原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

科学技術力の国家間競争・比較は「論文引用数」ではなく研究内容でものを言うべき

2021年09月09日 | 時事論評
 冒頭から、朝日新聞2021.09.07付夕刊“取材考記” 東京科学医療部 桜井林太郎氏による、「論文引用数 中国躍進の一方で日本10位 科学技術力の岐路 おごり捨てて」を、以下に要約引用しよう。


 科学技術政策について考えさせられるレポートが先月、公表された。 注目度が高い科学論文の数で、中国が米国を抜き、初めて首位に立ったという。
 文科省の調査結果によりそれが判明したが。中国は、年間の論文総数でも2年連続で1位となり、「質・量ともに世界一になった」と焙じたメディアもあった。
 「10年前、中国の研究者は独創性が高い日本の論文を追いかけていたが、今では中国の論文を日本の研究者が追試していることも多い」と嘆く。
 ただ、中国が質でも世界一になったと言い切るのは時期尚早という意見もある。 理工系のある大学教授によると「中国は自国の科学雑誌への投稿を促し、核が高い雑誌に育てた上で、論文を引用し合う場合も多い」からだ。
 文科省の研究所の分析でも、英ネイチャーや米サイエンスといった世界屈指の科学史のシェアでは今尚、米国が圧倒的に強かった。 中国は、米国に次ぐ英独の2位争いに加わろうと猛追している段階だ。
 一方、日本の凋落ぶりは目を覆うばかりだ。 日本は、研究者数と研究開発費は世界3位で、論文総数は4位。 なのに、「トップ10%論文数」の順位は2000年代半ばから下がり続けている。 今回はインドにも抜かれ、G7最下位の世界10位に転落した。
 研究時間の減少や博士課程進学者の減少など、さまざまな要因が原因として挙げられている。 しかし、最大の原因は「慢心」にあったのではないか。
 この10年余り、皮肉にも日本はノーベル賞の受賞ラッシュに沸いた。
 「中国のノーベル賞はごくわずか。科学技術力は日本が上だ」 そんな話を何度も耳にした。
 現状の認識がこの有様では、中国だけでなく、世界から取り残されてしまうだろう。 日本政府も危機感を強めテコ入れを始めた。
 日本の科学技術力は今まさに分岐点にある。 「失われた10年」を「失われた20年にしてはいけない。

 (以上、朝日新聞夕刊記事より要約引用したもの。)



 私事及び私見に入ろう。

 自慢話になるかもしれないが。
 我が亭主が現役時代は物理学研究者であった事実を、当エッセイ集に於いて幾度か公開しているが。
 我が亭主も、ネイチャー論文提出歴がある。
 大学及び大学院修士・博士課程において「理学博士」を取得した後、自身の専門であるバイオホロニクスを指導いただける他大学の研究室教授の元に研究の場を移し、そこでネイチャー論文等々複数の論文を提出後。
 国内某大手技術開発研究所へ、ヘッドハンティングにて物理学研究者として入社したようだ。 (“ようだ”と表現するのは、我々夫婦は見合晩婚につきその時代の亭主の活躍ぶりは話に聞けども、私は直接知らない身故だ。)

 加えて、私自身も理化学研究所勤務時にネイチャー論文・サイエンス論文等々を提出している基礎医学研究者の下で、その論文作成に必要な諸実験を担当させていただいている。 
 理研の場合、研究内容の外部漏洩防止措置が厳しく(いや、何処の企業も同様だろう)、私の現役中はその論文内容を読むことが叶わなかった。 
 我が理研退職時に研究者の粋なサプライズプレゼントで、それら論文のコピーを何本か頂いた時には感激だった。 (今尚、それら私自身が実験でかかわった論文コピーは自宅のどこかに保存してあるが、全部英文論文につき今となっては私側にそれら論文を読む能力があるのやら、どうなのやら…)😫 


