原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

オミクロン株対応ワクチン「昨冬流行BA1」と「現在流行BA5」との比較

2022年10月20日 | 医学・医療・介護
 (冒頭写真は、朝日新聞2022.10.19付記事「オミクロン株対応ワクチン 従来との違いは」より転載したもの。)



 本日私は、夏頃から迷いに迷っていた第4回目のコロナワクチン接種の予約をやっと入れた。
 11月初頭に、その接種を予定している。
 
 3度目の接種が今年の2月だったため、4度目接種券は既に8月頃には到着していただろうか?
 何故今までそれを放置していたかと言えば。
 既にバックナンバーにて幾度か述べているが、前回の3度目接種直後に重篤な副反応を経験している故だ。

 少し振り返らせていただくと。
 3度目のモデルナ社製ワクチン接種後の夜中頃から体調不良感が出て、睡眠の質が大いに悪くなっていた。
 朝方体温を測ってみると38℃程度の発熱があった。 そのまま睡眠の質が悪い状態にて寝床で我慢していたが、更に体調悪化感があり再び検温してみると。
 何と、体温が39℃を超えている!😡 
 参考だが、私が39℃超の発熱を経験したのはかれこれ20数年前の事、娘が学校からもらってきたインフルエンザに罹患した時の事だ。
 布団の中で横たわりつつあの時の尋常ではない熱感が蘇る。 ただしインフルエンザと比較して何らの症状も無いことを幸いに、そのまま寝て暮らすこととした。
 
 この39℃超えの高熱はその後も次の日の朝まで続き、朝方やっと大汗をかいて体温は急激に平熱に戻った。


 あの久々の2日間に渡る39℃超えの発熱との副反応を経験している私が、次なるコロナワクチン接種に積極的になれる訳もない。
 4度目接種を先送りしたまま月日が流れ…


 その間に話題になったのが、オミクロン株対応ワクチンの内容だ。

 冒頭に、朝日新聞記事より「オミクロン株対応ワクチン『昨冬流行BA1』『現在流行BA5』との比較」に関する表を転載したが。
 この表が示す通り、意外と早くにオミクロン株対応「現在主流BA.5」ワクチンの接種が可能となったようだ。

 本日朝、私が住む自治体の「コロナワクチン接種」スケジュールを本日ネット情報にて確認したところ、早くも今週始めより「現在主流BA.5」の接種が可能となっていた。
 早速、「現在主流BA.5」ワクチン接種の予約を11月初頭に入れたとのいきさつだ。


 さて、冒頭写真を参照しながら、「昨冬流行BA1」と「現在流行BA5」との有効性と安全性の簡単比較をしよう。
 「有効性」に関しては、特に「現在流行BA5」ワクチンは、あくまでもマウス実験上の話であるが高い有効性がみられるようだ。
 「安全性」に関しては、「現在流行BA5」ワクチンも「昨冬流行BA1」との大きな違いは無いとみられる、と記されている。

 ここで一旦、原左都子の見解を述べると、両者共々さほどの差は無いようだが、ワクチンの「有効性」において「現在流行BA5」ワクチンが多少勝っていると結論づけておこう。


 当該朝日新聞記事を少し振り返ると。

 次に流行する変異株は、世界中に広がっているオミクロン株から派生してくる可能性があるが、これまでのアルファ株やデルタ株から派生したものが世界のどこかに残っていて、今後、流行を起こす可能性がゼロとはいえない。
 との記述があれば。

 今年の冬にかけて予想される「第8波」の規模を少しでも小さくするために、政府は国民にオミクロン株の接種を呼び掛けている、との記述もある。

 一応国民が懸念する点として、前回の接種から一定の期間が経過している人は、感染や発症を防ぐ効果がかなり落ちている。 との警告もこの記事内に書かれている。


 最後に、医学関係者である原左都子の見解としては。

 政府がそう言おうと、国民それぞれに「コロナワクチン接種」に関するポリシーがあり、それに基づいて個々人が接種するかやめておくかの判断・決断を下してることであろう。

 医学関係者でなくとて、ご自身の身体状況は自らが一番周知している故に、安易に国家の指導などに従いたくない、との確固としたポリシーある方々も存在することと想像する。

 結果としては、誰しもがコロナ感染しないに限る! という結論に達するものと結論づけるが。
 
 ここは、コロナワクチン接種派・拒否派共々。
 とにかくコロナ禍などに翻弄されることなく、この世を強く生き延びようではありませんか!!


