原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

初夏の鎌倉・羽田・川崎方面小旅 ー 川崎工場地帯夜景編 3ー

2018年05月23日 | 旅行・グルメ
 (写真は、川崎工場地帯浮島地区の工場夜景。)


 
 この川崎浮島地区工場夜景は  絶景中の絶景 です!!

 私が撮影した上記写真は、バス移動中車内にてのデジカメ(それを使いこなす能力が私には無い)撮影のためピンボケ状態で残念ですが…… 

 この浮島地区夜景風景がバスの速度で10分間程続くのは、必見です!! 

 日本には工場地帯が数多けれど、川崎こそが国内最大級の工場地帯でしょう。

初夏の鎌倉・羽田・川崎方面小旅 ー 川崎工場地帯夜景編 2ー

2018年05月23日 | 旅行・グルメ
 (写真は、川崎工場地帯 川崎マリエン展望棟より撮影した南側??の風景。)


 詳細に関しては、後程時間がある時に追加します。
 (手前に緑に光って見えるのは、テニスコート。)



 以下は、2018.05.23 追加記載。


 ここで、「川崎マリエン」に関する情報をネットより引用して紹介しよう。

 「川崎マリエン」は、神奈川県川崎市川崎区東扇島にある公益社団法人川崎港振興協会が指定管理者として管理運営を行う会館で、市民と川崎港の交流を深めるため川崎市によって造られたコミュニティー施設の愛称です。(正式名称・川崎市港湾振興会館)
 「川崎マリエン」の愛称は、市民と港の交流を深め、市民の皆様に愛されるよう一般公募から生まれました。 親しみやすく分かりやすい愛称ということで、応募数959点の作品の中から、“世界に拡がる海の玄関”をイメージした「マリン」と「エントランス」の造語、「川崎マリエン」が採用となったものです。

 バスに同乗しておられた川崎市観光協会(??)の高齢男性(失礼!!)ガイド氏も、「川崎マリエン」名称の由来を力説されていたのが印象的だ。
 その高齢男性氏によれば、この展望棟はパリの凱旋門に真似て建築されたのだそうだ。

 確かに眺めのよい展望棟で、おそらく昼間に利用すると遠方まで展望可能であろう。

初夏の鎌倉・羽田・川崎方面小旅 ー 川崎工場地帯夜景編1ー

2018年05月23日 | 旅行・グルメ
 (写真は、川崎工場地帯 川崎マリエン展望棟にて撮影したスバル⦅車庫というべきか??⦆の風景。)



 説明文は、後程時間がある時に付け加える予定です。




 ここからは、2018.05.23 記述になります。

 今回の小旅の第一目的は、「川崎工場夜景見学」にあった。

 実は、我が娘が川崎駅前近くのビルに勤務(娘の所属企業本社は東京日本橋だが、現在川崎の企業へ出向中)している関係で、出向直後よりこの夜景見学に行きたがっていた。 
 ならば仕事の帰りにでも立ち寄れば?、といったところで片道1時間半の道程を帰宅せねばならない立場で、仕事帰りにそれをこなすには時間不足であろう。
 そこで、今回のバス利用の工場見学と相成った。


 ネット情報より、川崎工場地帯夜景に関する資料のひとつを紹介しよう。

 川崎市は京浜工業地帯の中心として、わが国の産業経済の発展を支えてきた都市です。 市内には、鉄鋼や化学、電機、精密機械、エレクトロニクス、情報通信、食品、科学技術等の多種多様な工場・事業所が集積するとともに、 そうした生産活動を支えているエネルギー関連の先進的な事業所も存在しています。それら工場や事業所の中には「日本初」、 「世界でも有数」といったように高度な生産・技術を持ち、世界に誇る製品を現在でも生み出しているところが少なくありません。
 近年、ものづくりの現場を訪ね、実際のモノづくりにふれ、モノづくりの大切さとモノづくりに携わる人々の心を学ぶという 「産業観光」への関心が社会的に高まっています。 実際、修学旅行でも産業観光を取り入れるところが目立ちはじめていますし、 一般のツアーでも産業観光の魅力を前面に出し、中高年層の方々を主体に集客に成功しているケースが見られはじめています。
 重化学工業から先端的な研究開発まで、またいわゆる産業文化財から実際に稼動している工場まで、それも知名度の高い企業が多く立地する川崎市は、 「産業観光」の魅力にあふれています。


 「川崎工場地帯見学」。
 これ、まさに素晴らしい「産業観光」の役割を担っている事を実感させられるツアーだった。

 工場群が稼働している昼間の観光を実施してもよさそうだが、それをするのは大いなる“業務の邪魔”となろう。 せめても夜間静まり返った工場群の見学を通して、その実態を垣間見たいものだ。
 (参考だが、平日夜間の工場見学ツアーは実施されていないようだ。)


初夏の鎌倉・羽田・川崎方面小旅 ー 羽田ビュッフェディナー編 ー

2018年05月21日 | 旅行・グルメ
 (写真は、昨日の小旅にてのビュッフェディナー会場ホテル外観。)

 私は、“バイキング” “ビュッフェ” なる食事形式を昔から忌み嫌っている人間だ。
 (本エッセイ集初期のバックナンバー 2008.06.17公開「グッドバイバイ・バイキング」をお読み下されば、何故決してグルメではない私がそれらの食事形態をとことん回避しているかが、お分かりいただける事であろう。)
 

