原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

“ 美しく青きドナウ ”

2019年04月14日 | 旅行・グルメ
 (写真は、旅行雑誌より転載したドナウ川の風景。 手前はヴアッハウ溪谷にそびえ建つアックシュタイン城。)


 本日つい先程まで仕事がお休みの娘と二人で、7月のウィーン個人旅行での行先に関して話し合った。

 是非とも行きたいウィーン現地のオーケストラコンサート鑑賞に関しては、娘の第一希望の「ウィーン楽友協会」は残念ながら我々の旅行中ずっと“休館中”との事で断念。 
 代替案の第二希望「ウィーン国立歌劇場」のチケットは既にゲットした!


 それ以外の訪問先案として。

 “ドナウ川クルーズ”に出かけたいと、私は前々から考えていた。
 その思いを娘に伝えたところ、難なく同意を得られた。

 ネット情報や旅行雑誌等々で、「ドナウ川」に関して調査するに。
 予想通り“ドナウ川クルーズ”プランは幾らでも存在している。 特にヴアッハウ溪谷方面に美しく魅力的な街々が点在している様子だ。
 例えば、ドナウワインの中心地である「クレムス」や、ヴアッハウの真珠と讃えられる美しさの「デュルシュタイン」、ワイナリーで著名な「シュピッツ」、メルク修道院で有名な「メルク」等々…

 「これ、絶対行きたいよね!!」と娘とすっかり意気投合! 
 という事で、旅程の1日は“ドナウ川クルージング”と仮決定した。 (何故“仮”かといえば、まだまだ出発まで3ヶ月足らずの月日がある。 その間に、ここも行きたい、あそこも行きたい場所が幾らでも出現しそうな故だ。)
 何分“旅行は3度楽しむ主義”の私だ。 その一つである “旅行調査・準備期間の楽しみ”を出発直前まで満喫したいものだ。


 我々母娘が何故「ドナウ川」へ行きたいか、のもう一つの理由は。

 言わずと知れた、ヨハン・シュトラウス2世が作曲した「美しく青きドナウ」の影響が大きい故だ。

 我が家に於いては、年始に必ず“ウィーンフィルニューイヤーコンサート”を(ショボくも)NHKテレビにて観賞するとの毎年新春恒例行事があるのだが。
 
 そのコンサートの大トリ「ラデッキー行進曲」の直前に演奏されるアンコール楽曲が、この「美しく青きドナウ」に他ならない。
 (実は私は、この楽曲を20代にエレクトーンにて演奏している。)

 それ以前にも、「ドナウ川のさざなみ」なる楽曲を小学生の頃に歌った思い出がある。
 “夕べとなれば美し ドナウの水の薄明かり …” こんな日本語の歌詞だった記憶もあるなあ。
 そんな「ドナウ川」は私にとっては必見だ!
 (参考情報だが、この「ドナウ川のさざなみ」と題する楽曲は、ルーマニアの作曲家ヨシフ・イヴァノヴィチが1880年に作曲したワルツであり、1889年に開催されたパリ万国博覧会で演奏され、その哀愁を帯びた旋律、オーケストレーションの見事さなどから、東ヨーロッパの作曲家のワルツ作品としては世界的に有名になった、とのウィキペディア情報である。)