 上記朝日新聞記事内にある「博士課程進学者の減少」問題はまさに今の時代、科学技術発展に於いて切実な課題であろう。
 我が亭主がその道のりを歩んだ時代とは、博士課程進学者がまだしも何とかなった時代背景であったことと振り返る。
 亭主の場合、研究活動のため某大手民間企業にやっとこさ就業できたのが35歳時だったのだが、亭主実家の経済力に支えられてそれが叶ったと聞いている。
 今の混沌とした時代背景に於いて、博士課程を修了後名だたる論文を世に発表するのに要する年月を考察すると。
 確かに、博士課程に進学する人材確保が困難な時代であることを察してあまりある。

 上記記事は「ノーベル賞」に関しても触れているが。
 私は上記某国立開発法人研究所へ通っていた時代に「ノーベル賞」に関して見聞した事実がある。
 それを暴露すると。 「あれは順番待ちだ。ノーベル財団側は早めに受賞者を決定している。」
 これに関しては、後に私も他の分野の受賞で十分に納得した。 平和賞のマララ氏等…
 それは、あくまでも余談として。


 
 最後に表題に戻るが。
 
 原左都子の結論としては、表題に掲げたとおりだ。

 科学技術力の国家間競争・比較は「論文引用数」ではなく、あくまでも研究内容でものを言うべきではなかろうか。


左都子の「自然科学概論小講座」 - vol.16 ー

2021年09月07日 | 学問・研究
 (冒頭写真は、原左都子2度目の大学にて受講した哲学者A先生による「自然科学概論」講義ノートより転載したもの。)


 当該シリーズは少し間があいたが。

 今回は、「コペルニクス革命」の続きを語らせていただこう。


           
 (画面が不明瞭な点を、お詫びします。)

 コペルニクスは1610年に『星界の報告』と題する著書を記した。
 最初の観察によるコペルニクス説の立証をし、プトレマイオス説に反駁した。
 しかし、望遠鏡に対する信憑性が無かったため、当時は必ずしも受け入れられなかった。
 
 これに関しては、コペルニクス側に不利な点が多かった。
  ● 地球が動く。 慣性の原理が未だ無い時代であり、これは力学的におかしいと判断された。
  ● 太陽の周りをまわる。
     トーマス・クーン『コペルニクス革命』紀伊国屋書店 によれば、
視差が観測できないとされた。
  ● 星は明るいと大きいとの考え方からすると、恒星が大きくなりすぎる、との問題点もあった。

 ファイヤー・アーベント (9c)『方法への挑戦』Against Method によれば、当時は理性的であったために、コペルニクスを受け入れなかった。 ガリレオの方が非合理的、と考えられた。
 コペルニクスを受け入れた人たちとは、太陽崇拝思想をとっていた人など思い込みが強かった人種だった。
 力学者であるガリレオや、無限世界説(全能者が作るのにふさわしい世界)の中では、コペルニクスの説が適しているとされた。

           
 デンマーク人のティコ・ブラーエは、1576年にコペンハーゲンにて天文台を築き、連続的な星の観測を正確(誤差が少ないという意味)に行った。
 理論面ではコペルニクスを認めていたが、地球が動くということは認められない、とした。(折衝説)
 地球と太陽との軌道が交わってしまい、天球が説明できない。
 天球説を捨てると、惑星の力学が新たな課題になる、とした。

 新星 hova は、天より下の世界、気象現象として位置づけられていた。
 それが観測により、天(月)より下とは考えられなくなった。
 彗星 comet も同様。

 ケプラーは、天文学に於いてコペルニクスについで重要人物であるが。
 合理的な思考はしない人物だったらしい。 コペルニクス主義。

 ケストラー 1571~1603『夢遊病者たち』 の中に描かれているケプラーは、強くこうだと思い込む性格の変わった人物として捉えられている。 
 ケプラーは、その後数学の教師になった。
 宇宙誌 cosmography  とは、宇宙の構造を記述する学問であるが、神が(宇宙を)造ったという前提で書かれている。

