Microsoft Bing 検索にて「原左都子エッセイ集」を検索すると、毎日数ページに渡って我がエッセイ集のバックナンバーが羅列されている。
それをクリックして、私自身がそれらバックナンバーを読み直すのが日々の愉しみとなっている。
本日も先程それをしていて、自分でも懐かしく興味深いバックナンバーを発見した。
早速、表題に掲げた2019.08.19付「再掲載 お茶しよう!」を、いただいたコメント群と共に再々掲載させていただこう。
まだまだレトロな「原左都子エッセイ集」過去のバックナンバーが続くが…
早速、2008.09.12 公開の「お茶しよう!」を以下に再掲載させて頂こう。
昔、“お茶をする”という文化があった。
この“お茶をする”というのは、喫茶店で人と会って珈琲でも飲みながらゆったりと談話することである。
現在は、この“お茶をする”文化がすっかり陰を潜めてしまっている。そもそも“正統派”の喫茶店をほとんど見かけない。 街で見かけるのは「スターバックス」等の、飲料をセルフサービスで提供され、軽く腰掛けて短時間で飲むような外食チェーン店ばかりである。 そこには“語りの場”はないのが特徴である。
私が未だ過疎地の田舎で暮らしていた頃の学生時代に、この喫茶店がよく流行っていた。
2008年9月7日の朝日新聞別刷の「喫茶店」の記事の中でも取り上げられていたが、ちょうどフォークグループ「ガロ」の“学生街の喫茶店”が流行った頃だ。“君とよくこの店に来たものさ、訳もなくお茶を飲み話したよ♪”
まさにその通りで特にこれといった理由もないのだが、女友達と話す時も、彼氏とデートをする時も、どういう訳がとりあえず喫茶店なのだ。
そのうち、女友達と喫茶店に行く時は飲み物だけでなくデザートや軽食などの食べ物にもこだわった。
当時、我が過疎地の田舎においてすら喫茶店は多くの店が競合していて、各店が様々な工夫を凝らしていた。 珈琲等の飲料のみならず、パフェの美味しいお店があれば、ホットケーキは絶品の店もある。 夏ならばフラッペ(かき氷)がたまらない。 またピザならお任せのお店やら、ドリアならこのお店に限る等々、より取り見取りなのである。 次々と新しい喫茶店を開拓しては、日替わりで色々な喫茶店に通ったものだ。
女友達とは大学で1日中話しているのに、どういう訳かいつも帰りの時間になると「サテンに寄ってから帰ろう!」という話になるのだ。(“サテン”とは茶店、すなわち喫茶店の略語であるが。) そして喫茶店で美味しいデザートや軽食を食べて珈琲を飲みながら、1、2時間は喋り続ける。 一体何をそんなに話すことがあったのだろうかと今になっては不思議に思うのだが、きっとお互いに好きな男子の話でもして盛り上がったのだろう。
一方、彼氏と“サテン”に行く場合は、珈琲専門の純喫茶や、ジャズ喫茶、ロック喫茶などが多かったように記憶している。あるいは、ドライブがてらドライブインの喫茶店にもよく行った。
当時、珈琲にこだわっている男子は多かった。私など珈琲と言えば“ブレンド”しか注文しないのだが、彼氏の方は、ブルマン、キリマン、モカ、等々、彼女の前でカッコつけたい年頃だ。 そしてブレンドを注文しようとする私にも勧めてくれる。“ガテマラ”は学生時代に彼氏に教えてもらって初めて知った銘柄だ。
そしてやはり1、2時間は語り合う。 一体何をそんなに語り合ったのだろう。お互いの将来の夢でも語り合ったのだろうか、記憶にないなあ。
喫茶店には音楽がつきものである。 ジャズ喫茶やロック喫茶等の音楽専門喫茶店でなくとも、必ず音楽が流れている。洋楽であったり、歌謡曲であったり…。 喫茶店で流れていた音楽が、その時喫茶店で話し合った内容や自分の心情と交錯する。
この喫茶店での音楽に関して、今尚忘れ得ぬ思い出がある。
私が上京する直前の3月のことだったが、彼氏と喫茶店で珈琲を飲んでいた。 既に二人の関係はギクシャクしていて、私の上京と共に別れが訪れることは特に取決めを交わさずとも二人共暗黙の了解だった。
そんな別れを目前に、それでも尚未練を引きずって向かい合っている二人の空間に流れたのが「甲斐バンド」の“裏切りの街角”だった。 “わかったよ、どこでも行けばいい♪”“プラットホーム…”“切符を握りしめ…”“あの人は見えなくなった…♪” 未練を引きずる私の壊れかかった心に、これらの歌詞がグサリ、グサリと突き刺さる…