認知症の人にも「感情」はしっかりある

2022年10月19日 | 医学・医療・介護
 一昨日、我が郷里の実母から久々に電話で長話を聞かされたが。


 郷里の高齢者自立支援施設に暮らす実母に関しては、結論としては「認知症状」をさほど感じることは無い、と結論づけられるだろうか?

 ただ、これも時と場合と、おそらく本人のその時の心理状態により大幅に様相が異なるものである。
 例えば7月に私が郷里を訪れた時など、結局会わず終いだった。
 実母の説明によれば、「コロナ感染が郷里でも急拡大していて面談禁止となった故に、今回は会えない」とのことだったが。 後で判明したのだがそれは実母の口実であり、実際は実母の心理状態が不安定だったのだろう。
 ただ間近に90歳を迎える高齢の身にして、そんな実母の心理状態の不安定さは理解可能であるため、私もせっかく郷里を訪れたにもかかわらず、その心理状態を尊重して会わずに郷里を去っている。

 その後、一昨日の実母からの電話だったのだが。
 この時の実母は明るかったし、話し方も闊達だった。

 とにかく我が実母に関しては、結論としては「認知症状」があるとの医師からの診断は未だ無いし、私自身も同様の考えだ。
 

 片や、実母に話題を移すと。

 こちらは、当の昔に施設の医師より「認知症」の診断結果が出ていて、保証人の私も義母の扱いに難儀する日々だ。
 つい最近も、施設のケアマネジャー氏より「『補聴器の電池が無い』、と言っている」との報告電話があった。
 この補聴器の電池に関しては頻繁に“無くした騒動”を起こしており、すっかり慣れ切っているのだが。
 それにしても、9月末に私が付き添い耳鼻科にて補聴器点検をした際に、すぐに無くすことを前提に必要量よりずっと大量の電池を購入して義母に持たせたばかりである。
 その少し前にも施設から同じ電話があり、その時には亭主がネットにて有り余る程の補聴器電池を施設へ送り、施設のケアマネジャー氏に保管していただくこととした。
 今回はこの保管電池を義母に届けて頂いて、ことを済ませたのだが。



 私事が長引いたが。

 少し前の朝日新聞より、「医師の学んだ認知症ケア、間違っていた?」と題する記事の一部を以下に引用しよう。

 認知症との向き合い方について、今年の日本認知症ケア学会に於いて講演をされた専門医の水野裕医師に話を伺った。
 水野医師のその講演タイトルが、「私が学んできた認知症ケアは間違っていました」という刺激的なもの。 一体何が街が手いたというのか?
 かつて医学部では、認知症がある程度進むと「ご本人は認知症であるとの自覚ができず、感情も無くしていく」と教えられきたという。
 けれど、認知症の人と接する経験を重ねてきた水野医師は、「感情はしっかりある」と強調する。 また、「画像診断の進歩で全部分わかるようになるかと思ったけれど、そうではなかった」とも。 人間とは、多様でまだまだ不思議なものだ。
 こうしたことから、近年はご本人を中心とした「パーソン・センタード・ケア」の重要性が指摘されている。 ケアのあり方次第で、症状の出方や信仰のスピードなどが大きく変わってくることも分かりつつある。 認知症とともにある社会の実現を目指し、アップデートした情報をお届けする意義を改めて感じる。

 (以上、少し前の朝日新聞記事より引用したもの。)



 最後に、原左都子の私見を述べよう。

 この話題に関しては、“何をいまさら”感を抱いてしまう。

 私の感覚から言わせていただくと、認知症に限らず、例えば「発達障害」などに関しても同様の論理が成り立つであろう。
 認知症であろうが、発達障害であろうが、その対象者である本人に“感情がしっかりあって当たり前” と私は捉えているのだが。

 「画像診断の進歩で全部分わかるようになるかと思ったけれど、そうではなかった」との発言など、医師としてはあるまじき失言ではなかろうか??