 いつ何時旅に出ようが、絶対的にそれら食事形式を避けて通って来ている。
 そんな私が何故今回ホテルのビュッフェディナーなぞに依存したのかといえば、それには理由がある。
 実は、今回の小旅はバスツアーを使用した故だ。
 嫌ならやめときゃ済むだろうが、今回は特別な事情があった。 とにかくせっかく同行すると申し出てくれた娘の希望とスケジュールに合わさねばならない。 個人旅行を企てていたのでは、昨日1日では絶対的にこなし切れない訪問地が盛沢山だったのだ。


 そんな中ラッキーだった事もある。
 団体バス旅行にして、ビュッフェディナー会場ホテルが各々の顧客単位ごとに“個別席”を用意してくれていたのだ。 

 ただ残念な事にはこれぞビュッフェディナーの宿命だろうが、私が料理テーブルからお皿に取り盛り付けた料理の写真が、如何に判断しても“汚らしい”。
 残念ながら、“家畜の餌”状態だ……

 料理の醍醐味の一つとしてお皿への盛付け美的センスにもこだわている私としては、そんなものを冒頭写真に公開する訳にはいかない。

 そこで苦肉の策として、ホテルの外観写真を掲載したとのみすぼらしいいきさつである……。


 食事処が羽田だった故の救いもあった。
 その後バスは川崎へ向かうのだが、ホテルを出発した後川崎までの道中、羽田国際空港の風景が車窓から楽しめたのはラッキーだった。
 娘が羽田国際空港に停泊している航空機の写真を撮影していたのに安堵した。 



 明日以降になる予定ですが、本小旅のクライマックスである川崎にての旅物語を綴る予定でおります。 
 

初夏の鎌倉・羽田・川崎方面小旅 ー 鎌倉 円覚寺編 2ー

2018年05月21日 | 旅行・グルメ
 (写真は、鎌倉 円覚寺境内で撮影した 青もみじ。)


 まずは、訂正とお詫びを申し上げよう。
 午前中に公開した直前エッセイ内で、観光で訪れた鎌倉のお寺の名称を誤っていたことをお詫び致します。

 鎌倉に詳しい方々はご存知だろうが、私が前エッセイにて誤って記載した「報国寺」とは、この時期は “竹林”で著名なお寺である。
 一方、「円覚寺」はこの時節 “青もみじ”で著名だ。 
 実は今回の小旅では報国寺観光も予定していたのだが、時間切れにて行けず終いだ……

 
 いずれも由緒正しい鎌倉のお寺であるが、以下に円覚寺HPよりお寺の沿革の一部を紹介しておこう。

 鎌倉時代後半の弘安5年(1282)、ときの執権北条時宗が中国・宋より招いた無学祖元禅師により、円覚寺は開山されました。 開基である時宗公は18歳で執権職につき、無学祖元禅師を師として深く禅宗に帰依されていました。 国家の鎮護、禅を弘めたいという願い、そして蒙古襲来による殉死者を、敵味方の区別なく平等に弔うため、円覚寺の建立を発願されました。
 円覚寺の寺名の由来は、建立の際、大乗経典の「円覚経えんがくきょう」が出土したことからといわれます。 また山号である「瑞鹿山ずいろくさん(めでたい鹿のおやま)」は、仏殿開堂落慶の折、開山・無学祖元禅師の法話を聞こうとして白鹿が集まったという逸話からつけられたといわれます。 無学祖元禅師の法灯は高峰顕日こうほうけんにち禅師、夢窓疎石むそうそせき禅師と受け継がれ、その法脈は室町時代に日本の禅の中心的存在となり、 五山文学や室町文化に大きな影響を与えました。
 円覚寺は創建以来、北条氏をはじめ朝廷や幕府からの篤い帰依を受け、寺領の寄進などにより経済的基盤を整え、鎌倉時代末期には伽藍が整備されました。 室町時代から江戸時代にかけて、いくたびかの火災に遭い、衰微したこともありましたが、江戸時代後期(天明年間)に大用国師だいゆうこくしが僧堂・山門等の伽藍を復興され、宗風の刷新を図り今日の円覚寺の基礎を築かれました。 明治時代以降、今北洪川いまきたこうせん老師・釈宗演しゃくそうえん老師の師弟のもとに雲水や居士が参集し、多くの人材を輩出しました。今日の静寂な伽藍は、創建以来の七堂伽藍の形式を伝えており、現在もさまざまな坐禅会が行われています。
 (以上、円覚寺HPより円覚、いや沿革を紹介したもの。)


 広大な境内に、「仏殿」「山門」「正続院】「方丈」「国宝・舎利殿」「国宝・洪鐘」「弁天堂」等々……  様々な仏閣が存在するお寺だ。
 そのすべてを観光して回るにはおそらく1日で足りないだろう。
 今回は建物の一部の外観のみを一覧したが、それでも写真撮影しつつ足早に歩いて1時間以上を要したものだ。


 この時期、特筆すべきは上記写真の「青もみじ」の絶景のようだ。
 実に美しい初夏の「青もみじ」を筆頭とする境内樹木群のみどり色が、仏殿と共存して素晴らしいハーモニーを奏でていた。

 今回、何故あえて円覚寺の「青もみじ」の写真をクローズアップしたのかといえば……。
 この写真、まるで我が「原左都子エッセイ集」のテンプレートと“瓜二つ”ではなかろうか???
 写真撮影しつつ、旅道中では決して振り返る事のない我がエッセイ集が、一時フラッシュバックしたものだ。


 さぞや紅葉の秋には、更なる絶景を醸し出すのだろう。
 ただ、その頃は観光客で大混雑だろうなあ。