そして数日後、彼氏を郷里に残して私は一人で東京に旅立った…。
“お茶をする”文化とは“語り合う”文化でもある。 珈琲を味わいながら気の合う相手とゆったりと語り合う…、何とも贅沢な文化である。 あの頃は人々の心にはまだ、そういう時間や空間を人と共有できる余裕が持てる時代背景だったのであろう。
セルフサービスのチェーン店では、人は順番待ちをして飲み物を注文し高椅子に腰掛け一人で短時間を過ごした後、そそくさと席を立ち喧騒の街の中へと消え去っていく。
現在は、そんな風景を日々見慣れる時代にすっかり移り変わっている。
(以上、本エッセイ集2008.09.12バックナンバーを再掲載させていただいたもの。)
早速、2008.09.12 公開の「お茶しよう!」を以下に再掲載させて頂こう。
昔、“お茶をする”という文化があった。
この“お茶をする”というのは、喫茶店で人と会って珈琲でも飲みながらゆったりと談話することである。
現在は、この“お茶をする”文化がすっかり陰を潜めてしまっている。そもそも“正統派”の喫茶店をほとんど見かけない。 街で見かけるのは「スターバックス」等の、飲料をセルフサービスで提供され、軽く腰掛けて短時間で飲むような外食チェーン店ばかりである。 そこには“語りの場”はないのが特徴である。
私が未だ過疎地の田舎で暮らしていた頃の学生時代に、この喫茶店がよく流行っていた。
2008年9月7日の朝日新聞別刷の「喫茶店」の記事の中でも取り上げられていたが、ちょうどフォークグループ「ガロ」の“学生街の喫茶店”が流行った頃だ。“君とよくこの店に来たものさ、訳もなくお茶を飲み話したよ♪”
まさにその通りで特にこれといった理由もないのだが、女友達と話す時も、彼氏とデートをする時も、どういう訳がとりあえず喫茶店なのだ。
そのうち、女友達と喫茶店に行く時は飲み物だけでなくデザートや軽食などの食べ物にもこだわった。
当時、我が過疎地の田舎においてすら喫茶店は多くの店が競合していて、各店が様々な工夫を凝らしていた。 珈琲等の飲料のみならず、パフェの美味しいお店があれば、ホットケーキは絶品の店もある。 夏ならばフラッペ(かき氷)がたまらない。 またピザならお任せのお店やら、ドリアならこのお店に限る等々、より取り見取りなのである。 次々と新しい喫茶店を開拓しては、日替わりで色々な喫茶店に通ったものだ。
女友達とは大学で1日中話しているのに、どういう訳かいつも帰りの時間になると「サテンに寄ってから帰ろう!」という話になるのだ。(“サテン”とは茶店、すなわち喫茶店の略語であるが。) そして喫茶店で美味しいデザートや軽食を食べて珈琲を飲みながら、1、2時間は喋り続ける。 一体何をそんなに話すことがあったのだろうかと今になっては不思議に思うのだが、きっとお互いに好きな男子の話でもして盛り上がったのだろう。
一方、彼氏と“サテン”に行く場合は、珈琲専門の純喫茶や、ジャズ喫茶、ロック喫茶などが多かったように記憶している。あるいは、ドライブがてらドライブインの喫茶店にもよく行った。
当時、珈琲にこだわっている男子は多かった。私など珈琲と言えば“ブレンド”しか注文しないのだが、彼氏の方は、ブルマン、キリマン、モカ、等々、彼女の前でカッコつけたい年頃だ。 そしてブレンドを注文しようとする私にも勧めてくれる。“ガテマラ”は学生時代に彼氏に教えてもらって初めて知った銘柄だ。
そしてやはり1、2時間は語り合う。 一体何をそんなに語り合ったのだろう。お互いの将来の夢でも語り合ったのだろうか、記憶にないなあ。
喫茶店には音楽がつきものである。 ジャズ喫茶やロック喫茶等の音楽専門喫茶店でなくとも、必ず音楽が流れている。洋楽であったり、歌謡曲であったり…。 喫茶店で流れていた音楽が、その時喫茶店で話し合った内容や自分の心情と交錯する。
この喫茶店での音楽に関して、今尚忘れ得ぬ思い出がある。
私が上京する直前の3月のことだったが、彼氏と喫茶店で珈琲を飲んでいた。 既に二人の関係はギクシャクしていて、私の上京と共に別れが訪れることは特に取決めを交わさずとも二人共暗黙の了解だった。