 さて、本エッセイの最後に、表題に掲げた「美しく青きドナウ」に関するウィキペディア情報のごく一部を紹介しておこう。

 『美しく青きドナウ』(ドイツ語: An der schönen, blauen Donau)作品314は、ヨハン・シュトラウス2世が1867年に作曲した合唱用のウィンナ・ワルツ。
『ウィーンの森の物語』と『皇帝円舞曲』とともにシュトラウス2世の「三大ワルツ」に数え られ、その中でも最も人気が高い。 作曲者およびウィンナ・ワルツの代名詞ともいわれる作品である。オーストリアにおいては、正式なものではないが帝政時代から現在に至るまで「第二の国歌」と呼ばれている。
 邦題[は『美しき青きドナウ』とも表記され、また「青」ではなく「碧」という漢字が用いられることもある。 ちなみに、『美しく青きドナウ』という邦題は、原題「An der schönen, blauen Donau」のうちの「An(英語のbyに相当)」を無視したもので、正確に訳すと『美しく青きドナウのほとりに]』といった題になる。 原題と異なる邦題が定着しているのは日本だけではなく、たとえば英語圏では『The Blue Danube(青きドナウ)』となっている。
 (以上、ウィキペディア情報より“美しく青きドナウ”のごく一部を引用したもの。)



 最後に、我が勝手な私見に入るが。

 そういえば、オーストリアの言語は基本「ドイツ語」らしい。(それから派生した言語が使用されているようだが。) 
 この私、過去の2度に及ぶ大学生時代に2度も「ドイツ語」を学ぶ機会に恵まれている。
 その経験から言うならば、 「ドイツ語」は「英語」の方言(ドイツの皆様には大変失礼な表現かもしれないが)的存在であると言えるのではなかろうか?  要するに“文法”面で「英語」に準じているように考察する。
 しかも、その発音が日本の「ローマ字」風とも捉えている私だ。

 ここは我が楽観的希望によれば、ウィーンにて現地の人々との会話が叶うかもしれない!なる見果てぬ夢も抱いている。
 オーストリアでは当然「英語」も通じるようだが、下手な発音の英語をしゃべるよりも、「ドイツ語」的発言で現地の人々と接してみたい気もしている。


 「好きにすれば」なる反応が見えるが、「ハイ、そうします」と応えておこう……。

まさに“茨の道”の英国EU離脱劇

2019年04月13日 | 時事論評
 ちょくちょく海外旅行へ出かけていると、外貨コインが山のように溜まる。

 何故ならば外貨紙幣に関しては日本紙幣に買い戻せるが、コインはその取引が不能なためだ。


 昨年の米国旅行実行に当たり、米国通貨のセントを見つけようと家中の外貨コインを探してみた。
 昨年以前に米国旅行をしたのが既に20数年前の事。 さすがに何処に保存してあるのやらまるで分からず探し出すのが不能だった。
 
 その代わりに次々と出てきたのが。

 「エジプト通貨コイン」(10数年前に娘も伴い家族旅行をした)、「カナダ通貨コイン」(娘が中学校の修学旅行にてカナダへ行った)、「韓国、台湾の通貨コイン」(娘と二人で近年旅行した)、「アルゼンチン通貨コイン」(知人美術家氏の国際美術賞受賞にのこのこ付いて行った)、等々が見つかったものの…  一体どれが何なのか、米国出発までの時間的制限もあり判別が困難な有様だった。

 ひとつ思い出深いのは、インドの通貨コインが手元に一銭もない事実だ。(参考だがインドへも知人美術家氏の国際美術賞受賞式典参加にまんまと便乗して付いて行った。)
 これに関しては鮮明な記憶がある。 旅程最後に空港へ行くためタクシーを利用したところ。 そのタクシー運転手に手持ちの外貨全てをチップとして手渡すように脅迫されたのだ! そうは言われても、こちらとしても空港にての買い物や食事もある。 それを切に訴えて「チップに加えて手持ちのコインをすべて手渡すから、それで勘弁して欲しい」旨を(英語で)嘆願したものだ。

 ユーロ通貨地域であるヨーロッパ圏へは近年幾度か旅行している。(ギリシャ、娘の高校修学旅行先のフランス、そして一昨年旅行したイタリア等々。) そのため、かなりの金額のユーロ圏内コインが手元に存在する。
 近夏出かけるオーストリア・ウィーン旅行では、このユーロ通貨コインが役立ちそうだ。