 人間の諸心理とはこれ程に医学が進化した時代に於いても、元々「画像診断の進歩」で全部わかるようになるはずもない。
 必ずやそれらを患う(“と共に歩んでいる”、と言うべきだろう)個々の患者に触れる中で、「発達障害」であれ「認知症」であれ、個々に多大な多様性があることに誰しも気付くはずだ。

 そんな患者個々の“個性”こそを尊重しつつ、少しでも前向きに生きられる手助けをするのが医療従事者の使命であろう。


 なんて、偉そうに言ったってね…

 「発達障害」の娘の支援に関しては、特に母の私は時間を惜しまず命がけで支援を頑張って来た(来ている)!と、豪語できる!!

 一方で、義母の「認知症状」に関しては。
 実態を話せば、亭主と2人で「今度はアンタが付き合え!」「この件は〇子の仕事だよ!!」なんて。
 陰で、いがみ合う事が多い実情……

 それ程に、高齢者「認知症」のフォローとは実際問題実に厳しい生業だ…
 

米国のハーフの甥 ジョージくんが24歳にして既に禿げたにもかかわらず、女たらし?!?

2022年10月18日 | 自己実現
 昨日は我が年に一度の誕生日で、そのお祝い電話が何本か入ったのだが。


 その中で、郷里の高齢者自立支援施設にて暮らす実母の電話内容が意表を突いていて面白かった故に、少し紹介しよう。

 実母とは普段ほとんど接触する機会が無いのだが、いつも“誕生日おめでとう電話”に於いてはあちらが長話をしてこちらは聞き役に徹している。
 これが普段はちっとも面白くなくて、こちらとしては早く電話を切りたくて苛々しつつ地団駄を踏むのだが…

 
 昨日の“誕生日おめでとう電話”では、実母が珍しく“面白い話”をしてきた。😁 

 それは、米国に暮らす我が甥のジョージくん(仮名)に関する話題なのだが。
 参考だが、私は米国の実姉とは既に20数年前にこちらから「絶縁宣告」をして、その後ただの一度も連絡を取っていない。 故に、必然的に甥のジョージくんともまったく面識が無い。
 ただ、実母は姉と電話で話す機会は多いようで、実母を通して姉や甥のジョージくんの話題を聞く機会はよくある。
 特に実母にとって孫にあたるジョージくんは今尚目に入れても痛くない程可愛い存在の様子で、よく私にその話題を振って来る。
 参考だが、甥のジョージくんは現在24歳、NASAに勤務しているエリートと言える存在であろう。

 その実母が電話口で今回私に告げるには。
 ジョージくんは、若輩にして“女たらし”であるらしい。😲  意外ではあったものの、母親である絶縁中の我が実姉も若き頃より現在に至るまで離再婚を繰り返し“男三昧”の人生を送っているため、血は争えないのかもしれない!?!?
 そのジョージくんの現在の彼女が、米国大企業アップル社にて上層部で重役として活躍する父の娘であり、家族と豪邸にて暮らす娘さん本人もアップル社勤務中だと言う。 
 実母曰く、ジョージくんは若くして“女たらし”であり女には不自由していないそうなのだが。 このアップル勤務の娘さんこそがジョージくんの本命であり、結婚も近いのか?との話題だった。

 実母の話が面白かったは、その後だ。
 「ジョージくんは赤ちゃん・子供の頃からまるで白人で日本人の面影は無くとても可愛く、高校・大学(院)生頃までは190cmを超える長身でイケメンだったのに。」
 「最近の写真を見ると早くも額が禿げ始めて、すっかり様相が変わって“おっさん”になってしまっていて… ちょっと見る影がないのよ。 あれは日本の祖父譲りだねえ…」

 言わせておけば、我が実母の相変わらずの毒舌がいつまでも続く。

 それに応えて私曰く、「その話は意外だった半面、ジョージくんが24歳の若さで既に “禿てきている”事実や“女たらし”であることなど、まさに父や姉の遺伝だと私も感じるよ。 それにしても、ジョージくんに結婚を考慮できそうな彼女がいる事実は良き話題じゃないの。 それに関しては、遠方に暮らす貴方も喜ぶべきだよ。」 


