毎年8月12日が訪れると、25年前に起きた日航ジャンボ機墜落の大惨事が私の脳裏にフラッシュバックする。
私は25年前のまさにこの日に、この歴史的大惨事の第一報を旅先のテレビのニュースで見聞した。
当時30歳を直前に控え未だ独身だった私は、自己実現欲に溢れると同時に、恋愛三昧とも言える日々を謳歌していた。
その頃付き合っていた男性とは音楽の趣味が合っていた。 私が素人ロックバンドのボーカル経験があることを知った男性の提案で、“にわかロックバンド”を結成して三重県の音楽リゾートで合宿をしようという話になった。 その男性が自分の仲間の素人ミュージシャン数名に声をかけ、車2台に分乗して音楽リゾートへ向け1泊2日のスケジュールで三重県へ旅立った。 車での出発組はボーカル担当の私が紅一点だったが、現地で“観客担当”の女性2名が合流することになっていた。 「ロックバンドの合宿」と言えば聞こえがいいが、実はこの旅行は要するに独身男女の“合コン旅行”と表現するのが相応しいことを、当然ながら承知の上での旅立ちだった。
8月12日と言えば、我が故郷における日本に名高い盆踊りの開催日初日でもある。 毎年この時期には、職場の夏季休暇を利用して郷里に帰省するのが例年の私の行事であった。 ところが85年の夏は、上記の「ロックバンド合宿」のスケジュールが入ったため故郷には帰省しないつもりなのだが、実家の親には“軽ノリ合コン旅行”へ行くことは内密にして、その年は帰省しないことのみをあらかじめ伝えておいた。
さて、8月12日の出発の朝はあいにくの雨だったことをよく憶えている。 私が指定した自宅近くの待ち合わせ場所に車2台が到着し、私は当然ながら当時付き合っていた男性が運転する車の助手席に座った。そしてその車には、その男性と一番親しい“ミュージシャン”が後部座席に同乗していた。 この三者関係は至って良好だった。
昼食のために立ち寄った食事処において私はもう一台の車のメンバーと初対面となるのであるが、これがどうもギクシャク状態なのだ… 3人とも無愛想この上ない。 それもやむを得ない話であろう。 どうも無理やり集められた感覚があった。 (まあ、現地に着けば女性2名が合流するし、何とかなるかもしれない…)との希望を繋ぎつつ、不安を抱える私である。
そしてその日の午後三重県のリゾートに到着し、2名の女性も合流して、音楽リゾートのスタジオでいよいよ「ロックバンドの練習」と相成る。 練習曲は既に決まっていた。私が過去にボーカルをした楽曲の練習をして来くれていたメンバー達が、音合わせの後直ぐにその楽曲を奏でてくれる。 ボーカル担当としては、これは心地よい! 女性2人もノリよく音楽に合わせてそれぞれに踊ってくれたりする。 それはいいのだが…
どうしても、にわかに集められたミュージシャンメンバーのノリがイマイチ悪いのだ。 それが気になって仕方がない私は心より楽しめないのだが、当時若気の至りの私はそれにどう対応していいのやらその方策が持てないままこの「ロックバンドの合宿」は終焉を迎えることになる。
その後、この“にわか仕立ての合コン”は夜の飲み会へと時が移る。
テレビニュースが大惨事の前兆を伝えたのはちょうどその時であった。
「東京から大阪に向かっている乗客乗員524名を乗せた日航ジャンボ機が消息を絶った…」
我が“にわか仕立ての合コン”仲間の間にも戦慄が走った…
あの時我が心の内部にどんより押し寄せたのは、何と表現してよいのかわからない一種“罪の意識”だったものである。
私はいろんな人の思いを裏切ってこの旅に出ている。 私の我がままでロックバンドのボーカルを再現したいがために見知らぬミュージシャンにご足労いただいて迷惑を掛けてしまっている。 郷里の親にも今年のお盆は帰らないと言ったものの、その結果は、こんな面白くないことになってしまった…。 そして、現在付き合っているこの男性を私がどう捉えているのかに関して自己分析も出来ていないのに浅はかにもこのような旅に出てしまっている…
だから、こんな大惨事が同時進行で起こってしまったとしか考えようがない……