 外貨コインに関する余談が長くなったが、表題のテーマに話題を戻そう。

 早速以下に、先程見つけたネット情報より「英国のEUからの離脱」に関する記述の一部を以下に要約引用しよう。

 混迷が続く英国の欧州連合(EU)からの離脱について、EUは10月末まで約半年間の延期を認めることにした。 ただし無条件ではない。
 EU側は厳しい条件を突き付けた。 5月23日から始まる欧州議会選挙までに英議会が離脱合意案を承認できない場合、英国はその選挙に参加しなければならない。 参加を拒めば6月1日に経済界と市民が危惧する「合意なき離脱」を迎えるというのだ。
 つまり欧州議会選に参加しなければ半年間の猶予を確保できず、合意なき離脱の恐れは眼前から消えないことになる。
 メイ英首相は依然、強気の姿勢で6月までの短期決着を目指している。 離脱案を承認できた場合、前倒しの離脱が認められているからだ。
 そのために野党・労働党に協力を仰いでいる。 だが、労働党が求めるEU関税同盟への残留案に難色を示し、与党・保守党の離脱強硬派も猛反発している。
 英議会は今年に入り既に3度も離脱案を否決した。 労働党との協議も危ういものと見られている。
 ならば英政府は欧州議会選への参加準備を、英議会の合意形成の努力とともに同時並行で進めるべきだ。 メイ氏にとっては矛盾の策かもしれないが時間は確保できる。
 欧州議会はEUの政策決定を担い、28加盟国からの議員約750人が5年ごとに改選される。選挙は国別に行われ、各国の政党が候補者を立てる。
 参加のためには英政府が意思決定をしなければならない。 メイ氏はこれまで、離脱することを前提に否定的だった。 EUの影響力に縛られることを嫌う離脱派の反発もある。 議員を送り出すことは、残留への道を開く可能性があるからだ。
 EU側にも不満が募っている。 特にマクロン仏大統領は、英国に振り回されることがEU改革や諸課題の解決を阻害しているとして早期決着を主張してきた。 1年の延期を容認する勢力との論議になり、半年の折衷策で収まった。
 厳しい意見を背景に、EUは英国に対し今後の政策決定を妨げないように、ともくぎを刺している。
 英国は限られた時間を無駄にしてはならない。
 (以上、英国EU離脱に関する情報を、ネットより一部要約引用したもの。)



 私論でまとめよう。

 ここのところ、英国メイ首相の困惑した姿をメディア上で見る機会が増えている。
 原左都子の個人的感覚・印象としては、このメイ首相に対して好感を抱いていた立場だ。 何と言っても美しい人だ。 しかも英国首相としてのリーダーシップ力に関しても問題無しと捉えていた。
 (この春先に風邪をひいている様子で、声がかれつつも議会で力説するメイ首相の姿をニュース報道にて見るに忍びなかったものだが…)

 ただ私見としては、現在に至っての英国のEU離脱は“危険性が高い”のではないか? とも読んでいた。

 ここで、“パックス・ブリタニカ”に関する情報をウィキペディアより引用しよう。
 
 パクス・ブリタニカ(ラテン語: Pax Britannica (パークス・ブリタンニカ))とは、イギリス帝国の最盛期である19世紀半ばごろから20世紀初頭までの期間を表した言葉。 特に「世界の工場」と呼ばれた1850年頃から1870年頃までを指すことも多い。 イギリスはこの時期、産業革命による卓抜した経済力と軍事力を背景に、自由貿易や植民地化を情勢に応じて使い分け覇権国家として栄えた。 周辺地域での軍事的衝突や砲艦外交による武力行使などはあったものの、ナポレオン戦争や第一次世界大戦の時期に比べれば、特にヨーロッパ中核地域は比較的平和であったことから、ローマ帝国黄金期の「パクス・ロマーナ(ローマの平和)」にならい「パクス・ブリタニカ(イギリスの平和)」と呼ばれる。 
 (以上、ウィキペディア情報より「パックス・ブリタニカ」に関する記載を引用したもの。)