 三身一体 Trinity   これを認めないとキリスト教異端として、これを宇宙と結び付けている。



 最後に、原左都子の感想だが。

 いやはや、過去の科学は大変だ!
 「神」が科学に入り込む、イコール、宗教と科学が合体となったり。
 ただ考えようによれば、それが人類が歩んだ確かな歴史であり、その歴史を紐解くことこそが科学が果たす役割でもあると。
 哲学者A先生が、今後の世を担って立つべく学生どもに教えてくれようとした事実に思いが至る。


本日、1か月ぶりに5kmランニング練習を完走しました!

2021年09月06日 | 自己実現
 (冒頭写真は、原左都子が数年前にランニング大会に出場し5kmレース中にプロカメラマンが撮影してくれた写真。 中央のゼッケン5139が原左都子です。 周囲の皆様への個人情報配慮が欠けております点をお詫び申し上げます…。)


 
 本日の東京地方は午前中はまずまずの天気だったのだが、運悪く午後には激しめの雨天となってしまった。

 今年の夏は私が住む大都会東京では、8月に入った後に猛暑日が続いた。


 私が50代半ばから趣味のひとつとしている"5kmランニング”練習を開始して、既に10年以上の年月が経過しているのだが。

 毎年11月に、娘と共に地元の大規模公園にて開催される「ロードレース大会」5kmの部に出場していた。

 残念ながら昨年から“コロナ禍”故に、大会中止措置がとられたのはやむを得ない判断だったことだろう。

 それは自治体の適切な判断と同意しつつも。


 来るべき未来には、またもや必ずや我がランニング能力を発揮できる素人大会出場を目指し、私は普段からその練習に励み続けている。

 
 今年の夏は7月は涼しかったものの。 8月は猛暑が続き。
 そして、9月に入って後は雨の日が続いている。


 それでも私は本日決断した。  今日、ランニング練習を開始せずしていつする?と。

 普段自宅内での自己流の“ダンスエクササイズ”を、毎晩自分に課しているものの。

 やはり、マスク着用といえども、屋外大規模公園内を走るのは爽快だ!


 そして本日、原左都子は5kmランニング練習を久々に完走しました!!

  これぞ、いの一番の。
 私にとっての “コロナ禍ストレス解消劇”でした!!!


“左党”の肩身がどんどん狭くなっている…

2021年09月05日 | 
 書物そのものよりも“書評”を読むことを好む天邪鬼の原左都子が、またもや朝日新聞上で面白い書評を発見した。


 早速、朝日新聞2021.09.04 付書評ページの、ブノワ・フランクバルム著「酔っぱらいが変えた世界史」に対する朝日新聞編集委員 ・石飛徳樹氏による書評「身にしみる逸話で酒が飲める」を、以下に要約引用しよう。