あくる日、予定通り東京の単身住まいの居住地へ私は帰宅したのだが、私の固定電話には郷里の母からの留守電が何本も入っていた。
それは今夏は帰省しないと言った私の安否を郷里の母が気遣うものだった。
(娘はああ言ってたけど、きっと今年も“阿波踊り”を見るために墜落した日航ジャンボ機に乗って大阪経由で帰省しようとしていたのかもしれない… 娘と昨日から連絡が取れないのは娘が墜落事故に巻き込まれているからに間違いない! テレビニュースでも娘の名前と似た搭乗者名が発表されていた!)……
徳島の“阿波踊り”は本日(8月12日)開幕である。
25年前に、阿波踊りの開催初日に日航ジャンボジェットが墜落したのも何かの怨念かと、その地の出身である私は今でも少しだけ思ったりもする……
先週から発生している台風の影響はどうなのだろうか?? これ程に郷土愛のない原左都子ですら、毎夏徳島の天候が“阿波踊り”開催中の8月15日までの4日間は晴天だといいと願ったりもするのだが……
今年のお盆も郷里へ帰省しない私は、日航ジャンボ機犠牲者520名の冥福を祈りつつ、せめても夜7時のNHKニュースの最後のわずか10秒間で、束の間の郷里の“阿波踊り”を楽しみたいものだが…。
私は25年前のまさにこの日に、この歴史的大惨事の第一報を旅先のテレビのニュースで見聞した。
当時30歳を直前に控え未だ独身だった私は、自己実現欲に溢れると同時に、恋愛三昧とも言える日々を謳歌していた。
その頃付き合っていた男性とは音楽の趣味が合っていた。 私が素人ロックバンドのボーカル経験があることを知った男性の提案で、“にわかロックバンド”を結成して三重県の音楽リゾートで合宿をしようという話になった。 その男性が自分の仲間の素人ミュージシャン数名に声をかけ、車2台に分乗して音楽リゾートへ向け1泊2日のスケジュールで三重県へ旅立った。 車での出発組はボーカル担当の私が紅一点だったが、現地で“観客担当”の女性2名が合流することになっていた。 「ロックバンドの合宿」と言えば聞こえがいいが、実はこの旅行は要するに独身男女の“合コン旅行”と表現するのが相応しいことを、当然ながら承知の上での旅立ちだった。
8月12日と言えば、我が故郷における日本に名高い盆踊りの開催日初日でもある。 毎年この時期には、職場の夏季休暇を利用して郷里に帰省するのが例年の私の行事であった。 ところが85年の夏は、上記の「ロックバンド合宿」のスケジュールが入ったため故郷には帰省しないつもりなのだが、実家の親には“軽ノリ合コン旅行”へ行くことは内密にして、その年は帰省しないことのみをあらかじめ伝えておいた。
さて、8月12日の出発の朝はあいにくの雨だったことをよく憶えている。 私が指定した自宅近くの待ち合わせ場所に車2台が到着し、私は当然ながら当時付き合っていた男性が運転する車の助手席に座った。そしてその車には、その男性と一番親しい“ミュージシャン”が後部座席に同乗していた。 この三者関係は至って良好だった。
昼食のために立ち寄った食事処において私はもう一台の車のメンバーと初対面となるのであるが、これがどうもギクシャク状態なのだ… 3人とも無愛想この上ない。 それもやむを得ない話であろう。 どうも無理やり集められた感覚があった。 (まあ、現地に着けば女性2名が合流するし、何とかなるかもしれない…)との希望を繋ぎつつ、不安を抱える私である。
そしてその日の午後三重県のリゾートに到着し、2名の女性も合流して、音楽リゾートのスタジオでいよいよ「ロックバンドの練習」と相成る。 練習曲は既に決まっていた。私が過去にボーカルをした楽曲の練習をして来くれていたメンバー達が、音合わせの後直ぐにその楽曲を奏でてくれる。 ボーカル担当としては、これは心地よい! 女性2人もノリよく音楽に合わせてそれぞれに踊ってくれたりする。 それはいいのだが…
どうしても、にわかに集められたミュージシャンメンバーのノリがイマイチ悪いのだ。 それが気になって仕方がない私は心より楽しめないのだが、当時若気の至りの私はそれにどう対応していいのやらその方策が持てないままこの「ロックバンドの合宿」は終焉を迎えることになる。
