原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「正論」過ぎるAI v.s. “間違い” “崩れ” “下手さ”を指標としてもつ「人間性」

2023年02月19日 | 自己実現
 (冒頭写真は、2023.02.18付朝日新聞夕刊記事 「『正論』過ぎるAIと人間の生きる道は」より、 昨年11月にChat GPTを公開した米新興企業「オープンAI」のサイトのトップページ を転載したもの。)



 早速当該記事を、以下に要約引用しよう。

 AI(人工知能)の発展が著しい。 論文の要約、プログラミング、エクセルの処理など、既に多くの仕事をAIにさせ始めている。 報道によれば、コロンビアでは判事がAIの助けを借りながら判決を下した。 ある調査によれば、AIは、医師、公認会計士、弁護士などの試験には合格できるレベルであるという。
 いま注目されているのが「ChatGPT」という対話型のAIである。 筆者が「宇宙の果てには何があるか」「進化に目的はあるのか」等を質問した際の回答は、まずまず妥当な「正論」が返って来て驚いた。
 「AI時代に批評家は失業するか」を聞いてみると、「批評家が失業するかどうかは、個々の批評家の技術やスキル、そして市場ニーズによって異なる。批評家は、AI時代において必要とされるスキルを身に付け、市場ニーズに応えられるよう努力することが大切です」。 (途中大幅略) 
 自分の息子を見ていて、これからを生きる子供たちは、音声認識でAIに質問し対話しながら育ち、創作や仕事でも支援を受けることは間違いないように感じる。 そんな社会を受け入れながら批判的にも見るような視点が、おそらく私達には必要だ。(とChatGPTは、私にアドバイスしてきた。)
 経験からすると、学生がAIに書かせたリポートはすぐに見抜ける。 きれいで正確過ぎるリポートはAIの可能性が高い。 逆に言えば、「間違い」「崩れ」「下手さ」などが、「人間性」の指標になっているということである。
 と書きつつ、AIが出来ない「心情」や「人間性」の部分に寄り添う役割が人間の批評家に残っているというのも、ChatGPTが教えてくれたことである。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 この記事を見て、私は小学校3年次の出来事を思い起した。

 父兄参観日を控えたある日、女性担任が算数が得意な私を個別に呼んで尋ねる。
 「もしも、〇ちゃんが算数で円の面積を求めようとする場合、どんな方法を思い起すかな??」 
 即興で私が応えて、「三角形の面積を求める公式は既に習っているから、それを利用して、円の中心から細長い三角形を沢山描いてそれらの面積を求め足し算すれば、円全体の面積に近づくと思います。」
 これを聞いた担任が急に怒り始めて私を叱咤する! 「参観日までは教科書を読むなと言ったでしょ!!  何でアンタは教科書を読んだのよ!!!」
 びっくり仰天して怖くなった私が消え入るような声で応えて「いえ、教科書は読んでいません… 本当に今思いつきました……」
 担任応えて、「嘘おっしゃい!!! そんなの子どもが思いつくはずがないでしょ!!」

 いやーーーー、 これには実際参った…
 本当に我が脳内で思いついたからそう言ったのに。 (実際、小学校低学年頃の下校後は宿題のみ済ませたら、すぐに近所の子らと夕方まで遊び惚けていて、授業の予習など一度たりとてしたことはなかったものだ。)

 この出来事は、悪夢のように今尚思い出す逸話だが。

 まあ要するに、我が脳のはたらきとは児童の頃から“AI並み”だったとの逸話かな??? (一人で言ってろ、って??)😜 😖 



 そんな私は、医学業務上コンピュータに触れる機会は早かったが。
 年代的にAIと接する機会がないままに、現在に至っている。

 いっそ今になって、AIと対峙してみたい気もするが。

 「正論過ぎる」AI と今 対峙できたならば、
 年季の入った我が頭脳と「人間性」の方が、真っ向勝負で勝てそうにも思うのだが。😁 😫 😵 
 

昨日のJAXAロケット打ち上げを素人が「失敗」と表現してそんなに悪いか!?!?