そんな別れを目前に、それでも尚未練を引きずって向かい合っている二人の空間に流れたのが「甲斐バンド」の“裏切りの街角”だった。 “わかったよ、どこでも行けばいい♪”“プラットホーム…”“切符を握りしめ…”“あの人は見えなくなった…♪” 未練を引きずる私の壊れかかった心に、これらの歌詞がグサリ、グサリと突き刺さる…
そして数日後、彼氏を郷里に残して私は一人で東京に旅立った…。
“お茶をする”文化とは“語り合う”文化でもある。 珈琲を味わいながら気の合う相手とゆったりと語り合う…、何とも贅沢な文化である。 あの頃は人々の心にはまだ、そういう時間や空間を人と共有できる余裕が持てる時代背景だったのであろう。
セルフサービスのチェーン店では、人は順番待ちをして飲み物を注文し高椅子に腰掛け一人で短時間を過ごした後、そそくさと席を立ち喧騒の街の中へと消え去っていく。
現在は、そんな風景を日々見慣れる時代にすっかり移り変わっている。
(以上、本エッセイ集2008.09.12バックナンバーを再掲載させていただいたもの。)
この我がバックナンバーには、同時期に生きていたと思しき読者の皆様の心を再燃したのか、数々のコメントが押し寄せたものだ。
それらコメント群も、以下に再掲載させていただこう。
♪しとしと五月雨プラットホーム♪なんて部分もありましたね。(江古田のヨッシーさん)
懐かしいよく歌いました。
さて喫茶店の話ですが、クラシック喫茶やジャズ喫茶、歌声喫茶(これはちょっと古すぎ)あとマスターが物知りで、いろいろと教えてくれる。いい店がたくさんあったのに、今探すと、本当にないですよね。
ちょっと寂しいですね。こだわりのある音楽を流し、
この曲は?と聞くと答えてくれる。そういう店に私は行きたい。
喫茶店嫌いを克服したきっかけ (愛煙家)
2008-09-12 19:25:31
こんにちは
>お茶しよう!
私は喫茶店での飲食が嫌いでした。
あのインベーダーブームがなければ
喫茶店でお金を使うことはなかったでしょう
ゲームセンターでは
インベーダーゲームは満席で
仕方なく喫茶店でインベーダーゲームをするようになってしまった。
インベーダーゲームが流行していたときは
マクドナルドも単価が高かったと思います。
だから喫茶店のモーニングは魅力でしたね。
モーニングとストレスなくゲームが出来る
一石二鳥を好むようになりました。
男性なのでマスターより
ウエイトレスで店選びした記憶があります。
通えば、「いらsっしゃいませ」から
「おはよう♪」の挨拶が嬉しくてハハハ。
余談2
大阪の喫茶店はアンチ巨人当たり前なので、
報知新聞が置いてなかったり
BGMよりテレビを置いているところが多いのでテレビ見ながらお茶する感覚ですね。
そういえば (don-tracy)
2008-09-12 21:45:49
ダベる(駄弁る)という言葉を耳にしなくなりました。
かつては頻繁に同僚と飲んだものですが、それもなかなか財布が許してくれないご時勢です。
あらためてコミュニケーションの希薄な時代になったものだと思います。
ヨッシーさん、今チェーン店ばかりですよね。 (原左都子)
2008-09-12 22:26:27
私、甲斐バンドと言われて頭に浮かぶのがこの曲なんです。
喫茶店って本当になくなりましたね。どこに行ってもファストフードっぽいチェーン店ばかりで、まったく個性がありません。そしてフランチャイズで雇われオーナーばかりで、ただ単にノルマをこなすのみです。自分のお店のプライドとかポリシーがまったくないですよね。
客側にも、そういう没個性を嗜好する人種が増殖している現状でもありますね。
音楽も今やパソコン動画で聴く時代のようで、周囲と同時に共感するということがなくなったようですね。
愛煙家さん、喫茶店嫌いだったのですね。 (原左都子)
2008-09-12 22:35:24
類は友を呼ぶで、私の周囲は喫茶店好きばかりでしたので、初めて喫茶店嫌いな方に会ったように思います。
私はむしろ、喫茶店にインベーダーゲームが置かれるようになったころから喫茶店の趣がすっかり変わってきましたので、敬遠するようになりました。
その後、どんどん喫茶店は廃れてファーストフードのお店に変わって行きましたよね。
奥様と毎日喫茶店デート、それはなかなか出来る事ではありませんよ。奥様は喫茶店がお好きなのですか?
