと自負している。
その後高齢にて子供を授かった時期は、飲兵衛の私もさすがに“深酒”は控えて来た。
娘が小学低学年のある時、娘の習い事であるバレエ教室発表会後パーティが開催された現場で、娘と同年代の女子児童が発した言葉を私は忘れない。 出席していた母親に向かって「お母さん、酔っ払ってるでしょ! みっともないからお酒飲むのやめて。」なる厳しい指摘を我が事として受け止めたのだ。
もしも私がこれを我が娘から言われたら最後… なる危機感を抱きつつ、私は何としてでも可愛い娘のために酒の量をコントロールしようと志し現在に至っている。
それでも、その後も我が飲兵衛人生は当然ながら続く。
家族には一応配慮しつつ、外での飲み会が開催された時でもいつも早めに帰宅した後、娘の反応が気になる…。 亭主とは酒がらみでいくら罵倒し合っても遠慮も容赦もない私だが、こと娘に関しては“いい母”でいたいとの思いこそが、我が深酒回避可能な一番の方策だったと娘に感謝しよう。
そんな私ではあるが、今現在も冒頭に掲げた漫画に準じつつ、「飲んでいる時間」「それが覚めるに必要な時間」及び「自分が接種するアルコール純量」を日々電卓(及び暗算)で計算しつつ酒を楽しむ日々だ。
酒を好まない人種からは、何故そんな細かい時間や量にこだわってまでも酒を飲みたいのか! なる不可解感を伴った反論が届く事など想定内だ。
その理由を最後に話そう。
私(及びしりあがり寿氏)のごとく、自分が酒を飲む時間を電卓で計算する程に“神経質”かつ酒を飲むことに関して多少の“うしろめたさ”を感じている人間とは、酒を飲む事に関する正当な「自己証明」を求めたいのだと解釈する。
私の場合はその「自己証明」をしてもらいたい対象相手が、現時点では我が娘であることに間違いない。
娘にこそ我が飲酒行為を認めてもらえたならば、私にとって酒を飲んで過ごす時間は“無駄”ではなく“有意義”な時間帯と結論付けられるのだ。
今回のエッセイ最後に、私の場合生まれ持ってのアルコール耐性が強靭であることを付け加えておこう。 それ故に酒の勢いで娘の前で醜態を晒したことなど“自覚症状としては”一度もなく(?)、酒を飲む時間を“有益”に過ごせていると自負している。
(身勝手ですが、どうか酒に弱い体質の方々は私の真似をなさらないようお願いします。)
漫画家 しりあがり寿氏は、なんで原左都子の習性を知ってるの!?!
と、驚き果てたのがこの漫画である。
とにもかくにも“計算高く”(打算的という意味合いよりも、ここでは単に数値計算好きと解釈していただければ幸いだが)、常に理詰めで物事を考える私にとって「電卓」は必需品である。 家中の至る場所に電卓を配備し、いつ何時も直ぐに数値計算に移せる体制を採っている。
家計管理や資産管理は元より、日々の摂取カロリーや体重管理、日数時間計算等々に「電卓」は絶対に外せない我がツールである。
更には、冒頭の写真漫画内で取り上げられている飲酒に関するデータも、飲兵衛の私は日々こまめに「電卓」で計算しつつ我が健康管理に役立てているのだ。
冒頭の写真が不明瞭なため、以下に漫画内の会話内容を紹介しよう。
「あ~~、あっという間に12月だぁ~~」 「30日としてもあと720時間しかない!!」
「でも休日だとかぬいたら、もう15日くらいしかないし」 「そのうち8時間は寝るとして、のこり240時間!!」
「ほぼ毎日忘年会で残業できないし」 「翌日は二日酔いで半日は使いものにならないから…」
「60時間…? もうあと3日しかなぁ~~い!!」
(最後の知人らしき女性が怒り呆れて曰く)、 「飲む日を減らせ……」
ここで一旦、原左都子の私事及び私論に入ろう。
上記4コマ漫画の最後に発言した女性がおっしゃるところの“決めゼリフ” 「飲む日を減らせ」 こそが世の「正論」であろうことなど、飲兵衛のこの私だって重々理解出来ている。
