(写真は、昨日義母との会食の席で撮影したもの。)
先だっての5月3日未明、郷里の高齢者自立支援施設に暮らす実母より突然の電話で叩き起こされ、体力消耗の大打撃を食らった私は、その後も体調不良を引きずっていた。
実母としては施設入居後初めてといえる“奇行”だったが、この先この種の事件が頻繁に発生するのであろう。 その事実を予知し受け入れねばならない立場として、責任感が強靭な私はその重圧に押しつぶされそうな感すらあった。
熟睡出来ない日々が続き、昨日も朝から下痢状態だ。 この数日で既に体重を2kg程減らしている。
ただ、そんな弱音は吐いていられない。
昨日、我が家3名は義母との会食の約束をしていた。 実質“一家の長”である私こそが無事にこの会合を仕切らねばならない。
既に耳がほとんど聞こえない状態かつ認知力低下も極限に達したかと思しき義母の“おもてなし”を、この私が責任を持って全うせねばならない。
幸いな事に、義母が昨日の会食、その後のショッピングの付添い及び施設までのタクシーでの送迎を心より喜んでくれたのが何よりだ。
午前中に義母から昨日のお礼の電話(とは言っても、あちらはほぼ耳が聞こえない状態のため、こちらとしては義母の話に対して“大袈裟な演技力”で相づちを打つだけなのだが、これがまた大変な仕事であるのが実情…)が再度義母からあった。 義母曰く、「昨日は本当に楽しかった。 私は家族に恵まれていて幸せだ。 3人には感謝の思いで一杯だ。 また会いたいからよろしくね。」との趣旨の談話を、実に嬉しそうに話してくれた。
そう言われると、私としても「そうしましょう!」と応えたくなるものだが。 実際、その会合が近づくと“一家の長”である私は、これまた重圧なのだが…
さて、大幅に話題を変えよう。
2018.04.28付 朝日新聞別刷「be」、「それぞれの最終楽章」と題するコラム欄のその回の筆者は 1973年生まれとの未だ若き“在宅医” (以下、S氏としよう)であられた。
この記述内容を読み、私は在宅である身にしてS氏からここまで“手厚い”介護を受けておられた高齢女性を羨望し、私も老後は在宅にしてこのような人生を送りたいとの希望すら抱いたのだ。
そこで、在宅医S氏による「患者の願い 現実をお手伝い」と題する文章を以下に要約して紹介しよう。
在宅医とは、あるときは患者さんから「医師」ではなく「友人」に近い関係を求められることがある。 今回紹介する86歳で亡くなった女性もそうだった。
お子さんはおらずご主人とお母さんで同居していたが、毎年夏に2ヶ月間軽井沢に行くのが楽しみだったが、お母さんとご主人が相次いで亡くなった後、数年間は一人で軽井沢に行っていた。
私(S氏)は2012年1月頃より彼女を看るようになった。 女性は「延命治療をしない」を明言していた。 15年春頃、女性に心筋梗塞と思われる症状が出た。 私(S氏)が「今年も軽井沢へ行きたいのならば検査しましょう」と説得したところ、何とか病院に行ってくれ結果として心筋梗塞の診断が下り、女性は酸素を補う機械を付けて退院した。
夏になって、女性が軽井沢に行く時期になったが、女性は在宅酸素療法の機械を付けているため一人で行けない。 付き添う人が他にいないため、私(S氏)が同行する事にした。 現地軽井沢の病院に、在宅酸素の管理を頼んだ。
しばらくすると、彼女から「先生、寂しいから来て」との連絡があった。 患者さんからそう言われれば断れないため、私(S氏)は軽井沢の彼女の元へ行き、食事をして一泊して帰って来た。
軽井沢旅行の他に、もう一つ彼女の「願い」に寄り添った事がある。 それは彼女のお母さんとご主人との「墓作り」だ。 その「墓作り」を見届けた後、彼女は(あの世へ)旅立った。
(以下略すが、以上在宅医S氏による「それぞれの最終楽章」記載内容の一部を引用したもの。)
原左都子の私論でまとめよう。
直ぐ上に記載した在宅医(S氏)による文章とは、 一歩踏み違えば、「高齢女性と在宅医による切ない恋愛物語」の匂いもする程 “刺激的” と言える話題ではなかろうか???