そう言えば、私もずっと昔大阪の喫茶店に入ったら、テレビがあって皆がテレビを見ている風景に出会ったことがあります。何だか、食堂のノリですよね。
don tracyさん、私は今は専ら居酒屋でお酒です。 (原左都子)
2008-09-12 22:47:18
そうでしょ。私も記事を書きながら今は“ダベる”なんて誰も言わないなあと思いました。
そう言えば、喫茶店が廃れかけた頃から居酒屋が繁盛してきたように思います。一時期両方が重なっていた時代もありましたかね。少し早い時間に喫茶店で待ち合わせをしてから、居酒屋に繰り出したりもしましたね。そして、3次会位まで飲んだ後、再び喫茶店で珈琲で締めくくったりもしました。
よく行きました (ドカドン)
2008-09-13 08:32:54
学生時代は、喫茶店巡りでした。男友達と・・・。
もちろんデートにも喫茶店を使いましたね。
ところで、「喫茶店のマッチを集めると、婚期が遅れる」って、よく言われたのですが、海苔のビン2個にマッチ一杯でした。
かくして、37歳の結婚だったので、当っています。
ドカドンさん、私もマッチ集めました! (原左都子)
2008-09-13 08:58:48
ドカドンさん、そうなんですよ! 私も喫茶店のマッチを集めました。行動パターンが一緒ですね。同じくお菓子の缶に何缶もきれいに並べて物凄い量でしたよ。それで、私の場合も婚期が遅れたんですね。ガッテンしました!
話が変わって夜の世界の話になりますが、バーとかクラブとかで昔はウイスキーやブランデーのボトルをキープしましたよね。そのボトルカードも集めました。ボトルをキープしてカードを作っても大抵は一夜で飲み干してしまい、カードばかりが溜まるのです。これがまた物凄い量で、その“コレクション”を友人に披露すると、どういう夜の生活をしているのかと呆れられたものです。
話をずらして失礼しましたが、ドカドンさん、懐かしい昔を思い出させて下さってありがとうございます。
お茶しよう (江古田のヨッシー)
2008-09-13 14:46:52
御茶ノ水に「ウィーン」という
クラシック喫茶があったのを
覚えている人はこの欄を見ている人に
いらっしゃるのですか?
高校時代古本屋めぐりをした後に
よく行きました。
どなたか、御茶ノ水の「ウィーン」をご存知ないですか? (原左都子)
2008-09-13 15:12:42
ヨッシーさん、残念ながら私は知らないです。
このコメント欄は現在繁盛してますので、どなたかご存知でしたらお書き込み下さい。
私は御茶ノ水は東大病院に医学関係の仕事で少し通ったのと、最近順天堂医院に子どもの付き添いで通った程度でほとんど土地勘がありません。
ヨッシーさん、「ウィーン」でクラシックを聴きながら珈琲を味わって本を読んだのですか?
ウィーン行きました (梅)
2008-09-13 22:43:00
ウィーン・マロニエ・ジロー
懐かしいです。
マロニエが一番多いです。
確かに、お茶してないですね。 (きんたろう)
2008-09-13 22:50:47
確かに原左都子さんのおっしゃるとおり、
最近は、落ち着いて喫茶店に行ってないですね。
あいにく、家の近所にもお気に入りの喫茶店が今は見当たらず、
ドトールコーヒー、スタバ、NetCafeなどに行く日々。
誰かと落ち着いた空間で話をしてみたくなりました。
古き良き時代… (mr.ichi)
2008-09-13 23:19:39
こんばんは!
またまた、
古き良き時代を
想い出させていただきました。
ありがとうございます!
