少し前の話になるが、NHK昼の番組「スタジオパークからこんにちは」のゲストとして、医師でありタレントでもあられる 西川史子氏 が出演しておられた。
その西川氏が出演された生番組の冒頭で、「私は離婚したばかりで大打撃を受けている」云々のお話をされた事に関しては、「原左都子エッセイ集」4本前のバックナンバー 「離婚って、そんなに辛い事象かなあ??」 に於いても記述した。
さて今回の我がエッセイは、西川史子氏が番組内でもう一つのテーマとされた「自分が過去に母親から受けた教育」談義から引用させていただく事とする。
その前に、原左都子が抱く“西川史子氏”なる女性に関する印象を述べさせて頂こう。
(民放番組をほとんど見ない私にとって西川氏を拝見するのは今回が3度目程度の認識で、身勝手にもその人物評価を記載させていただく失礼を、まずはお断りしておかねばならないであろう。 その上での印象に過ぎないが…)
この女性、自己顕示欲が強いのに加えて、(得体の知れない)自信に天然質で満ち溢れておられる人物なのではなかろうか。
ただ原左都子の私論としては、それこそが彼女が持って生まれ、かつ自らが更に育成して来た「武器」とも考察するのだ。
それでは西川氏による母親氏より受けた幼少時よりの教育を、我が記憶に頼り以下に紹介しよう。
父は元々整形外科医だが、嫁いだ母は単なる主婦だった。 そんな母はどうしても子どもを医師にしたかったようだ。 ところが長男は素直で軟弱気質。 次に生まれた女である私の反発力に期待したようだ。
そんな気丈な私を「医師にしよう!」と志した母の日々の教育は徹底していた。
学校では「学科勉強のみ頑張るように。」 「あなたの能力ですべての科目を頑張っていては、将来医師にはなれない。」「体育の時間は全力疾走しないで余力を残す努力をせよ。」「家庭科の裁縫などは我が家のお抱え家庭教師に任せるから、その分学科勉強に励め。」 「音楽とて同様だ。決して大声で歌など歌わず口パクでごまかし、次の算数の時間に全力を発揮せよ。」
そんな母親氏の指示に素直に従った結果、西川氏は聖マリアンナ医科大学を経て、医師免許を取得し現在に至っているとの談話だった。
ここで再び私論を少し述べよう。
原左都子も元々医学部出身(私の場合はパラメディカル分野だが)であるから、「医師免許」を取得するまでの苦労の程は傍目で見て十分図り知っている。 確かに(例え大学間の格差があろうと)、医師免許を取得するに至る過程は医学部入学後6年間にも及び、厳しい専門学問や数々の実習等を経過し得ないとクリアできない資格である事を承知している。
西川史子氏はその厳しい過程を通過したとの歴史があるが故に、タレント活動が下火になった今現在に及んで尚、自己顕示欲が強靭であり、また得体の知れない自信に満ち溢れる事が可能なのであろう。
それでは西川史子氏の母親氏が実施したとの、「学校のお勉強(学科学習)にのみ特化した学習指導」に関する記述、及びそれに対する私論に入ろう。
実は私が小中高生だった時代は、庶民にとってこれぞ“正規”の学習形態だった。
「もはや戦後ではない」なる戦後まもない時代にこの世に生を受けた私の小学生時代とは、とにかく「学科勉強」が出来る子供がもてはやされるとの、歪んだ時代背景だったものだ。
その影響で「図工」「音楽」などに於いても“お勉強ができる子”が真っ先に取り上げられ、その子達が作成したものが賞に輝いていたのが事実だ。 その恩恵を受けて私が描いた絵が「市長賞」に輝いたり、音楽分野に於いてはいつも学芸会の主役級に取り上げられた事を記憶している。(音楽に関しては好きでやっていたから嬉しかったものの、図工など大嫌いで、嫌々描いた絵が何で「市長賞」なの?と私自身納得いかなかったものだ。)
その現象を一番喜んでいたのが我が母であった。 「我が家の娘たちが学校のお勉強が出来るお陰で、親として鼻が高い!」 その種の歪んだ優越感を持ち続ける人生を歩むしか方策が取れなかったのが、我が母としての一番の失敗だったと私は結論付けている。
そんな母が高齢者となった今尚、長年の歴史を経て私にいつまでも言い続ける事がある。
「私は自分が産んだ娘二人が学校で優秀だったし、二人共有名大学(あくまでも地元ではね…)に進学しその後素晴らしく社会に羽ばたいてくれた事に一生嬉しい思いをしてるけど、貴方が産んだ子供は今どうなの? 米国在住の長女の息子は優秀だと聞いてるよ。」
これに対し、「学校のお勉強が出来た事だけが子供のその後の人生ではない! もしも万一、我が娘が就職にありつけなくとも、私にとっては一生可愛い我が子だよ!」と母に何度も説諭しているにもかかわらず、執拗にまで孫である我が娘の就職の行く先を憂慮する母に痛めつけられる現状だ……
最後に私論でまとめよう。
西川史子氏の場合、医師免許取得者にしてミスコンに出場してみたりタレントとして毒舌吐いたりと、得体の知れない自信を武器として強靭な生き様を描きつつこの世を生き抜いておられる“類まれな”人物であろう。
氏の母上が何を欲していたかに関しては不明なれど、おそらく現在の西川氏が“医師以外の分野”で少なからずの収入を上げ活躍されている実態にご満足なのではなかろうか??