 英国がパックス・ブリタニカ時代に輝ける栄光を誇っていた時代から、既に世紀・時代は大幅に移ろっている。
 
 我が20代前半に旅した英国は、実に素晴らしい国だった印象はある。 是非とも今一度訪れたい国家でもあり、今夏の旅行目的地候補の一つに挙げていた。

 ただ、そのずっと以前より現在に至っての英国の“衰退”(と言っては大変失礼だろうが)を勘案した場合、今回の英国による「EU離脱」提案そのものが誤りだったのかとの印象を抱かざるを得ない局面もあるだろう。

 個人的にはメイ首相のファンでもあるが、ここはフランスのマクロン首相の「これ以上、英国の離脱問題でEUの邪魔をして欲しくない!」との訴えも視野に入れつつ…。
 メイ首相には「合意無き離脱」の現状に、最大限のご力量にて対処して欲しい思いも抱く。

“レオパレス21”物件取壊し更地に桜の花びらが舞い散り…

2019年04月11日 | 時事論評
 (写真は、昨月3月下旬に撮影した我が家に程近い場所にある“取壊し中”のレオパレス21の写真。 事件とは無関係の周辺住居が映っている事態をお詫び申し上げます。)


 このレオパレスの取り崩し作業はその後2、3週間も経過しないうちに、まさに“アッと言う間に”終了している。
 真冬のごとく厳しい寒さが襲った昨日、建物跡地の横を通り過ぎると。
 既に更地になっているその跡地に、季節外れの冷たい雨に打たれつつ舞い散った桜の花びらが地面に寒さに凍えるかのように散らばっていた…。

 何だか、無情な風景である。 

 改めてその更地を観察すると。 (こんなに狭い土地だったんだ…)と我が心に“哀れさ”の上塗り感情が襲って来る。
 (全部で8部屋程のアパートだったが、ここで若き住人達が暮らしていたんだなあ。 今は引越し先で何も無かったかのように新しい生活を営んでいるだろうか… )などと、他人事ながら“レオパレス21事件”の犠牲とならざるを得なかった若者達を思いやったりもする。


 ここで、本エッセイ集比較的最近の 2019.03.26公開「レオパレス21施工不備問題、犠牲となるのはいつも弱者…」と題するエッセイの一部を要約引用して振り返らせていだだこう。

 このレオパレス賃貸物件が建設されたのは、我が“あやふやな記憶”によればたった3~5年程前のことだ。 我が家の南面バルコニーより展望出来るこの地は、都道路計画に引っかかっている場所だ。(小池都知事になった後、まったく計画が進展しないが…。)
 現在解体中のレオパレスは道路計画地ではなく、道路が完成した暁には道路の面前に位置する事となる地に存在する。 この計画道路が完成(その目途はまったく立っていない事だろうが…)した暁には、東京メトロ沿線駅から徒歩5分圏内となり、都心の賃貸物件としてはおそらく立地条件良好な物件であろう。
 実は私がこの物件こそが“レオパレス賃貸物件”である事を知ったのは、昨日のことだった。
 いつもフルート練習音楽スタジオへ通う道中に位置するのだが、そう言えばレオパレス施工不正問題が発覚した2,3カ月前より引越が相次いでいた。 (度々引越車が狭い公道に停車していて、フルートを背負った私がその公道を通り過ぎるのに難儀させられたものだ。) 
 そして、1週間程前から「解体作業」が始まった。
 当時レオパレス物件とは露知らなかった私は、(どうしたのだろう、こんな立地条件の良い新しい物件を何故解体しているのだろう…)との不可思議感と共に。 (それにしても解体作業を一目するに、何とも安普請の建物だこと。 素人目にも建物構造が安っぽく、直ぐに壊せてしまうような物件だったのだなあ…。)
 昨日フルート練習帰りに解体作業が終了している物件をじっくり観察して判明したのが、「レオパレス21」物件だったとのいきさつだ。 (途中大幅略)
 一旦、私事に入ろう。  (何度も公開して恐縮だが)この私も30歳独身時にマンション物件を単独購入し、その後独身のうちに自力経済力にてローン完済したマンション物件を、婚姻後20年間に渡り賃貸物件として運用した実績がある。 そんな私も、結果としては“悪質入居者”に遭遇してしまい多額損失計上させられた後、2014年にオーナーチェンジ物件として売却せざるを得なかったとの失態を経験している。 それでも我が経済面での人生プランに於いて、ちょうど売り時だったとも考察できよう。(この賃貸物件売却資金は、必ずや我が老後の資本として確保出来ている。 これがあるお陰で私は今後独り身となっても野垂れ死ぬことはないだろう。) 
 心配なのは上記レオパレス21物件に関し、レオパレス側から「相続税の対策などで土地の有効活用を望む地主らに対して、アパートの建築を提案し建築工事も請け負う。」との名目で“実質騙されてしまった”零細賃貸オーナー氏達の存在だ。
 これに関しては、過疎地の事例をテレビ報道でも見聞したが…。
 これが大都会の土地ならばいざ知らず、何故過疎地の土地がアパート建築で末永く有効活用と判断してしまったのだろう?
 ただこの問題、レオパレス21側に元々大いなる経営瑕疵があった事実が明白だ! ここは「レオパレスオーナーでつくる被害者の会」の早期補償が勝訴することを、私も願っている。 
 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を再掲載したもの。)