彼女との初デート
徳島駅前の喫茶店でした。
待ち合わせ、飲み物の種類、会話の内容、サテンを出た後、OSグランド(映画館)までのコースの選択、ドキドキしながら、何日も前から、予行演習付きで、決めていました。
ずいぶんと記憶は薄れましたが、
確か、彼女は、ホットケーキセットでレモンティ…
それは、学生街の喫茶店の流行った頃でした。
Unknown (梅さん、「ウィーン」の書き込みありがとうございます。)
2008-09-14 10:56:57
早速、江古田のヨッシーさんにお伝えしました。
そう言えば梅さんとも、昔一緒に喫茶店に行きましたよね。
「ジロー」というのは私も何となく憶えているような気がします。
梅さんは、何でお茶の水界隈をうろついていたのですか?
きんたろうさん、家の近くに喫茶店があるといいですね。 (原左都子)
2008-09-14 11:02:17
きんたろうさん、そうでしょ。
近頃、お茶をゆっくりする機会なんてないですよね。
私も今はまだ子育てに追われ、ゆっくりと寛げる時間が取りにくいのですが、子どもが育った暁には、近くの喫茶店へでも歩いて行って、ゆっくりと音楽を聴きながら美味しい珈琲でも味わって寛ぎたいものです。
これをやるのはやっぱり喫茶店がいいですね。家は寛ぐという感覚の場所ではないですね。
梅さんへの「ウィーン」の返答は原左都子が書きました。 (原左都子)
2008-09-14 11:05:07
2つ上(↑)の梅さんへの返答は名前が抜けましたが、原左都子が書きました。
mr.ichiさん、懐かし過ぎます! (原左都子)
2008-09-14 11:19:00
いや~、同郷の私としてはものすごく懐かしいです。
徳島駅前の喫茶店って、もしかしたら「テラス」じゃないですか? あそこはホットケーキが美味しいので有名だったんですよ。若い女の子に人気の喫茶店でした。私も女友達と何度も行きましたよ。
それから、OSグランドは私にとっても初デートの場所でした。高1の時に好きな同級生の男の子と一緒に行ったんです。緊張してしまって、映画に集中できなかったことを思い出します。それで、何の映画だったのかも覚えてないのです。
この夏帰省時に耳にしたのですが、OSグランドはもうないそうですね。
ichiさんは、夜の秋田町は行かれましたか?「コンパ」や「グラスホッパー」など、学生に人気のパブによく行きました。
ichiさんとおそらく同世代ですね。
お茶しよう (江古田のヨッシー)
2008-09-14 15:09:25
梅さん、ありがとうございます。
左都子さんのいわれる読書というほどのものではないのですが、今でも大事にしている本に「フレッド・アステア」の写真集があります。家に着くまで我慢できないので安全な「ウィーン」に行ったという訳です。今でも「いらっしゃいませ、こんにちわ」とうるさい店ではなく、神保町へ足を運ぶこともあります。
当時は地下鉄が丸の内線しか知覚を通っていなかったので、御茶ノ水から池袋それから西武池袋線で育った東長崎まで帰りました。
ウィーン行きました (梅)
2008-09-14 15:27:16
追加を書こうと思ったらすでに、ヨッシーさんのコメントが。
私は過去の記憶が、薄れる性格なのを前提にして下さい。
ウィーンの記憶を取り戻そうと思いにふけりました。
言われてみれば、あの様な喫茶店は、当時も今もないですね。
あのいい音量・空間・・・・
私は一人で行くことが多かったです。
音楽を聴きながら読書したり、学生でしたので勉強したり、
一人で過ごすいい空間でした。
レコードを持っていけばかけてくれると言ってました。
ヨッシーさんのお陰で懐かしい青春時代に思いを馳せる時間が
持てました。
ガロの「学生街の喫茶店」が似合う街でしたね。
ヨッシーさん、梅さん、「ウィーン」はそんなにすばらしかったのですね。 (原左都子)
2008-09-14 16:10:24
お二人のお話を拝見しておりますと、私は羨ましい限りです。
当然「ウィーン」はもうないですよね。
もし、まだあるならば是非行って、ひとりで過ごしてみたくなります。
そういう“ゆとり”は人の心を育み、文化を育てると思うのですが、マニュアルで機械的に「いらっしゃいませ、こんにちは」と言われたところでうるさいだけですよね。
