原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

それ程重くはない。

2009年02月26日 | その他オピニオン
 「それ程重くはない。」

 少し古い話になるが、この言葉は昨年ノーベル物理学賞を受賞し授賞式から帰国したばかりの小林誠氏が、国内のマスメディアからの「ノーベル賞のメダルは重いですか?」とのインタビューに応じて、返した第一声である。

 昨年ノーベル物理学賞を受賞した日本人3氏のうち、今回のノーベル物理学賞受賞の対象研究に恐らく一番貢献した人物であると思われるこの小林氏に、私は受賞当初より好感を抱かせていただいていた。小林氏は始終控えめな態度でいつも諸先輩の受賞者の後ろに位置し、冷静に言動されていた。
 そんな小林氏が授賞式より帰国後開口一番、今回の自らの受賞に対し、静かな口調で「それ程重くはない。」との私観を述べられたことが私の脳裏に焼き付いている。
 世界で最高の賞とも言えるノーベル賞を受賞され、世界の賞賛の渦中にありながら、ご自身の受賞を「それ程重くはない」と冷静に捉えられている小林氏の奥深い思慮が、私は今尚印象的である。


 すべての事象に重みがないことを体感させられる今の時代である。
 さすがにノーベル賞に関してはある程度の重みがあると私は考えるのだが、世に氾濫する各種の「賞」というものの重みが昔と比して格段と軽くなっていることを、実感する今日この頃である。

 例えば、芥川賞、直木賞等の文学賞であるが、あれなど、今や本が一時期売れさえすればいいという出版社の商業主義の観点で選考がなされているのかと捉えられるほど、賞の価値が成り下がってしまっている印象を受ける。作家が使い捨ての時代と化している現状が浮き彫りであるように感じているのは、私のみであろうか。
 そんな現象を象徴するかのように、受賞者(特に女性の受賞者)は受賞後顔を整形して着飾って、まるでタレントのごとくマスメディアに登場した挙句短命で消え去り、世間から忘れ去られていくのが今の文学賞というものの実態である。

 先だって授賞式が行われた米国アカデミー賞に関しても同様の印象を私は抱いている。
 これに関しては、単に私がそもそも映画というものにさほどの興味がないせいであることによるものかもしれない。 ただ、映画にはズブの素人の私も過去においてアカデミー賞受賞作品に感銘を受けた経験はある。何本かのアカデミー賞作品を観ているが、“クレイマーvsクレイマー”などは大いに感動して涙を流したものである。
 今年の短編アニメ賞を受賞した加藤久仁生監督による「つみきのいえ」は、ニュース報道で垣間見てこの私も興味を抱いている。機会があれば是非観賞させていただきたいものである。 
 その他の今回のアカデミー賞受賞映画に関しては、マスメディア報道から得た情報の範囲内では私がさほど興味を持てないでいるのは、単なる好みの問題であろうか。

 文学にせよ、映画にせよ、社会における情報の多元化や人の価値観の多様化と共に、今の時代は如何に優れた作品であれ“一世を風靡”するという現象が困難な時代と化しているようにも思える。それが「賞」の重みを下落させている一因であるようにも考察する。
 これは、人の個性の多様性の尊重という意味合いにおいては“健全”な現象であろう。そして別の意味では人間同士の共通の話題がどんどん減少し、人間関係の希薄化を加速する一要因ともなっているのであろう。


 いずれにしても、商業主義に基づいた「賞」や、それとの癒着により一部の個人に一時のみの利益しかもたらさない「賞」とは、結局は今後の科学や学術や文化の発展に寄与し得るすべもなく、歴史のほんの一端さえ形成し得ないことは明白である。
 商業主義を抜きにしては成り立たない今の資本主義社会構造の中において、「賞」の重みがどんどん下落していくのは、残念ではあるが必然的な現象であるのかもしれない。 
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10 Comments

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「賞」にもいろいろ (佐武寛)
2009-02-26 19:09:48
 賞と言うのは、選考委員次第なところもあって、絶対評価は難しいのでしょうが、ノーベル賞はやはり権威があるように思います。文学賞などはきわめて軟弱なように思いますね。
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確かに・・・ (ドカドン)
2009-02-26 20:18:24
賞の重みがどんどん軽くなる時勢ですね。
でも、そうしているのは、マスコミではないでしょうか?
身近に子供が貰って来た賞は、親(私)を十分に満足させるものでした。
ローカルな賞の中には、まだまだ感動させられるものはあるものです。
賞は、マスコミによって商業的に扱われてる面もありますが、今回、外国映画賞の「おくりびと」は、チョット見たい気にさせますよね。
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賞の権威とか重みは大事でもある (ガイア)
2009-02-26 22:19:39
先般アカデミー賞を受賞した「おくりびと」(滝田洋二郎監督作品)に、受賞のニュースが報道された直後から大勢の観客が映画館に詰め掛けたそうです。私の近所では、コーヒーショップや居酒屋での話題になっています。

「いい映画だった」と皆さん方は口繰りに仰るのですが、そんなに素晴らしい作品なら何故受賞前に観なかったのか、と私は不思議に思います。

受賞は映画の観客動員数を増やし、興行的な成果を齎します。他のSNSサイトでも、この映画は随分以前から前宣伝がされていました。

ノーベル賞を受賞された南部 陽一郎、小林 誠、益川敏英、下村 脩、各氏に関し、メディアは人物像やエピソードを採り挙げて話題づくりを遣っていました。しかし、権威と重みあるノーベル賞にしては、肝心の受賞内容や受賞理由、研究内容や業績などについては解説が少なかったです。新聞はもっと肝心なことを詳しく記述、解説しても良さそうに思うのですが、物理学や化学はそんなに簡単なものではない、と言う事でしょうか。