何だか私など、“危険性”すら抱かされる内容だ。
いや、もっと正直に言うと、こんな老後を迎えたいとそそのかしてくれる程“美味しそうな”在宅医の記載だ。(単に我が勘違いにより言い過ぎている場合、失礼をお詫びします。)
集団嫌いで名を馳せているこの私も、絶対的に将来「介護施設」になど入居したくないのが歴然であるのに加え、遠い将来たとえ病に倒れようと入院治療もお断りしたい。
そうなると自宅にて病に倒れた場合、「在宅医」のお世話になるのだろうか??
(数年前義理姉が膵臓癌で余命告知を受けた後、義母の財力のお陰で義理姉は最終期に自宅にて「在宅医」のお世話になっているため、私もある程度その現状を周知しているのだが。)
まずそれを実行するには、少なからずの財力を要する事実は上記義理姉の事例で多少心得ている。
そうすると単に庶民である私の場合、人生最終楽章に於いて「在宅医」採用は所詮無理な話か?!?
未だ高齢域とは言えない若き世代の原左都子にして、何を馬鹿な話題を提示しているのかとの自己反省もある。
ただ、既に「最終楽章」に達しようとしている身内高齢者を2名抱え日々格闘している身でもある。
その現実は、実際厳しい。
だからこそ、遠い未来に訪れる我が「最終楽章」に密かな夢を描いても許されるのではあるまいか??
明日は必ずや私はいつも通っている音楽スタジオにて、フルート練習をする予定だ。
たとえ椅子が「折り畳み椅子」であろうと、フルート練習をする事を楽しみにしている。
先だっての5月3日未明、郷里の高齢者自立支援施設に暮らす実母より突然の電話で叩き起こされ、体力消耗の大打撃を食らった私は、その後も体調不良を引きずっていた。
実母としては施設入居後初めてといえる“奇行”だったが、この先この種の事件が頻繁に発生するのであろう。 その事実を予知し受け入れねばならない立場として、責任感が強靭な私はその重圧に押しつぶされそうな感すらあった。
熟睡出来ない日々が続き、昨日も朝から下痢状態だ。 この数日で既に体重を2kg程減らしている。
ただ、そんな弱音は吐いていられない。
昨日、我が家3名は義母との会食の約束をしていた。 実質“一家の長”である私こそが無事にこの会合を仕切らねばならない。
既に耳がほとんど聞こえない状態かつ認知力低下も極限に達したかと思しき義母の“おもてなし”を、この私が責任を持って全うせねばならない。
幸いな事に、義母が昨日の会食、その後のショッピングの付添い及び施設までのタクシーでの送迎を心より喜んでくれたのが何よりだ。
午前中に義母から昨日のお礼の電話(とは言っても、あちらはほぼ耳が聞こえない状態のため、こちらとしては義母の話に対して“大袈裟な演技力”で相づちを打つだけなのだが、これがまた大変な仕事であるのが実情…)が再度義母からあった。 義母曰く、「昨日は本当に楽しかった。 私は家族に恵まれていて幸せだ。 3人には感謝の思いで一杯だ。 また会いたいからよろしくね。」との趣旨の談話を、実に嬉しそうに話してくれた。
そう言われると、私としても「そうしましょう!」と応えたくなるものだが。 実際、その会合が近づくと“一家の長”である私は、これまた重圧なのだが…
さて、大幅に話題を変えよう。
2018.04.28付 朝日新聞別刷「be」、「それぞれの最終楽章」と題するコラム欄のその回の筆者は 1973年生まれとの未だ若き“在宅医” (以下、S氏としよう)であられた。
