入試シーズンもそろそろ終盤を迎えようとしている今日この頃である。
2月上旬に行われた私立中学及び国公立中高一貫校の合格者も出揃った様子だ。
新聞折込チラシには、塾や受験予備校による合格者速報が大々的に公開され始めている。
ただし個人情報保護法が施行されて以降は合格者の実名や所属学校名を公開することを回避して、合格者名をイニシャル表記にしたり仮名にしている塾や予備校が目立つ。 未だ年端もいかない児童生徒の実名を“塾側の売名目的”と“親の一時の見栄”で表ざたにする弊害を考慮した場合、これは当然の措置であろうと原左都子は考察し安堵している。
以前は広告チラシに合格者名や所属学校名が実名のままつらつらと列挙されていたものである。
我が娘が中学受験を経験した6年前の頃にも、まだ実名チラシは多かった。
当時娘と共に広告チラシの小さい字を辿りつつ、 「同じクラスのあの子は○○中学に合格したようだよ」 「あっ、転校前の小学校のあの子はこんな学校に合格してる!」などと面白おかしく言い合いつつ広告チラシを無責任に楽しんだものだ。 (まあ、他人にとっては今時受験者の合格発表など所詮その程度のものだよねえ。)
何せ、我が子も結果として第二志望だったと言えども一応私立中学に合格し進路が決定していて、ちょっと余裕だった事もあるし~
ついでに我が子の現在の状況に関する私事を何度も語って恐縮ではあるが、我が娘は大学受験に関しても昨秋早々に「公募制推薦入試」合格を決定してくれている。
これは今となっては、親としては実に有難い事実である。
と言うのも、やはり大学の「一般入試」は厳しい現実のようだ。
娘が推薦入試合格を決めている大学に於いても「一般入試」第一期試験が既に実施され、その合格者発表が先日ネット上で公開された。
その合格発表をネットで見て抱いた一保護者としての正直な感想とは、(我が娘が「一般入試」までもつれ込んでいたとしたら合格ゲットは厳しかったのか…)との事である。 一般入試はやはり競争率が高い現状だし、一発勝負という点でも若き受験者にとってはさぞや厳しい世界であることだろう。
ここで余談ではあるし自己弁護になることは承知の上で、何故我が娘が大学一般入試に先立つ「公募制推薦入試」合格をゲットできたのかについて、娘の受験指導を直接担当した“お抱え家庭教師”である原左都子から語らせていただく事としよう。
「公募制推薦入試」とてその合格が容易い世界ではないことは明らかだ。 大学の推薦入試のもう一つの方式である「指定校推薦」とは異なり、「公募制推薦」の場合は受験者本人が大学へ出向き「面接」や「小論文」課題等の一発勝負入試に挑む事となる。 それを合格に導くべく、元教育者である原左都子が特に「小論文」に関しては我が子に対して厳しい指導を繰り返し、その個人指導に我が娘が最後まで耐え抜いたからこそ合格に繋がったと私は自負している。
参考のため「指定校推薦」とは、所属高校の学校長が推薦しさえすれば“無試験”で本人が一度も大学へ出向かずとて合格させる大学も数多い実情であるようだ。 (この「指定校推薦」をもらうためには、子どもの所属高校と保護者との関係等々“陰の特殊事情”が要求されるようだよ~~ ??)
本エッセイ集の今回の表題から、我が娘の合格ゲット遍歴に話題がズレてしまい恐縮である。
原左都子の“お抱え家庭教師力”が強靭であるためか、あるいは受験者本人である娘の目標達成意欲及び精進力が私の意向以上に徹底しているのか、我が子は私立中学受験も大学受験も私の意のままに突き進んでくれている快進撃の有様だ!(自慢話ばかりで恐縮だが…)
そんな我が娘も、実は「小学校入試」において全滅状態の失敗を経験している。
若干の事情を抱えた娘を、当時から現在にかけて“混乱状態”とも表現できる公立小学校に入学させることが親として忍びない思いで、我が家は娘が抱えている事情に理解がある(と教育専門機関より見聞した)私立小学校への入学を希望し受験したのだ。
ところが、当時の小学校現場の事情とは公立私立を問わずまだまだ私の理想には程遠い現実であったようである。 どうやら娘が持って産まれた事情を公開したが故に、すべての受験私立小学校から「不合格」の通知が届いてしまったのである…
何が辛いとて、この時には事情を抱えている子供に関する“世間の認識の無さ”及び“排除思考”が親の私には一番辛かったものだ。
だた私は我が子の小学校受験失敗経験で、子育て段階の早期に親として一回りも二回りも強くなれたような気がする。
たとえ社会が未だ認識不足故にこの子を見捨たとて、母親である私こそがそんな事情にも係わらず立派に育ててみせよう!との決意を改めて促されたのである。
もちろん親の私の力のみならず、その後周囲からのバックアップにも支えられ、我が娘は私立中学受験合格ゲットも自力で果したし、この度は(100年以上に渡る建学の歴史があり、その建学精神により今の時代に及んで高い就職率を誇る)某私立大学推薦入試にも合格してくれたのだ!