エッセイの本題からずれたコメントになってしまいました。
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Unknown (ロング)
2009-02-27 08:45:46
商業主義や、癒着により、一部の個人にのみ利益をもたらす「賞」が消えていくことは、どれくらい時間がかかるかはわかりませんが、自明の理でしょう。
いろいろな芸術のジャンルはあると思いますが、偽物じゃなく、本物が跋扈するような選考をお願いしたいものです。
しかし、ノーベル賞を重くないといいきる方のお考えは私には理解できません。
ひょっとして、メダルのウエイトが軽かったのでは?
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佐武さん、本人だけでなく周囲も感動できる「賞」であって欲しいです。 (原左都子)
2009-02-27 15:44:39
名立たる「賞」の審査員とは“有名人”が多いのですが、有名であることと評価能力があることとはそもそも別物と思います。
しかも、背後の商業主義との“癒着”も否定できないようにも感じます。

本人だけが自己満足する「賞」ではなく、周囲にも感動を与え、社会を変革できる力のある「賞」であって欲しいものです。
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ドカドンさん、最近の映画は… (原左都子)
2009-02-27 15:57:54
ドカドンさん、子どもが「賞」をもらうと親としては確かにうれしいですね。でも、今の学校は「賞」も順番制を採っていたりして、その順番が遅く回って来た場合、親としては複雑な心境にもなります…

近頃映画を普段あまり観ない私なのですが、たまに観ても感動しなくなっている自分がいます。
それはおそらく、自分自身が人生経験を重ねてきて経験値が豊富になっているため、既にもっと波乱万丈な出来事を経験済みだったりするため、画面の虚像を嘘臭く感じたりするからだと自己分析しています。

「おくりびと」に関しても、実は私はさほどの興味はありません。なぜならば、既に自分が実際に身内の“死”と向き合って多くのものを感じ、その経験が自分なりの人生観の一部となって今の私を形作っているためです。
いずれテレビ放映されたら、参考のために見てみます。
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ガイアさん、「賞」には客員動員力がありますね。 (原左都子)
2009-02-27 16:24:08
以前アカデミー賞を受賞したアニメの「千と千尋…」もそうなのですが、あれもアカデミー賞受賞後にロングランを続けました。
結局、商業主義をさらに発展させるのはマスメディアの影響力の賜物なのですが、世の人々の大半は「賞」を取ること、イコール、「すばらしい!」との単純思考の下にただ流されている現状です。

それでも貨幣が流通して経済が発展するのでそれでいいのですが、それだから尚更、特に世に名立たる「賞」とは受賞に関して社会的責任を伴うと私は考えます。
安易に商業主義に流されて受賞者を決定していては、科学や学術や文化における自らの判断力の無い国民のすべてがさらにレベルダウンしてしまいます。
そういった社会現象に警告を鳴らす意味もかねて、今回の記事を綴りました。

昨年のノーベル物理学賞に関しては、その研究内容のある程度の詳細が、朝日新聞に私のような素人にも分かり易く掲載され、NHKでも報道されたのを私は見聞しました。
それらの報道に基づいて、この「原左都子エッセイ集」におきましても“対称性の破れ”と題して物理学賞の内容を素人の私なりに綴っております。(当ブログのバックナンバーをご参照下されば幸いです。)
3氏のうちのどなたが、どういった研究をされたのかは私はある程度(あくまでもある程度ですが)は把握した上で、上記記事を綴りました。

今の報道にも捨てがたい一面がありまして、興味を持って見ておりますと、その意向に沿ってくれる面もあります。
でも、万人の興味は多様性がありますから、どうしても、自分の興味のあり方で見逃してしまいますよね。
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ロングさん、小林氏の発言は重かったです。 (原左都子)
2009-02-27 16:45:58
ノーベル物理学賞を受賞した小林誠氏の「それ程重くはない」との発言内容は、実はとても“重い”のです。
私は、小林氏のその発言をNHKの総合放送で見聞しました。
それをすぐにブログ記事に取り上げればよかったのですが、ノーベル物理学賞受賞者の発言の“重さ”を、この私が安易にまとめられるすべもなく月日が流れておりました。
その辺の私の説明が足りてないことに関しましては、ロングさんにお詫び申し上げます。

今回の米国アカデミー賞に一種の“軽さ”を感じてしまった私が思い出したのが、この小林氏の“重い”一言だったのです。

世界に名立たる「賞」を手中にして、例えばの話ですが、「オスカーは重い!」と単純に叫ぶ人よりも、「それ程重くはない」と自己分析して冷静に語る人物の方が、よほど重みがあると感じる原左都子の思いを、理解いただけましたならば、今回、私は記事の綴りがいがあります。
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相対性理論 (issei)
2009-02-27 20:42:09
最近の事象が重く感じられないのは、相対性理論によるものだと思います。
即ち、スピード化社会により、地球が小さくなり、高度経済成長に合わせるかのように戦後意気消沈していた日本の実力が高まるに連れ、世界の「重たい」と思われていたものがいとも簡単に目に入り、入手する事が出来るようになり、重さは変わっていないのにも係わらず、相対的に「重くない」状況が発生していると思います。
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isseiさん、特殊相対性理論… (原左都子)
2009-02-27 21:11:00
isseiさんの理論にも一理はありますが、その相対性ですら、今は特殊化せざるを得ないほど、世の中の移り変わりは激しいのではないかと私は捉えております。
相対的ではなく“絶対的”にこの世の中のすべての事象が「軽く」なってきていることを私は実感せざるを得ません。

物事の「重さ」は、世の中全体が商業主義等に踊らされるが故にいとももろく崩れ去り、現在のような世界的経済危機を招く結果ともなっているのも事実ですし、確実に軽くなっていると私は分析します。
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