 本日2019.04.11付 朝日新聞「社説」のひとつが「レオパレス『施工不備』の根は深い」だった。」が、以下にその記事の一部を要約引用しよう。

 昨春、火事の際に延焼を防ぐための天井裏の仕切り壁がない物件である事が発覚。 仕切り壁がないことが分かった棟を始め、約7棟で不備が見つかった。 さらにその部材や天井の施工に問題がある物件も多数あった。 建築基準法など法令違反の疑いありとしている。
 このうち天井の耐火性に問題がある641棟は特に問題があると判断。 補修工事のために退去を求めているが、3月末までに引越が終わったのは自社管理対象戸数の26%。予定日が決まっていたのが18%にとどまる。 (中略)
 レオパレスは73年に操業し、90年代に「一括借り上げ」のビジネスに乗り出した。 土地所有者からアパートの建設を請け負うだけでなく、そのアパートを一括で借りて自社で賃貸するとの「サブリース」の手法だ。 00年代にかけて急成長を果たしたが、今回の問題はこの時期に起きていた。 (中略) 国土交通省は今回の問題を受け、有識者による再発防止策の検討会を設けた。 なぜこのような事態の横行を許してしまったのか、制度に穴はなかったのか、洗い流しが急務だ。
 (以上、朝日新聞本日の「社説」より一部を要約引用したもの。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 と、その前に余談範疇の話題を展開させていただこう。
 上記朝日新聞社説内にある「政府の有識者検討会」に関する私見をこんなところで述べさせていただくならば。
 いつ何時も、この“政府の有識者会議”とやらの“胡散臭さ”にうんざりさせられ続けている私だが、皆さんは如何だろうか??
 つい先だって発表された「次なる元号決定の有識者会議」メンバーに関しては国民の皆さんもご周知の事だろう。 
 そもそも“有識者”って何なんだ?? との議論に立ち戻るべきだろうが…。 政府が選出する“有識者”とはそのご実力の程には一切かかわらず、いつ何時もメディアに大々的に取り上げられた著名人から選出されるケースが多いように見受けられる。 その方々が決定した元号が“アレ”だった訳だし…

 大変失礼申し上げました。

 表題テーマに話題を戻そう。
 
 朝日新聞「社説」によれば、我が家近くの“レオパレス21”物件はおそらくオーナー氏に金力があったのだろう。 それが証拠に早期に物件取壊し作業に入る事が叶い、現在更地状態だ。 故にこの物件に関しては入居者は幸いだったことと想像可能だ。
 やはり問題は、地方各地域の“レオパレス21”物件オーナー氏達の今後の行先ではなかろうか?
 国土交通省が如何なる「有識者検討会」を設けるのかは不明だが、どうか犠牲者の皆様、ずさん経営にて成り立っていた“レオパレス21”に対し、毅然と立ち向かわれますように!