2023年02月18日 | 時事論評
 冒頭から、ネット情報を引用しよう。


●「フェールセーフ」という考え方
 機械には、いざという時のために「フェールセーフ」という概念がある。装置が故障した場合を想定し、安全に動作を止めることで周辺の被害を最小限に抑える設計手法だ。今回の場合は、異常は発生したものの、それを検知してシステムが正常に停止した。異常時でもロケットをコントローラブルな状態で維持できたのは、補助ブースターに着火信号を送らないという機構が正常に働いたためだ。
 岡田氏も「ロケットがスタートして打ち上げるときは常に安全な状態を確保することが第一優先。そういう意味では安全に止まったということ。非安全な状態で止まったわけではない。異常を検知して安全に止まるシーケンスが正常に働いて安全に停止している状況。直前にLE-9エンジンも正常に立ち上がっているし、異常の検知も正常に行われていると理解している」と述べ、異常状態が制御下にあったと説明している。
 「成功か失敗か」だけでいえば、正常な打ち上げ自体には失敗し、異常を検知して打ち上げ前に止めるシステムの稼働は成功したといえそうだ。部分を見れば成功も失敗もあるわけで、全体をまとめるのならばJAXAの言う通り「中止」が近いように感じる。いずれにせよ大事なのは、機体や搭載していた衛星が損傷することなく、次に打ち上げられる機体が安全な状態で残っていることだ。岡田氏は「ものすごく悔しい」と会見で涙する場面もあったが、原因究明に努めつつ次の打ち上げに向けて挑むとしている。

 (以上、昨日のJAXAロケット打ち上げに関するネット情報をいずれにせよ、最も引用したもの。)



 上記情報内に記されている内容を今一度繰り返すが。

 「『成功か失敗か』だけでいえば、正常な打ち上げ自体には失敗し、異常を検知して打ち上げ前に止めるシステムの稼働は成功したといえそうだ。部分を見れば成功も失敗もあるわけで、全体をまとめるのならばJAXAの言う通り『中止』が近いように感じる。」

 「いずれにせよ大事なのは、機体や搭載していた衛星が損傷することなく、次に打ち上げられる機体が安全な状態で残っていることだ。」


 この文章を、原左都子がかいつまんで再現すると。
 『成功か失敗か』だけでいえば、正常な打ち上げ自体には失敗している。 
 ただし、異常を検知して打ち上げ前に止めるシステムの稼働は成功。
 部分を見れば成功も失敗もあるわけで。
 全体をまとめるならばJAXAの言う通り「中止」が近い。

 これが現時点における、一番正しい現実なのではなかろうか?

 そして幸いなことに、機体や搭載していた衛星が損傷することなく、次に打ち上げられる機体が安全な状態で残っている。 との表現もある。



 ここは上記文章を信じ、JAXAが明言している3月中の再打ち上げを国民は待つべきであろう。

 ただし、正直に言って。
 私は、共同通信社の「失敗」発言も無理はないとも捉えている。

 私自身もあの打ち上げ時の実況中継をテレビにて見た直後には、「これは、失敗だ!! またもやJAXAは数十億円もの血税を無駄にした!!」なる嫌悪感を抱かされたものだ。

 ところが、世論はどういう訳かJAXA支援・支持に向いているし。
 上記情報通り、“異常を検知して打ち上げ前に止めるシステムの稼働は成功”しているのならば。

 必ずや来る3月の再打ち上げは成功するはずであるため。
 その成功を見守りたいとは思っている。
 

義理チョコがもたらす予期せぬ貴重な人々との交流

2023年02月15日 | 人間関係
 昨日は、バレンタインデーだった。


 朝日新聞「声」欄にも、この日にふさわしい(??)33歳女性による投稿が取り上げられていた。
 以下に、一部を引用しよう。

 社会人1年目のバレンタインデー、職場で配る義理チョコを選んで渡す係に任命された。 受け取る側も面倒だろうと同期の女性と話し合い、「上司の男性は仕方ないとして、同期の男性に義理チョコを配るのはやめよう」となった。
 ところが、バレンタインが終った後、同期の男性がぽろっと「正直悲しい。義理チョコがでもいいから欲しかった」と言った。 想定外の告白に思わず、「来年は渡すね」と約束した。 翌年、約束の義理チョコを渡すと満面の笑み。 「お返しが大変だー」とぼやいていたが、本当に嬉しかったようで渡し甲斐を感じた。
 10年後の現在も同期への義理チョコ文化は続き、今やバレンタインデーは仲間との貴重な交流イベント。 私達同期には、たかが義理チョコ、されど義理チョコである。