 左党の肩身がどんどん狭くなってくる。 飲み会は様々なハラスメントの温床である、と厳しい批判を浴びているところへ、コロナ禍が追い打ちをかけてきた。 今や酒はすっかり社会の敵になってしまった。
 そんな逆風の中で本書は刊行された。 人類の祖先の遺伝子変異から、1994年のチェチェン紛争まで「アルコールが世界を変えた21の歴史物語」だって? 歴史上の偉人達も酒が大好きだったらしい。 これは左党の失地回復を目指す書物ではないか。
 第一章では米国の研究が紹介される。 酒には細菌汚染を防ぎ、食欲を増進する効果がある。 「アルコール摂取は人の進化を加速させた可能性がある」
 そして、ピラミッド建設も、立憲君主制の誕生も、米独立戦争も、フランス革命も、マルクス主義も、日露戦争にも酒が絡んでいるというのだ。 しかしそのうち、本書の効能は必ずしも左党の失地回復でなはいことに気づく。
 アレクサンドロス大王は、ローマとの覇権争いに臨む前に、深酒のせいで32歳の若さで世を去った。 リンカーンが暗殺されたのは、ボディガードが飲んだくれていたからだという。
 ロシアが誇るバルチック艦隊は、極東に向かう長い長い旅の間、「ありとあらゆることに祝杯をあげながら時間をつぶし」ていた。 しらふで待っていた日本の連合艦隊に撃沈させられ、数百本の酒瓶と4400名のロシア海兵隊員の死体が海峡の海にただよっていた」。
 酒がろくでもない代物だということが身にしみてくる。 「逆風も致し方ない」と反省しつつ、「しかし」と左党は考える。 「この面白いエピソードを肴に一杯飲めるぞ」と。 リアルに飲める日が待ち遠しくなる。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 原左都子が、娘18の頃から現在に至るまで“底無しのん兵衛”である事実を読者の皆様はすでにご存じであられることでしょう。
 (すみません、“娘18から”の部分はどうかお見逃しいただけますように。何分過疎地の大学出身なものでして、当時は大学をあげて大々的に新入生歓迎会が挙行されたものです。 教授陣が率先して、それはそれは飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎでした…)

 その後も、我が生まれ持ってのアルコール許容体質(参考ですがHDL・善玉コレステロール値が基準値の2倍以上を誇っています。)を活かし、上京後も現在に至るまで酒三昧の日々を送っていた。
 あくまでも、コロナ禍以前は、の話だが。


 上記朝日新聞記事に書かれている通り。
 まず、のん兵衛を苦しめ始めたのは“ハラスメント(アルハラ)概念”の出現であることには間違いない。
 それまでは、外の飲み処にて酒の勢いで好き放題に騒げた時代は当の昔に過ぎ去り… (ただ原左都子の場合は、その頃には晩婚・出産により外で飲む機会はおのずと激減していたかもしれない。)
 それでも酒好きな私としては、お誘いがあると必ずや酒宴に参加したし。
 近年に至っては、外部飲み処での“一人酒”が超得意になると同時に、それが板につく年齢にも達した。 例えば、義母の介護施設を所用で訪問した後には、必ずや飲み処で“一人酒”を堪能したものだ。 我が亭主も理解ある人物で、義母(自分の母)の世話を私が担当した日にはむしろ、好き放題(といっっても良識ある私故に適度でおさめているが)飲んでくることを推奨してくれていた。

 そして、訪れた“コロナ禍”時代。
 これは確かにのん兵衛にとって、歴史上稀に見る“ショック”だったと言えよう。
 この酒好きの私ですら、2020.01月以降は巷の酒処を一切訪れていない。 それはやはり、自身の年齢を考慮した場合感染の危険性が高い故に他ならない。
 その後既に1年8か月の月日が経過している。
 いや、ほんと。 一人酒でいいから、外部の飲み処へ行きたいのが本音中の本音だが。
 ただ、それにより大事なものを多く失うことのみは避けたい思いが切実である。


 それにしても今回取り上げたエッセイに登場した著書は、朝日新聞編集委員氏の記述のお陰で十分に興味深い著書と認識申し上げた。
 この著書を読んでみたい気分になっている私だ。


 (あっと。最近我がエッセイ集に読者登録頂いた某氏さん。 我がペンネームは “切腹をイメージする鋭い切り込み” などとのそんな大げさなものではなく、単に飲兵衛の「左党」から引用したのが一つの理由ですので、どうかお手柔らかに。 某氏さんがこのエッセイをお読み下さった後に、当該文書は削除させていただきます。)


20歳を過ぎているのなら、嫌いな親などとっとと捨てよう!

2021年09月04日 | 人間関係
  自分が愛した相手と自分の親とを天秤にかけた場合、自分が愛した人の方がずっと尊いに決まっていないか???

