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(冒頭写真は、エジプト・ギザのスフィンクスとクフ王のピラミッド。 2007.08に家族旅行をした際に撮影したもの。)
ついでに、goo編集画面よりエジプト旅行の際に撮影した写真の一部を以下に引用しておこう。
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クフ王のピラミッド。
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エジプトにて購入したパピルス画
昨夜NHK総合テレビにて、エジプト・ギザのピラミッド等に関する特集番組が放映された。
2007年夏に未だ中学生だった娘も引き連れてエジプト・ギリシャ方面へ家族旅行をした経験がある私は、この番組を視聴することを楽しみにしていた。
当該旅行を実行した頃には未だブログを立ち上げていなかったのだが。(「原左都子エッセイ集」は 2007年9月の開設。)
その後やっと写真をブログに添付する能力が身についた2008年5月の連休時に、エジプト・ギリシャ方面旅行のエッセイを公開するに至っている。
昨夜のNHKテレビ「ピラミッド特集」放映の恩恵か、本日の我がPopular entries top 10に、“ピラミッド”関連のバックナンバーが3本エントリーしている。
今自分で読み返しても、ある程度「ピラミッド」に関して論説出来ていると判断するため、これらのエッセイを再掲載させていただこう。
まずは、2008.05.03公開の「五千年の歴史を眺めたピラミッド」から引用しよう。
前回の記事、エジプト、ギリシャ方面旅行記の続編になるが、今回の記事ではエジプトのピラミッドについて綴ることにしよう。
エジプト観光と言えば、何と言っても“ピラミッド”と“スフィンクス”がそのハイライトであろう。
そのうち今回の記事ではピラミッドを取り上げ、その五千年の歴史やなぜピラミッドは崩れないのかなどの謎について、現地エジプト人ガイドさんの説明等も交えて綴ることにしよう。
今回のエジプト観光で出会った現地のガイドさんは、国立カイロ大学日本語学科出身で日本での生活も長く日本語がペラペラ、加えて、博学でエジプトに関する知識が豊富な方でいらっしゃったため、十分な説明を伺うことができた。
“ピラミッド”とは、エジプトや中南米などに見られる四角錐状の巨大建造物の総称である。
古代エジプトにおけるピラミッドとは、巨石を四角錐状に積み上げ、中に通路や部屋を配置した建造物であり、単体として完成したものではなく、付随する葬祭殿などとの複合体として考えるべき特徴を持つ。
元々この建造物は「ピラミッド」とは呼ばれておらず、建造後千年も経過してからそれをみたギリシャ人によって、自分達が食べている「ピラミス」というパンに似ていることからこの名前が付けられたそうである。
このピラミッドがどんな目的で建造されたかについては、何も記録が残っておらず現在なお謎の部分が多く、学説にも諸説が存在するようである。近年まで奴隷が築いた王の墓という説が有力であったが、現在ではこの説は否定され、農閑期に自由身分の農民らの労働者によって築かれた公共事業であったという説が定説となっている。
ピラミッドの使用目的についても、天文台、食料倉庫などの諸説があるが、これも未だ謎のままであるらしい。
数多いエジプトのピラミッドの中でも一番有名なのは、ナイル川を挟んで首都カイロの対岸にあるギザの三大ピラミッドである。すなわち、エジプト古王国時代の紀元前2550年頃に造営されたとされる、クフ王、カフラー王、メンカウラー王の3つのピラミッドである。 今回の我々の旅行でも、この三大ピラミッドとスフィンクスを観光した。(ピラミッドを見ながら、らくだにも乗ったけどね。これはシートベルトもないし、落ちたら大怪我をしそうで下手な遊園地の乗り物より怖い!)このうち、クフ王のピラミッドは世界最大の大きさを誇り、底辺は各辺230m、高さ146m(現在は多少低くなっているらしいが。)に達する。
クフ王の息子のカフラー王、またその息子のメンカウラー王の順にピラミッドは小型化されている。世界のピラミッド研究者の間では王家代々のピラミッドの縮小化の理由は謎とされ、これまた諸説が存在する。今回の現地エジプト人ガイドさんの解説によると、エジプトでは古代から現代に至るまで、イスラム教の教えにより親を敬う国民性が根強いため、子は親より小さなピラミッドを造って親を尊んだのだと現地では語り継がれているとのことである。
ピラミッドに関する話はまだまだ盛り沢山なのであるが、今回はここまでにしよう。
次回、ピラミッドは五千年の歴史に耐えてなお崩れずに原型を留めている理由等につき、仮説検証をしてみることにする。
エジプト観光と言えば、何と言っても“ピラミッド”と“スフィンクス”がそのハイライトであろう。
そのうち今回の記事ではピラミッドを取り上げ、その五千年の歴史やなぜピラミッドは崩れないのかなどの謎について、現地エジプト人ガイドさんの説明等も交えて綴ることにしよう。
今回のエジプト観光で出会った現地のガイドさんは、国立カイロ大学日本語学科出身で日本での生活も長く日本語がペラペラ、加えて、博学でエジプトに関する知識が豊富な方でいらっしゃったため、十分な説明を伺うことができた。
“ピラミッド”とは、エジプトや中南米などに見られる四角錐状の巨大建造物の総称である。
古代エジプトにおけるピラミッドとは、巨石を四角錐状に積み上げ、中に通路や部屋を配置した建造物であり、単体として完成したものではなく、付随する葬祭殿などとの複合体として考えるべき特徴を持つ。
元々この建造物は「ピラミッド」とは呼ばれておらず、建造後千年も経過してからそれをみたギリシャ人によって、自分達が食べている「ピラミス」というパンに似ていることからこの名前が付けられたそうである。
このピラミッドがどんな目的で建造されたかについては、何も記録が残っておらず現在なお謎の部分が多く、学説にも諸説が存在するようである。近年まで奴隷が築いた王の墓という説が有力であったが、現在ではこの説は否定され、農閑期に自由身分の農民らの労働者によって築かれた公共事業であったという説が定説となっている。
ピラミッドの使用目的についても、天文台、食料倉庫などの諸説があるが、これも未だ謎のままであるらしい。
数多いエジプトのピラミッドの中でも一番有名なのは、ナイル川を挟んで首都カイロの対岸にあるギザの三大ピラミッドである。すなわち、エジプト古王国時代の紀元前2550年頃に造営されたとされる、クフ王、カフラー王、メンカウラー王の3つのピラミッドである。 今回の我々の旅行でも、この三大ピラミッドとスフィンクスを観光した。(ピラミッドを見ながら、らくだにも乗ったけどね。これはシートベルトもないし、落ちたら大怪我をしそうで下手な遊園地の乗り物より怖い!)このうち、クフ王のピラミッドは世界最大の大きさを誇り、底辺は各辺230m、高さ146m(現在は多少低くなっているらしいが。)に達する。
クフ王の息子のカフラー王、またその息子のメンカウラー王の順にピラミッドは小型化されている。世界のピラミッド研究者の間では王家代々のピラミッドの縮小化の理由は謎とされ、これまた諸説が存在する。今回の現地エジプト人ガイドさんの解説によると、エジプトでは古代から現代に至るまで、イスラム教の教えにより親を敬う国民性が根強いため、子は親より小さなピラミッドを造って親を尊んだのだと現地では語り継がれているとのことである。
ピラミッドに関する話はまだまだ盛り沢山なのであるが、今回はここまでにしよう。
次回、ピラミッドは五千年の歴史に耐えてなお崩れずに原型を留めている理由等につき、仮説検証をしてみることにする。
(以上、2008.05バックナンバーより再掲載したもの。)