その意味で、西川史子氏の母親氏の教育は成功したと評価できよう。
そうではなく、一般市民がこれを真似ようとて容易ではない事を伝えておきたい。
学校のお勉強のみ子供にさせて、今時、脳が活性化するはずもないのだ。
そこは各ご家庭の判断で、我が子の特性を見抜いて欲しいものだ。
その西川氏が出演された生番組の冒頭で、「私は離婚したばかりで大打撃を受けている」云々のお話をされた事に関しては、「原左都子エッセイ集」4本前のバックナンバー 「離婚って、そんなに辛い事象かなあ??」 に於いても記述した。
さて今回の我がエッセイは、西川史子氏が番組内でもう一つのテーマとされた「自分が過去に母親から受けた教育」談義から引用させていただく事とする。
その前に、原左都子が抱く“西川史子氏”なる女性に関する印象を述べさせて頂こう。
(民放番組をほとんど見ない私にとって西川氏を拝見するのは今回が3度目程度の認識で、身勝手にもその人物評価を記載させていただく失礼を、まずはお断りしておかねばならないであろう。 その上での印象に過ぎないが…)
この女性、自己顕示欲が強いのに加えて、(得体の知れない)自信に天然質で満ち溢れておられる人物なのではなかろうか。
ただ原左都子の私論としては、それこそが彼女が持って生まれ、かつ自らが更に育成して来た「武器」とも考察するのだ。
それでは西川氏による母親氏より受けた幼少時よりの教育を、我が記憶に頼り以下に紹介しよう。
父は元々整形外科医だが、嫁いだ母は単なる主婦だった。 そんな母はどうしても子どもを医師にしたかったようだ。 ところが長男は素直で軟弱気質。 次に生まれた女である私の反発力に期待したようだ。
そんな気丈な私を「医師にしよう!」と志した母の日々の教育は徹底していた。
学校では「学科勉強のみ頑張るように。」 「あなたの能力ですべての科目を頑張っていては、将来医師にはなれない。」「体育の時間は全力疾走しないで余力を残す努力をせよ。」「家庭科の裁縫などは我が家のお抱え家庭教師に任せるから、その分学科勉強に励め。」 「音楽とて同様だ。決して大声で歌など歌わず口パクでごまかし、次の算数の時間に全力を発揮せよ。」
そんな母親氏の指示に素直に従った結果、西川氏は聖マリアンナ医科大学を経て、医師免許を取得し現在に至っているとの談話だった。
ここで再び私論を少し述べよう。
原左都子も元々医学部出身(私の場合はパラメディカル分野だが)であるから、「医師免許」を取得するまでの苦労の程は傍目で見て十分図り知っている。 確かに(例え大学間の格差があろうと)、医師免許を取得するに至る過程は医学部入学後6年間にも及び、厳しい専門学問や数々の実習等を経過し得ないとクリアできない資格である事を承知している。
西川史子氏はその厳しい過程を通過したとの歴史があるが故に、タレント活動が下火になった今現在に及んで尚、自己顕示欲が強靭であり、また得体の知れない自信に満ち溢れる事が可能なのであろう。
それでは西川史子氏の母親氏が実施したとの、「学校のお勉強(学科学習)にのみ特化した学習指導」に関する記述、及びそれに対する私論に入ろう。
実は私が小中高生だった時代は、庶民にとってこれぞ“正規”の学習形態だった。
「もはや戦後ではない」なる戦後まもない時代にこの世に生を受けた私の小学生時代とは、とにかく「学科勉強」が出来る子供がもてはやされるとの、歪んだ時代背景だったものだ。
その影響で「図工」「音楽」などに於いても“お勉強ができる子”が真っ先に取り上げられ、その子達が作成したものが賞に輝いていたのが事実だ。 その恩恵を受けて私が描いた絵が「市長賞」に輝いたり、音楽分野に於いてはいつも学芸会の主役級に取り上げられた事を記憶している。(音楽に関しては好きでやっていたから嬉しかったものの、図工など大嫌いで、嫌々描いた絵が何で「市長賞」なの?と私自身納得いかなかったものだ。)
その現象を一番喜んでいたのが我が母であった。 「我が家の娘たちが学校のお勉強が出来るお陰で、親として鼻が高い!」 その種の歪んだ優越感を持ち続ける人生を歩むしか方策が取れなかったのが、我が母としての一番の失敗だったと私は結論付けている。
そんな母が高齢者となった今尚、長年の歴史を経て私にいつまでも言い続ける事がある。
「私は自分が産んだ娘二人が学校で優秀だったし、二人共有名大学(あくまでも地元ではね…)に進学しその後素晴らしく社会に羽ばたいてくれた事に一生嬉しい思いをしてるけど、貴方が産んだ子供は今どうなの? 米国在住の長女の息子は優秀だと聞いてるよ。」
これに対し、「学校のお勉強が出来た事だけが子供のその後の人生ではない! もしも万一、我が娘が就職にありつけなくとも、私にとっては一生可愛い我が子だよ!」と母に何度も説諭しているにもかかわらず、執拗にまで孫である我が娘の就職の行く先を憂慮する母に痛めつけられる現状だ……
最後に私論でまとめよう。
西川史子氏の場合、医師免許取得者にしてミスコンに出場してみたりタレントとして毒舌吐いたりと、得体の知れない自信を武器として強靭な生き様を描きつつこの世を生き抜いておられる“類まれな”人物であろう。
氏の母上が何を欲していたかに関しては不明なれど、おそらく現在の西川氏が“医師以外の分野”で少なからずの収入を上げ活躍されている実態にご満足なのではなかろうか??
その意味で、西川史子氏の母親氏の教育は成功したと評価できよう。
そうではなく、一般市民がこれを真似ようとて容易ではない事を伝えておきたい。
学校のお勉強のみ子供にさせて、今時、脳が活性化するはずもないのだ。
そこは各ご家庭の判断で、我が子の特性を見抜いて欲しいものだ。