 実母にそう伝えつつ。

 まさに、“血は争えない”事実を痛感させられる。

 ジョージくんの写真は、過去に実母が住む実家へ訪れた時に私も何枚も見ている。
 幼い頃程、米国の父親似でアジア系の余韻も無かったものだ。
 私がジョージくんの写真を最後に見たのは、高校生頃だった。 その頃も未だ父親譲りか、白人系の印象が強かったのに。

 繰り返すが、実母が言うには今となってはアジア系そのものに加えて、日本の祖父の遺伝か早くも頭髪が剥げ始めているとの談話。
 確かに、我が父が生まれたての次女の私を抱いた写真を見たことがあるが、既に額が禿げかかっていた。 ジョージくんもおそらくその禿げ方がそっくりなのだろう。


 私はハーフの子どもを産んだ経験が無いが。

 いやはや、ハーフとはそれ相応の成長過程を辿るのであろう。

 それにしても、ジョージくんがNASAで優秀職員として日々頑張っている話は実母より耳が痛いほど聞かされていたが。

 加えて、若くして禿げ始めて尚 “女たらし”の手腕もあるとなると、今後ますます有望だ。
 実際米国とはまさにバリバリの競争社会であり、ジョージくんが勤務するNASAでは年齢や勤続年数などなんの関係も無く「完全実力主義」であるらしい。
 “女たらし”のジョージくんは入社後未だ少ない年数にして、既に上層部に出世していると聞く。

 我が甥のジョージくんは今後もその溢れんばかりのパワーで、多少の禿げなど気にすること無く、今後も大国米国を悠然と生き抜くことであろう。 
 

「癌」の手術傷跡を身体に抱える私もこの世を強く生き抜いている!

2022年10月17日 | 医学・医療・介護
 かなり古くなるが、本日は朝日新聞2022.06.10夕刊記事「乳がん経験者 心ほぐれる温泉 「傷があっても、私は私のままでいい」からヒントを得てエッセイを綴ろう。



 私の場合、過去に経験したのは乳癌ではなく、皮膚癌なのだが。


 時は32歳、2度目の大学生かつアルバイトの身の頃の事だ。
 ある日突然、頭頂部やや左寄りに固いできものを発見した。
 痛くも痒くも無いのだが、そのできものが固いがために皮膚が突っ張っている感覚はあった。
 まあ、明日になったらなくなっているさ。 程度に捉えて日々学業に仕事に励んでいたのだが、そのできものが1か月経っても2か月経っても消えない。
 心配ではあるがとにかく超多忙な時期だったし、私自身が医学部出身者で、ある程度の医学的判断も可能な我が身でもあり、そのまま放置することとした。

 大学にての春の健診時に、若き医師先生にそのできものの相談をしてみた。 その回答とは、「おそらく粉瘤等の悪性度の無いできものだと思いますが、もしも大きくなってきたり、何個もできたり、形が崩れたりした時には必ず皮膚科を受診して下さい。」

 それから更に年月が流れ、高齢にて娘を出産した後のことだ。
 どうやら、頭のできものが少しずつ大きくなってきている気がしていた。 ただ高齢出産で自らの身体が大打撃を受けているし、子育ては大変だし…、身内には一切そのことを告げずそのまま放置することとした。
 そして娘が2歳になって私は40歳時に、そのできものが直径3㎝程までの大きさになった際に、「これは捨ておけない!」と自ら判断して、やっと皮膚科を受診した。
 組織診等々の結果「皮膚癌」と診断され、私はその摘出及び自分の足からの植皮手術を受けた。
 幸い頭蓋骨への転移が無かったことが幸いして、私はこの通りこの世で今尚元気に生き延びている。


 さてその後は、とにかく自身が医学関係者であることが大きくものをいい、私は健康体にしてずっと世を渡っているのだが。

 普段は、家を一歩でも出る際には必ずウィッグを着用している。 
 近年のウィッグは実によく作られていて、それがウィッグだとバレることはほとんどない。

 一番困惑するのは、それを外さねばならない時だ。
 困惑した事例を挙げると、「ヘルメット強制着用」との場面が一度あった。 その際もウィッグを外すことなくその上から装着すると、ウィッグの留め金が頭に当たって実に痛いのだが、それを我慢した…
 