Mc付録「人間 体の不思議」と我が1986年発刊の著書

2019年04月09日 | 医学・医療・介護
 (写真上は、娘がマクドナルドの付録として貰ってきた「小学館図鑑 人間・体の不思議」。 下は、私が医学・免疫学分野の業務に従事していた時代に所属企業の仕事の一端として発刊した医学冊子。)


 昨日娘の部屋を掃除していた時のことだが、真新しい小冊子を発見した。
 それぞ、冒頭写真上の「小学館図鑑 人間・体の不思議」だが。

 最初にこれを発見した時、本の片隅にMcのロゴがあるのにまったく気づかなかった私は、何故娘がこの種の本を所有しているのか訳が分からなかった。
 医学書ならば古いので良ければ我が書棚に沢山あるし、そもそも娘の専門は医学とはかけ離れているし…
 一体どうしたというのかと不思議に思いつつ、本の中を一覧してみると。

 なかなか端的に良くまとまった“立派な”医学書なのだ!

 目次を引用すると。 感覚器・脳と心臓・消化器・じんぞう・心ぞうと血管・骨と筋肉・人間の体クイズ・その答え  とある。

 上記写真の「心ぞうと血管」のページを紹介するなら。
 全身のおもな血管 : 心ぞうから血液を送り出す血管を動脈といいます。血液を心ぞうに戻す血管を静脈といいます。全身の血管をつなぐと、長さは9万キロ(地球を2周と少し)にもなります。 (中略)
 血液は何でできている? : 血液は、体重60kgの大人で5リットルぐらいあります。そのうち半分以上が血しょうという血液成分で、ほかには赤血球、白血球、血小板があります。赤血球は酸素を運びます。白血球は5種類あり、病気のもとになるばい菌とたたかいます。血小板は血がでたとき、きずをふさいで血を止めます。(以下略)

 後に娘に確認して、この小冊子の発刊者がマクドナルドだと判明したのだが。

 私見だが、いいんじゃないだろうか!
 マクドナルドも付録に「キティちゃん」「ドラえもん」「ピカチュー」「リカちゃん」等々、子供だましのキャラクターばかり配っていないで、この種の付録にもっと早期に着眼するべきだった。
 たとえ親が教育熱心でなくとも、マクドナルドで偶然貰ったこの小冊子をきっかけに“人間の身体”に子供本人が興味を持つかもしれない。 そんなちょっとした経験が将来の職業選択肢として「医学分野」に結びつかないとも限らないだろう。


 娘がMcから貰って来たこの小冊子中の特に「血液」の記述を見て、私は自分の過去に記した著書を思い出したのだ。
 
 それが、写真下の全200頁に及ぶ小冊子だが。
 いやいや、今の今まで何十年も思い出さなかったなあ。 故にこの著書の事をエッセイ集内で公開するのも今回が初めての事だ。 免疫学関連の学会抄録等は既に公開しているのに、なぜ思い出さなかったのか自分でも不思議だ。

 この我が著書に関して少しだけ説明しよう。
 これはあくまでも我が過去の所属企業(東証一部上場企業だが)の仕事の一端として執筆したものだ。
 医学関連企業ではあるものの、例えば間接部門や営業部門等、医学経験が希薄な社員を対象とし、所属企業の医学事業に関連する詳細の学習を煽る目的で執筆・発刊したものだ。
 この著書は私の単独執筆なのだが、実際この200頁のすべてを私一人で書き上げた。 当時「社員教育部門」に所属していた私に執筆の白羽の矢が当たり、それを快く引き受けた私だったものの。 実際の社員教育業務の合間を縫い超多忙な中1年がかりで完成させた。