 (以上、朝日新聞「声」欄より一部を引用したもの。)



 原左都子の私事に入ろう。

 「原左都子エッセイ集」バックナンバーにても複数回述べているが、この私にも、よく似た経験がある。

 我が30代前半期に 昼間は2度目の大学に通い、夜間は丸ノ内の丸ビル最上階のラウンジにてラウンジコンパニオンをしていた頃の出来事だ。
 ちょうどバレンタインデーに我が勤務日が当たったのだが。この職場の風習として、勤務日が当たった女性が職場の男性全員にバレンタインチョコを配る、との掟があった。
 ところが、その職場の男性が全部で30名程いるのだ! これ、大変!! 全員にチョコを配るその金額を計算すると相当の額となる。 
 アルバイトの身分の私にとって多額の出費は避けたく、スーパーで売られている¥100- の安チョコを買い込んだ。 (それでも、総額¥3,000ーだよ!) 
 どうみても安物がバレバレのため、せめてもの我が気配りで、その30個のチョコすべてに個々の男性の名前と一言のメッセージを入れた。

 そしてバレンタインデー当日だが。 すべてのチョコを配り終えて帰ろうとすると、男性30名の皆が大声で、「さとちゃ~~~ん。(参考ですが、当時から我が愛称は“さとちゃん”でした。)今日はありがとーー!! ホワイトデー楽しみにしててね!!」と叫んでくれるではないか。

 そのホワイトデーが、1か月後にやってきた。
 私が出勤すると、な、な、なんと!! 
 30数個の絢爛豪華なホワイトデープレゼントが待ち構えていた!!
 (既にバックナンバーにて、その内容を披露しているが繰り返すならば。)
 真っ赤な薔薇の花束、ブランド物の数々、オルゴールに素敵な日記帳、4枚に及び綴られた手紙、番外編ではデートのオファー。 etc……
 抱えきれない程のホワイトデーのお返しが、我が手元に届けられた!

 ちょうどこの直後、2度目の大学を卒業して大学院進学(及び夜間は公立高校教諭)を控えていた我が身だったが。
 職場の皆さん、その事実を重々ご存じでおられ、それを祝福する内容だった。
 そして、そのホワイトデーの2週間後頃に私はラウンジコンパニオンを卒業して、新たにそれらの道程へと前進したものだ。


 確かに、「義理」とは言えどもその内容は多岐に及ぶであろう。
 この私のように、ホワイトデーがまさに卒業(人生の分岐点)と重なるような偶然もある。 

 まさに、実に思い出深いホワイトデーだったものだ。


 で、「デートのオファー」はどうしたかって??
 この件に関しても、本エッセイ集バックナンバーにて公開済みだが。
 相手が19歳のコック見習の男の子だったため、複数の男女でドライブをすることにして。 お台場まで行きましたよ!
 皆、真面目ないい子ばかりで、既に30歳を過ぎていた我が身にして春先の楽しい一日を過ごすことが叶いました。😊 😃  


身体の味方であるはずの免疫細胞が体内で癌細胞を増やしていた!?!

2023年02月14日 | 医学・医療・介護
 (冒頭写真は、2023.02.13付朝日新聞夕刊記事“プラットラボ” 「免疫細胞『思わぬ裏切り者』より転載したもの。)



 原左都子が医学部出身の医学関係者として社会で活躍していた時期があることについては、本エッセイ集バックナンバー内で幾度も公開して来ている。

 「医学」と言えどもその職種や専門分野は幅広いが。
 私が医学者として世に出た一番最初の時期に担当したのが、「細胞性免疫」分野であった。

 それ故に、今回の朝日新聞記事は大変興味深いものがあった。

 当時 当該医学企業の「教育課」にも所属する機会があり。
 その際に医学が専門ではない間接部門の社員を対象として“分かり易く臨床検査を解説する本”(社内限定の非売品。全2,200部発刊)を作成するとの使命があり。 ありがたくも、その著者としてこの私が任命を受けた。