 旅行に出る時にもウィッグを人前で外すわけにはいかないため、決して温泉旅行になどは出ずに必ずやホテル部屋内のバスルームを使用している。


 ところが、だ。
 7,8年前の話だが、認知症の義母がどうしても温泉宿へ連れて行って欲しいと私に嘆願してくる。
 やむを得ずそれを実行したのだが。 認知症の義母は私が頭部皮膚癌手術をした事実など、当の昔に忘却の彼方で…

 ホテルの大浴場へ行く際、エレベーター内で義母をつれた私が頭の皮膚癌後の箇所にガーゼを貼っていると。(参考ですが、普段家でもそのスタイルです。急に宅配物が届いた時等に対応せねばならないので。)
 同じく大浴場へ行く目的のエレベーターに同乗してきたご年配の男性が、親切にも私に問うて下さる。 「頭、どうかしたの?」
 これに応えて、「手術跡があるので、ガーゼでカバーしています。」
 すると男性曰く、「そんなの気にすることは無いよ。ガーゼなんか取って温泉を楽しみなさい。」
 この男性の返答が素晴らしく嬉しい記憶として、今尚我が記憶に残っている。
 
 認知症に加えて難聴も兼ね備えている義母に、そんな会話が聞こえるすべもなく。
 とにかくその大浴場では義母のフォローが実に大変で、私は所詮頭髪を洗える訳も無く重労働の時間が過ぎたものだ。
 その後ホテルの自室に戻って義母を先に寝かせた後、私はやっとバスルームで寛げたとの結論だった。



 話題を、冒頭の朝日新聞記事に戻そう。

 記事によると、乳がん手術等で温泉等を楽しめない女性たちのために「心ほぐれる温泉」の提供が各地で広まっている、との明るい話題だ。

 これぞ、吉報であろう。

 どうか、手術後の傷跡や治療による脱毛等々に苦しむ人たちが、心おきなく寛げる温泉にて心を開放して欲しいものだ。


 ただ私の場合は、今まで通り家風呂と、旅行の際にはホテル部屋内のバスルームで十分だなあ。

 徹底した集団嫌いの身としては、それが本音で一番寛げるのが正直なところだしね。😌 

 
 最後に余談だが、本日私はまたひとつ年齢を重ねた。
 幾つになっても元気に歳を重ねられる我が健康体に心より感謝しながら、今後も丈夫で有意義な人生を貫いて行こう!!😃 


「マイナ保険証」実質義務化に異議申す!

2022年10月16日 | 時事論評
 冒頭から、毎日新聞少し前の記事「任意なのに義務化? マイナ保険証、SNSで渦巻く不信感」より一部を引用しよう。

 現行の健康保険証を2024年秋にも廃止し、マイナンバーカードと一体化した「マイナ保険証」に切り替えるとした13日の政府発表に対し、SNS(ネット交流サービス)を中心に疑問の声が相次いだ。任意のはずのカード取得が事実上義務化されることへの反発は根強く、国葬同様に意思決定経過に疑問を呈する投稿が続出。背景には情報を一元化されることへの懸念があるとみられ、政府への不信感が横たわる。

 「利便性が高まる」。河野太郎デジタル相は13日の記者会見で「マイナ保険証」への切り替えを発表し、そのメリットを強調した。だが、医療機関の受診に欠かせない健康保険証とセットで切り替えを迫る仕組みは、カードを取得するか否かを個人の判断に委ねてきた制度を事実上義務化に転換することを意味する。

 これに対し、SNS上などでは激しい反発が見られ、会見が開かれた午前10時以降に投稿が急増。「マイナンバーカード」は一時トレンドのトップになった。2013年5月に成立したマイナンバー法は「住民基本台帳に記録されている者の申請に基づき、その者に係るカードを発行するものとする」(16条2項)と明記しており、その任意性を問題視する投稿が目立った。

 (以上、毎日新聞記事より一部を引用したもの。)