この記述内容を読み、私は在宅である身にしてS氏からここまで“手厚い”介護を受けておられた高齢女性を羨望し、私も老後は在宅にしてこのような人生を送りたいとの希望すら抱いたのだ。
そこで、在宅医S氏による「患者の願い 現実をお手伝い」と題する文章を以下に要約して紹介しよう。
在宅医とは、あるときは患者さんから「医師」ではなく「友人」に近い関係を求められることがある。 今回紹介する86歳で亡くなった女性もそうだった。
お子さんはおらずご主人とお母さんで同居していたが、毎年夏に2ヶ月間軽井沢に行くのが楽しみだったが、お母さんとご主人が相次いで亡くなった後、数年間は一人で軽井沢に行っていた。
私(S氏)は2012年1月頃より彼女を看るようになった。 女性は「延命治療をしない」を明言していた。 15年春頃、女性に心筋梗塞と思われる症状が出た。 私(S氏)が「今年も軽井沢へ行きたいのならば検査しましょう」と説得したところ、何とか病院に行ってくれ結果として心筋梗塞の診断が下り、女性は酸素を補う機械を付けて退院した。
夏になって、女性が軽井沢に行く時期になったが、女性は在宅酸素療法の機械を付けているため一人で行けない。 付き添う人が他にいないため、私(S氏)が同行する事にした。 現地軽井沢の病院に、在宅酸素の管理を頼んだ。
しばらくすると、彼女から「先生、寂しいから来て」との連絡があった。 患者さんからそう言われれば断れないため、私(S氏)は軽井沢の彼女の元へ行き、食事をして一泊して帰って来た。
軽井沢旅行の他に、もう一つ彼女の「願い」に寄り添った事がある。 それは彼女のお母さんとご主人との「墓作り」だ。 その「墓作り」を見届けた後、彼女は(あの世へ)旅立った。
(以下略すが、以上在宅医S氏による「それぞれの最終楽章」記載内容の一部を引用したもの。)
原左都子の私論でまとめよう。
直ぐ上に記載した在宅医(S氏)による文章とは、 一歩踏み違えば、「高齢女性と在宅医による切ない恋愛物語」の匂いもする程 “刺激的” と言える話題ではなかろうか???
何だか私など、“危険性”すら抱かされる内容だ。
いや、もっと正直に言うと、こんな老後を迎えたいとそそのかしてくれる程“美味しそうな”在宅医の記載だ。(単に我が勘違いにより言い過ぎている場合、失礼をお詫びします。)
集団嫌いで名を馳せているこの私も、絶対的に将来「介護施設」になど入居したくないのが歴然であるのに加え、遠い将来たとえ病に倒れようと入院治療もお断りしたい。
そうなると自宅にて病に倒れた場合、「在宅医」のお世話になるのだろうか??
(数年前義理姉が膵臓癌で余命告知を受けた後、義母の財力のお陰で義理姉は最終期に自宅にて「在宅医」のお世話になっているため、私もある程度その現状を周知しているのだが。)
まずそれを実行するには、少なからずの財力を要する事実は上記義理姉の事例で多少心得ている。
そうすると単に庶民である私の場合、人生最終楽章に於いて「在宅医」採用は所詮無理な話か?!?
未だ高齢域とは言えない若き世代の原左都子にして、何を馬鹿な話題を提示しているのかとの自己反省もある。
ただ、既に「最終楽章」に達しようとしている身内高齢者を2名抱え日々格闘している身でもある。
その現実は、実際厳しい。
だからこそ、遠い未来に訪れる我が「最終楽章」に密かな夢を描いても許されるのではあるまいか??
明日は必ずや私はいつも通っている音楽スタジオにて、フルート練習をする予定だ。
たとえ椅子が「折り畳み椅子」であろうと、フルート練習をする事を楽しみにしている。