そうなんですか。お茶の水は私には土地勘がなく病院しか知らないのですが、昔は(今でも?)学生にとって文化を育んだ街だったのですね。
交流の場、コミュニケーションを育む場としての喫茶店 (ガイア)
2008-09-20 13:50:24
以下に思い付くままにだらだらとコメントを記します。纏りはありません。
「ガロ」の「学生街の喫茶店」は懐かしいですね。
正統派の喫茶店を殆ど見かけなくなったことは寂しいです。街の中の憩いの空間であり、都市空間のコミュニケーションと健全さを育む場として機能していたと
考えます。
学生時代は貧乏していましたが、喫茶店にはよく行きました。上野毛の大学近くの古い喫茶店が溜まり場で、ここで学生同士のみならず、先生も交えて議論をする事が多かったです。早稲田界隈の喫茶店にもよく行きました。大袈裟な話ですが、喫茶店と言う空間が私を育んでくれたのだと思います。経済的な貧しさはありましたが、精神的に豊かな時代だったと思います。原さんの仰る人間関係、これが保たれていた、密であった、と言うことだと思います。
結婚前の土曜日は音楽好きの家内と梅田の名曲喫茶で落ち合って将来を語り合ったものです。今はその当時の事を思い出すのが恥ずかしいのか、お互いに口にもしません。
喫茶店と言う言葉が死後になったような感があります。街中で寛ぎながらコミュニケーションを育める空間と言えば、私にとりましては居酒屋です。
余談ですが、喫茶店のルーツは1650年のイギリスのコーヒーハウスにある様です。ここで新聞を読んだり、政治を論じたりと、交流の場であった様で。
日本では1878年の神戸本町「放香堂」が最初であり、1887年の東京下谷の「可否茶館」が本格的な喫茶店だそうです。上手い名前を付けたものです。
話が変わりますが、ある女子大生が「酒場の考現学」に近い書物を著していました。又、ある女子院生が
「ラブホテルの文化史」を著していました。
ガイアさん、喫茶店は“会話の文化”を創り上げましたね。 (原左都子)
2008-09-21 10:18:02
そして、人間関係の希薄化減少と共に、喫茶店は廃れていきました。
今の人々の関心は何に行ってしまったのでしょう。ネット世界ですかね? 味気ないですね。生身の人間の方がよほど刺激的ですのに…。
ガイアさん同様に居酒屋好きな私ですが、喫茶店との違いは“珈琲”か“酒”かにありますね。
今はすっかり居酒屋派の私ですが、昔は“酒”の力を借りずとて喫茶店で盛り上がって何時間でも話せたものです。あれは若気の至りだったからでしょうか。あるいは、語り合う相手と親しい間柄だったからでしょうか?
もし今現在、大して親しくない人と喫茶店で会話しろ、と言われたらちょっと辛いかもしれません。もちろん相手の人柄等にもよりますが。それだけ、年齢を重ねたことで自分自身に“くせ”が出来て我がままになってきているのかもしれません。
話を大きくずらしてしまいました。
以上、「お茶しよう!」に頂戴下さったコメント群を再掲載させていたたいだ。
2019年8月に話題を移そう。
この“喫茶店文化”が廃れたのは実に我が上京後のバブル期前期頃ではなかろうか?
その後我が推測に寄れば、この世から初期の「居酒屋」文化も廃れた実感すらある。
その後の我が国の「喫茶店文化」とは、そのすべてが“人間関係の希薄化”に対応するべく、“スターバックス”に代表されるべく安易なチェーン店化が劇的に進んでしまっている。
純粋に“珈琲タイム”を一人で過ごしたい人にとっては画期的進化なのであろう。
いえいえ集団嫌いのこの私にも、この進化は喜ばしい事とも捉える側面もあるのだが…
故にそれを全面否定するつもりはないが。
我が青春時代に味わった「お茶しよう!」文化こそが、私自身が当時の人間関係の活性化を図る一番の手段だった記憶がある事実を、懐かしく振り返る…
2021.09.22、本日の原左都子の感想だが。
「原左都子エッセイ集」のコメント欄を2011年11月頃に閉鎖するまで。
我がエッセイ集のコメント欄が、読者の皆様に“語りの場”を提供していた事実を思い起こす。
要するに「原左都子エッセイ集」コメント欄は、過去の「喫茶店」の役割を果たしていたんだ!?!