 引き続き、朝日新聞2022.10.14付記事「現行保険証24年秋廃止」及び「マイナ保険証 実質義務化」の一部を以下に引用しよう。

 申請するかは自分次第。 そんな「申請主義」が大前提だったマイナンバーカードが保険証の廃止をして、事実上義務化されることになった。 政府はなぜマイナカードや一体化した「マイナ保険証」の普及を急ぐのか。
 マイナカードの9月末時点の交付率は49%にとどまる。 
 現行の保険証を2024年秋に廃止する方針を打ち出した背景について、普及の伸びがあったことを強調し、「交付率3割の状態ではこの議論はできなかった」と明かした。 (途中大幅略)
 健康保険証の廃止を正式に発表した政府。 背景には医療費が増大する中、医療の効率化を図る「医療DX(デジタルトランスフォーメーション)」を薦めたい狙いがある。 そのカギとなるのがマイナ保険証だ。
 マイナ保険証は、システム上に記録された患者の受診歴や特定健診結果、薬剤情報などを確認できる。 (中略) 「患者がより良い医療サービスを受けられる」と説明する。 
 ただ、現状では実際にそれを使える医療機関が3割程度に過ぎない。 そんな低調な利用に、厚労省が6月、年度内に原則すべての医療機関でマイナ保険証に対応できる設備を導入するよう義務化した。 (中略)
 高齢化で医療費が膨張する中で、いかに「無駄」を省いていくかも喫緊の課題だ。 (中略)
 だが、保険証廃止後も「カードを取得しない人にどう対抗するのか」と会見で問われた河野氏は、「ご理解いただけるようしっかり努力したい」」と述べただけ。 具体的な内容に踏み切ることは避けた。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 原左都子の私事及び私見に入ろう。

 本エッセイ集内でも再三述べてきているが、私は元医学関係者であり自身の体調管理や健康維持を自らの医学知識及び経験により主体的に実施して、ほどんど医療機関を実施しない主義である。

 故に「お薬手帳」とやらを貰ったことも無く、ごくたまに病院受診した時などそれが無いのを珍しがられ、「どうしても過去の病歴や投薬実態を伺っておきたい」などと熱心に嘆願する薬局係員氏もいるほどだ。
 仕方がないからそれを端的に話すと、熱心にメモを取りその記録を残すと言うので、それに従ってあげたりもする。

 既に高齢域に達している私であるが、今後もこの「自身の体調管理や健康維持を主体的に実施する」との習慣を貫く方針であり、よほどの重い病気にでも罹患しない限り病院受診する気は無い。

 そんな私にとって、今回政府が持ち出した全国民に対する「マイナ保険証の実質義務化」ほど鬱陶しいものはない。

 しかも驚くのは、政府が言う「医療DX(デジタルトランスフォーメーション)」の導入が未だ3割程度に過ぎないらしい。 
 私とは180度違って(親の影響で)病院好きな我が亭主ですら、この実態を嘆いている始末だ。 亭主曰く、「政府もそれを先に整えてから国民に「マイナ保険証」の義務化を煽るべき!」と怒りつつも、マイナカードの申請はしたようだが…


 それにしても、政府の対応もお粗末過ぎると結論付けたい。
 
 未だマイナカードの交付率が49%と国民の半数を下回っている状況下で、よくぞまあ大胆にも「マイナ保険証」の実施を24年秋と発表したものだ。

 しかも国民に対するその強制のあり方もまったく議論されていない様子だ。(参考だが、我が認知症の義母など、未だかつて「マイナンバーカード」というものが存在している事実すら承知していない身で、その処理のすべてを保証人である我が夫婦に任せきりだ。)
 まったくもって、その面倒をみている家族(と言うより義母の面倒の90%は嫁の私が看ているに等しい!)にとって迷惑この上ないとの思いだ!!

 とにかく、政府は如何に考察しても「マイナ保険証」の実質義務化を焦り過ぎているとしか判断できないでいる。

 ここはどうか岸田首相と河野デジタル大臣は、そのような国民が抱えている実情にも慮って、「マイナ保険証」の24年実施を是非とも踏み止まって欲しいものだ!!