ところが“真正飲兵衛”とは、そうは簡単に事が片付かないのだ。 飲兵衛にして理性豊かな人間程、酒による害の程も十分に承知しているのがこれまた困りものだ。
そこで私が持ち出すのが「電卓」である。
原左都子もこの漫画の主人公のごとく、自分が酒を飲む時間及びそれに酔って過ごす時間に加え、私の場合、自分が現在飲んでいる“純アルコール量”までも飲んでる最中に数値化しつつ日々その量をコントロールしているのだが…
(これ程までに苦労しつつ是が非でも酒を飲もうとのいじましいまでの行為が、無駄か否かに関する私論を述べるのが今回のエッセイテーマなのだが…)
私の場合、酒を飲んで酔っ払って過ごす時間が無駄か否かは、今まで自分が生きた時代背景や家族構成によって異なる歴史変遷を辿って来たと言えよう。
1970年代からバブル崩壊期の1990年代初頭にかけての我が独身時代に於いては、世が「酒」に関して寛容な時代背景だった。 そんな世間の風潮に甘えると同時に生まれ持っての飲兵衛体質にも助けられ、女独身の立場で周囲から誘われるがままに酒三昧を謳歌したものだ。
その頃の私の体調を顧みるに、30代後半頃に至った頃一時十二指腸潰瘍等胃腸の不具合を経験したものの、酒故の体調不良により仕事を1日も休むでもなく(有給休暇すら消費せず余して)、自分の仕事上の責務を真面目に貫き通せたと自負している。
その後高齢にて子供を授かった時期は、飲兵衛の私もさすがに“深酒”は控えて来た。
娘が小学低学年のある時、娘の習い事であるバレエ教室発表会後パーティが開催された現場で、娘と同年代の女子児童が発した言葉を私は忘れない。 出席していた母親に向かって「お母さん、酔っ払ってるでしょ! みっともないからお酒飲むのやめて。」なる厳しい指摘を我が事として受け止めたのだ。
もしも私がこれを我が娘から言われたら最後… なる危機感を抱きつつ、私は何としてでも可愛い娘のために酒の量をコントロールしようと志し現在に至っている。
それでも、その後も我が飲兵衛人生は当然ながら続く。
家族には一応配慮しつつ、外での飲み会が開催された時でもいつも早めに帰宅した後、娘の反応が気になる…。 亭主とは酒がらみでいくら罵倒し合っても遠慮も容赦もない私だが、こと娘に関しては“いい母”でいたいとの思いこそが、我が深酒回避可能な一番の方策だったと娘に感謝しよう。
そんな私ではあるが、今現在も冒頭に掲げた漫画に準じつつ、「飲んでいる時間」「それが覚めるに必要な時間」及び「自分が接種するアルコール純量」を日々電卓(及び暗算)で計算しつつ酒を楽しむ日々だ。
酒を好まない人種からは、何故そんな細かい時間や量にこだわってまでも酒を飲みたいのか! なる不可解感を伴った反論が届く事など想定内だ。
その理由を最後に話そう。
私(及びしりあがり寿氏)のごとく、自分が酒を飲む時間を電卓で計算する程に“神経質”かつ酒を飲むことに関して多少の“うしろめたさ”を感じている人間とは、酒を飲む事に関する正当な「自己証明」を求めたいのだと解釈する。
私の場合はその「自己証明」をしてもらいたい対象相手が、現時点では我が娘であることに間違いない。
娘にこそ我が飲酒行為を認めてもらえたならば、私にとって酒を飲んで過ごす時間は“無駄”ではなく“有意義”な時間帯と結論付けられるのだ。
今回のエッセイ最後に、私の場合生まれ持ってのアルコール耐性が強靭であることを付け加えておこう。 それ故に酒の勢いで娘の前で醜態を晒したことなど“自覚症状としては”一度もなく(?)、酒を飲む時間を“有益”に過ごせていると自負している。
(身勝手ですが、どうか酒に弱い体質の方々は私の真似をなさらないようお願いします。)