 
 本日のエッセイテーマは、朝日新聞本日2021.09.04付“悩みのるつぼ”の相談を取り上げよう。
 それでは早速、20代女性による「母との悩み、話すべきか」と題する相談内容を、以下に要約引用しよう。


 7年前に2年程付き合いがあった方とご縁があり、現在再交際している。 私は家庭関係が良好ではなく、結婚や家庭を持つことが魅力的とは思えない。
結婚をしたくない理由を正直に言えない。
 私の母はヒステリックで幼い時にはののしられたり、暴力を振るわれたりした。 家庭内で会話がないこともいつものことだった。
 相手の家族にはよくして頂いている。 でも、彼に私の家族に会ってもらういことはできない。 結婚式を挙げるにしても、私は親を呼べない。 彼の家は暖かく、たまに苦しくなる。
 一方で私は子どもが好きなので、将来子どもは欲しい。 ただ、それも性格が似ている母と私は同じことをしてしまいそうだという不安が勝り、結局前向きになれない。 どんな人ともいつかは別れるとの前提で考えてしまう。
 こんな面倒な話を打ち明ける勇気もなく、ただただ曖昧な話をするばかり。 覚悟して全てを話すべきか?

 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ” 本日の相談内容を要約したもの。)



 原左都子の私事及び私見に入ろう。

 私の場合も、郷里を捨て、親を捨てて上京した身だが。
 ただしこの相談者程には、何ら切羽詰まっていた訳ではない。 親を捨てたと言ったって最終的には両親共々我が上京に同意したし、上京後は定期的に宅配物を送ってきたりして、我が東京生活を陰で支えてくれたりもした。

 当時の私は、専門の医学分野で職場長に任命されるほどに大活躍すると同時に。 独身の身で六本木や新宿のディスコ通いに好きな酒宴三昧、そして恋愛三昧の日々だったなあ。😜 

 40近くまでこの大都会で主体的に職業・学問そして恋愛三昧と“華の人生”を歩み続けた挙句。
 見合結婚で晩婚に至り一女をもうけ、その娘のサリバン先生として娘を支えつつ立派に世に出し。
 またもや教育・医学方面で活躍する機会を得つつ現在に至っている。

  
 そんな我が半生と比較すると。

 この相談女性の基本的な思考が、あまりにもマイナーに傾きすぎていることを不思議にすら感じる。
 私が一番に疑問に思うのは、この女性の場合は10代半ばとの若さで実家を出る勇気があったとのことであるのに。
 せっかく独り身になったにもかかわらず、どうしてその貴重な“一人暮らし”時代を自分中心にエンジョイしなかったのか、との点だ。
 彼氏もできているとのこと。
 それで十分に、嫌いな母親のことなど忘れられそうなのに…



 今回の相談者であられる歌手・俳優の美輪明宏氏による、素晴らしいご回答の一部を引用させていただこう。

 相談者が一番直さないといけないのは、マイナス思考だ。
 結婚式を挙げるにしても親は呼べない理由を彼に話してみてはどうか。人生を共にする相手なのだから。
 自分が母親に似ているから不安だという点については。 あなたはその母親に嫌な目に遭わされて学び、やられる側の気持ちをわかっている。 そうであるからこそ、自信を持とう。
 その上で、自分がマイナス思考になった理由については、彼に理解してもらうために話しておいた方がよい。 理解者が増えることで、解放されるケースも多い。
 母親と一緒だった時期は、あなたの人生は雨・嵐だった。
 彼が現れて、晴れになったのです。

 (以上、美輪明宏氏による当該相談に対する回答の一部を引用したもの。)


 そうだなあ。

 この女性の心が解放される手段に関しては、論じるのが困難な気もしてきた。
 どうも現在の彼氏に関しても、心から甘えられていない様子も伺える…


 それでも私がこの女性に信じて欲しいのは、親元から脱出した時点で貴女は自由になれている!、とのことだ。
 それに気付いた時点から、貴女の人生は始まるのかもしれない。