その後、この“にわか仕立ての合コン”は夜の飲み会へと時が移る。
テレビニュースが大惨事の前兆を伝えたのはちょうどその時であった。
「東京から大阪に向かっている乗客乗員524名を乗せた日航ジャンボ機が消息を絶った…」
我が“にわか仕立ての合コン”仲間の間にも戦慄が走った…
あの時我が心の内部にどんより押し寄せたのは、何と表現してよいのかわからない一種“罪の意識”だったものである。
私はいろんな人の思いを裏切ってこの旅に出ている。 私の我がままでロックバンドのボーカルを再現したいがために見知らぬミュージシャンにご足労いただいて迷惑を掛けてしまっている。 郷里の親にも今年のお盆は帰らないと言ったものの、その結果は、こんな面白くないことになってしまった…。 そして、現在付き合っているこの男性を私がどう捉えているのかに関して自己分析も出来ていないのに浅はかにもこのような旅に出てしまっている…
だから、こんな大惨事が同時進行で起こってしまったとしか考えようがない……
あくる日、予定通り東京の単身住まいの居住地へ私は帰宅したのだが、私の固定電話には郷里の母からの留守電が何本も入っていた。
それは今夏は帰省しないと言った私の安否を郷里の母が気遣うものだった。
(娘はああ言ってたけど、きっと今年も“阿波踊り”を見るために墜落した日航ジャンボ機に乗って大阪経由で帰省しようとしていたのかもしれない… 娘と昨日から連絡が取れないのは娘が墜落事故に巻き込まれているからに間違いない! テレビニュースでも娘の名前と似た搭乗者名が発表されていた!)……
徳島の“阿波踊り”は本日(8月12日)開幕である。
25年前に、阿波踊りの開催初日に日航ジャンボジェットが墜落したのも何かの怨念かと、その地の出身である私は今でも少しだけ思ったりもする……
先週から発生している台風の影響はどうなのだろうか?? これ程に郷土愛のない原左都子ですら、毎夏徳島の天候が“阿波踊り”開催中の8月15日までの4日間は晴天だといいと願ったりもするのだが……
今年のお盆も郷里へ帰省しない私は、日航ジャンボ機犠牲者520名の冥福を祈りつつ、せめても夜7時のNHKニュースの最後のわずか10秒間で、束の間の郷里の“阿波踊り”を楽しみたいものだが…。
生存者がいた事は、すごく喜べました。
事実が、次々と・・・、圧力隔壁の修理、尻もち事故の履歴に至るまで、飛行機の安全が問われました。
25年、国内の飛行機事故はぐっと減った様に思えます。
夏に、お盆を前に、やって来る、遺族の御巣鷹山登山が・・・。
私は、東の空に向いて、黙祷する。
原さんがボーカルをされていた事は本日初めて知りました。大きな原さんが舞台に立たれたら映えるでしょうね。それとも迫力に押されて引くのでしょうか。聴いた事がないのでこの程度にしておきます。
そうとは言え、この大惨事を風化させてはならないでしょう。
東京大阪間という幹線経路である航空路線において、お盆の時期で満席状態、そのジャンボ機が羽田離陸後時間が経たないうちにパイロットの腕では修復不能な事態となり、不時着先を探しつつ彷徨った挙句の果てに、御巣鷹山に墜落…
しかも防げたはずの人的事故だったとなると…
ドカドンさん、我々一般国民が今尚出来る事とは、犠牲者の冥福を祈る事と、事故を風化させないことしかないですよね。
isseiさんは、御巣鷹の尾根に参拝されているような気がしていました。
前原大臣が大臣としては初めて御巣鷹に参拝したようですが、その経験を今後の航空機行政に活かしてくれるといいのですが…。(どうも、民主党政権は参院選以降、ますます頼りなくなった現状が気に掛かります…)
katsukoさん、まさにそうでした。
あの頃、国内で大規模事故が多発していましたね。その極め付けがこの日航ジャンボ機の大惨事だったようにも思います…
現在も国内では経済難と平行して、数名の死者を出す小規模事故(例えばヘリの墜落等)が後を絶たない現状と捉えています。
時代を超えて、事業所の規模を超えて、人命を尊び危機管理に精進して欲しいものです。