 と言う訳で、一般発売されていない非売品ではある。
 一応“社外秘”扱いだったものの、営業マンが営業先の病院等々医学施設へ持参していったところ、現場の医師達から「これが分かりやすいので欲しい!」との数多くの要望が届けられたとの事だ。 その要望に水面下で応えつつ結果として増刷分も含め2500部程が刷られ、医学臨床現場を中心として外部に数多く流れたようだ。


 我が手元にも数冊保存してあるのを、つい先程書棚で発見した。
 発刊後長い年月が流れてはいるが、一応当時“社外秘”だった事実を鑑み、今回は当該著書の一ページのみを紹介しよう。

 冒頭写真下がそのページだが、まさに我が医学現役時代に我が専門として執り行った業務である。
 血液細胞中の「免疫細胞」を扱っていた私だが、白血球の種類の一つであるリンパ球のサブクラス研究を実施し、臨床レベルでその検査を導入するべく様々な試行錯誤を繰り返したのが思い出深い。
 一応、国内では初めてその「免疫細胞サブクラス」のルーチン化に成功したのが我が社の業績であり、我々研究者の業績でもあった。(当時としては“特許”を取得しなかったのか、それによる特別収入は皆無だったが…
 
 ただ医学分野の進化とはその後それはそれは急激・かつ画期的な進展を遂げ、今となっては我が社(及び私の)業績も過去の所産であろう。


 それにしても娘がマクドナルドで貰って来た一小冊子のお陰で、私は“過去の所産”である我が執筆本の存在を思い出すことが叶った。

 いやいやこのマクドナルドの付録本、子どもの医学教育目的に於いては実に良く出来ていますよ!
 

コメンテイターからの好意的反応に期待してヘラヘラ写真ブログ公開してんじゃねーよ!

2019年04月08日 | 人間関係
 いえいえ、大変失礼な表題を掲げまして申し訳ございません。



 ただ、これ原左都子の本音でもある。

 
 gooにブログ開設して以来12年近く、一貫してオピニオンエッセイを公開しているがために、現在「コメント欄」を閉鎖せざるを得ず。
 将来的にもそれをオープンにする気が皆無の私としては…
 (我がエッセイ集バックナンバーを熟読して頂けますと、何故2011年に私がコメント欄閉鎖措置を取らざるを得なかったのかに関しての我が“切実な事情”をご想像頂けるものとも期待申し上げますが…。)



 現在の我がブログに関して考察するならば、特に「写真ブログ」公開の皆様より多くの読者登録を頂戴し、それらの皆様からの“好意的”アクセスにより我がブログが成立しているとも表現可能だ。



 それら「写真ブログ」皆様のサイトを訪問申し上げるに…


 物凄い数々の「いいね!」や「アクセス数」や、「コメント数」を誇るかのようにそれらのブログが存在している事実を目にするにつけ…
 
 私は、冒頭に掲げた「表題」のマイナス感覚を抱かされるのだ…



 いえいえ、これが若い世代のブロガーであるならば、私もそれほどの違和感は抱かない。
 むしろ、応援申し上げたい気分にもなる。


 ところが…

 私が現在こちらから「読者登録」させて頂いているブロガーの大方が、“高齢者域”の方々が公開されている「写真ブログ」である。


 別にその実態が嫌ならば、とっとと私の方から「読者登録」を削除すれば済む話だ。


 ところが、それら高齢者の皆さんが例外なく“律義”な方々であり、私が新エッセイを公開すると必ずやブログを訪れて下さるのだ。

 故に、私もその誠意の程に逆らえないでいる有様……



 こんな記事を綴り公開する人間も稀な存在であろうが…



 何故か今夜は、我が日頃抱いているマイナーな感情を公開せんと、正直になりたくなった!