最後に原左都子の私論でこの記事をまとめよう。
小中高大学(大学院)そして就職と子を持つ親にとって我が子を受験させる機会は数多いし、その結果も悲喜こもごもであろう。
子どもの受験とは親にとっても実に厳しいものであることは、上記のごとく原左都子も我が娘の受験経験をもって大いに心得ている。(独り立ちするまで今後まだまだ続くなあ…)
そんな中、表題に掲げた 「受験に落ちた子どもへの対応のし方」 の原左都子なりの結論を提示するならば、受験とは我が子がもたらすその結果にはかかわりなく、子どもの成長に応じて親こそがその対応を如何に成すべきかを熟考するまたとはない機会であるとの事ではなかろうか。
「受験に落ちた子」を直後に頭から叱責するような親御さんが、「原左都子エッセイ集」を読んで下さっているとはまさか思ってはいない。
だが、我が子が受験に落ちた直後には親とは誰しも辛いものであることも理解できている。
子どもが受験に合格しようが失敗しようが、親とはそんな事よりも我が子が次のステップに移行する方向に子ども本人に率先して精力を注ぎ込む役割があることを、親の皆さんは実感されているはずだ。
原左都子の娘とてそうだ。
現在我が子は推薦入学予定者に大学から課せられた「化学」「生物」の入学前課題に追われる日々であるが、それを支援する事こそが現在の私の最優先ノルマであるぞ。
この歳になってもういい加減、「化学」のモル計算をさせられるのは勘弁して欲しいのも事実だが…
2月上旬に行われた私立中学及び国公立中高一貫校の合格者も出揃った様子だ。
新聞折込チラシには、塾や受験予備校による合格者速報が大々的に公開され始めている。
ただし個人情報保護法が施行されて以降は合格者の実名や所属学校名を公開することを回避して、合格者名をイニシャル表記にしたり仮名にしている塾や予備校が目立つ。 未だ年端もいかない児童生徒の実名を“塾側の売名目的”と“親の一時の見栄”で表ざたにする弊害を考慮した場合、これは当然の措置であろうと原左都子は考察し安堵している。
以前は広告チラシに合格者名や所属学校名が実名のままつらつらと列挙されていたものである。
我が娘が中学受験を経験した6年前の頃にも、まだ実名チラシは多かった。
当時娘と共に広告チラシの小さい字を辿りつつ、 「同じクラスのあの子は○○中学に合格したようだよ」 「あっ、転校前の小学校のあの子はこんな学校に合格してる!」などと面白おかしく言い合いつつ広告チラシを無責任に楽しんだものだ。 (まあ、他人にとっては今時受験者の合格発表など所詮その程度のものだよねえ。)
何せ、我が子も結果として第二志望だったと言えども一応私立中学に合格し進路が決定していて、ちょっと余裕だった事もあるし~
ついでに我が子の現在の状況に関する私事を何度も語って恐縮ではあるが、我が娘は大学受験に関しても昨秋早々に「公募制推薦入試」合格を決定してくれている。
これは今となっては、親としては実に有難い事実である。
と言うのも、やはり大学の「一般入試」は厳しい現実のようだ。
娘が推薦入試合格を決めている大学に於いても「一般入試」第一期試験が既に実施され、その合格者発表が先日ネット上で公開された。
その合格発表をネットで見て抱いた一保護者としての正直な感想とは、(我が娘が「一般入試」までもつれ込んでいたとしたら合格ゲットは厳しかったのか…)との事である。 一般入試はやはり競争率が高い現状だし、一発勝負という点でも若き受験者にとってはさぞや厳しい世界であることだろう。
ここで余談ではあるし自己弁護になることは承知の上で、何故我が娘が大学一般入試に先立つ「公募制推薦入試」合格をゲットできたのかについて、娘の受験指導を直接担当した“お抱え家庭教師”である原左都子から語らせていただく事としよう。
「公募制推薦入試」とてその合格が容易い世界ではないことは明らかだ。 大学の推薦入試のもう一つの方式である「指定校推薦」とは異なり、「公募制推薦」の場合は受験者本人が大学へ出向き「面接」や「小論文」課題等の一発勝負入試に挑む事となる。 それを合格に導くべく、元教育者である原左都子が特に「小論文」に関しては我が子に対して厳しい指導を繰り返し、その個人指導に我が娘が最後まで耐え抜いたからこそ合格に繋がったと私は自負している。
参考のため「指定校推薦」とは、所属高校の学校長が推薦しさえすれば“無試験”で本人が一度も大学へ出向かずとて合格させる大学も数多い実情であるようだ。 (この「指定校推薦」をもらうためには、子どもの所属高校と保護者との関係等々“陰の特殊事情”が要求されるようだよ~~ ??)
本エッセイ集の今回の表題から、我が娘の合格ゲット遍歴に話題がズレてしまい恐縮である。
原左都子の“お抱え家庭教師力”が強靭であるためか、あるいは受験者本人である娘の目標達成意欲及び精進力が私の意向以上に徹底しているのか、我が子は私立中学受験も大学受験も私の意のままに突き進んでくれている快進撃の有様だ!(自慢話ばかりで恐縮だが…)
そんな我が娘も、実は「小学校入試」において全滅状態の失敗を経験している。
若干の事情を抱えた娘を、当時から現在にかけて“混乱状態”とも表現できる公立小学校に入学させることが親として忍びない思いで、我が家は娘が抱えている事情に理解がある(と教育専門機関より見聞した)私立小学校への入学を希望し受験したのだ。
ところが、当時の小学校現場の事情とは公立私立を問わずまだまだ私の理想には程遠い現実であったようである。 どうやら娘が持って産まれた事情を公開したが故に、すべての受験私立小学校から「不合格」の通知が届いてしまったのである…
何が辛いとて、この時には事情を抱えている子供に関する“世間の認識の無さ”及び“排除思考”が親の私には一番辛かったものだ。
だた私は我が子の小学校受験失敗経験で、子育て段階の早期に親として一回りも二回りも強くなれたような気がする。
たとえ社会が未だ認識不足故にこの子を見捨たとて、母親である私こそがそんな事情にも係わらず立派に育ててみせよう!との決意を改めて促されたのである。
もちろん親の私の力のみならず、その後周囲からのバックアップにも支えられ、我が娘は私立中学受験合格ゲットも自力で果したし、この度は(100年以上に渡る建学の歴史があり、その建学精神により今の時代に及んで高い就職率を誇る)某私立大学推薦入試にも合格してくれたのだ!
最後に原左都子の私論でこの記事をまとめよう。
小中高大学(大学院)そして就職と子を持つ親にとって我が子を受験させる機会は数多いし、その結果も悲喜こもごもであろう。
子どもの受験とは親にとっても実に厳しいものであることは、上記のごとく原左都子も我が娘の受験経験をもって大いに心得ている。(独り立ちするまで今後まだまだ続くなあ…)
そんな中、表題に掲げた 「受験に落ちた子どもへの対応のし方」 の原左都子なりの結論を提示するならば、受験とは我が子がもたらすその結果にはかかわりなく、子どもの成長に応じて親こそがその対応を如何に成すべきかを熟考するまたとはない機会であるとの事ではなかろうか。
「受験に落ちた子」を直後に頭から叱責するような親御さんが、「原左都子エッセイ集」を読んで下さっているとはまさか思ってはいない。
だが、我が子が受験に落ちた直後には親とは誰しも辛いものであることも理解できている。
子どもが受験に合格しようが失敗しようが、親とはそんな事よりも我が子が次のステップに移行する方向に子ども本人に率先して精力を注ぎ込む役割があることを、親の皆さんは実感されているはずだ。
原左都子の娘とてそうだ。
現在我が子は推薦入学予定者に大学から課せられた「化学」「生物」の入学前課題に追われる日々であるが、それを支援する事こそが現在の私の最優先ノルマであるぞ。
この歳になってもういい加減、「化学」のモル計算をさせられるのは勘弁して欲しいのも事実だが…