 教育課の他の業務もこなしながら、空いた時間にその著作に励んだものだ。
 結果として、当初の予定通り200ページに及んで「臨床検査全般」を解説する著書を仕上げ、出版に至った。 

 その我が著書の、「細胞性免疫」に関するページの一部を以下に転載させていただこう。
         
 (このページは、私の当時の専門の「細胞性免疫」検査の原理等を図解にて説明したもの。)

 参考だが、この著書の特徴は、あくまでも“医学未経験者”を対象として著作・出版するものだったため。 “素人でも分かり易く”が一番のモットーだった。
 その“分かり易さ”の一手段として、本文の右欄に“索引コーナー”を設け、医学専門用語をすぐに検索できるように工夫したものだ。 (それでも、医学とは元々未経験者には難解であり、“分かり易さ”とは程遠い内容だったかもしれない…)




 前置きが長くなったが、表題写真の朝日新聞記事に戻り記事内容を要約引用しよう。

 日本人の死因第1位である「がん」。 その中でも死亡数が多い肺がんを体の味方であるはずの免疫細胞が増やしていることを、大阪大などの研究チームがマウス実験で明らかにした。
 同大教授によると、「思わぬ裏切り者」だと判明したのは肺胞マクロファージという免疫細胞。 肺にだけ存在し、普段は外気から体内に侵入してきた細菌やウィルスを食べて排除している。
 通常、免疫細胞はがん細胞を攻撃することでがん化を抑えていると考えられている。 そのため教授らは「肺胞マクロファージも、肺がんを抑制する働きをしているだろう」と想定していた。 (中略)
 ところが、この免疫細胞があるマウスよりもそれをなくしたマウスの方が、肺がんが小さくなることが分かった。
 教授は、「マクロファージががんを排除できないどころか、増やすというショッキングな結果になり、当初のストーリーが崩れた」と振り返る。
 なぜ免疫細胞が無い方が、がん細胞が増殖しないのか。 さらに遺伝子の変化を解析すると、肺胞マクロファージは肺がん細胞があると、アクチビンAと言うたんぱく質を出す状態になっていた。 このアクチビンAが、肺がんを増やすことがわかった。(中略)
 一方で、アクチビンAを検出できれば、肺がんの早期発見につながる技術が期待でき、アクチビンAを作れないようにすれば、肺がんの増殖を抑えられる可能性があるという。 教授は「がんが育ちやすい環境を制御する治療法につながるかもしれない」と話す。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)




 最後に、感想を書かせていただこう。

 この原左都子が医学関係の職務から離れて以降、20年近い年月が流れている。
 中でも、私の医学業務の原点であった「免疫細胞」関連業務に関しては、その場を去ってから30年以上の年月が経過している。

 それでも私の医学の原点はまさに「免疫細胞」であり、来る日も来る日も顕微鏡でそれらの細胞を眺めていた時代が実に懐かしく思い起される。
 
 本日、その「免疫細胞」(今回の場合は“マクロファージ”だったが)に朝日新聞紙上で再び巡り会えたこの“偶然”が実に懐かく嬉しい。

 思わず我が著書である古びた書物を書棚から取り出して。
 一時その一部を読み直してみたら、(自画自賛で恐縮だが)実によくできた医学著書として仕上がっていて安心した。😜 😖 😷 


マスク着用の有無、3月中旬から「個人判断」とは無茶苦茶な!

2023年02月12日 | 時事論評
 表題に関するネット情報を、以下に引用しよう。



  政府は10日、新型コロナウイルス対策のマスク着用を、個人の判断に委ねる新たな指針をまとめた。 医療機関や混雑した電車といった着用が推奨される場面を示す一方で、学校では着用を求めないことを基本とした。 4月1日からとした学校を除き、3月13日から適用される。 新型コロナの流行が始まって4年目に入り、5月8日には感染症法上の位置付けが季節性インフルエンザと同等の5類に移行。日常生活に浸透してきた基本的な感染対策が大幅に緩和される。
 加藤勝信厚生労働相は取材に「本人の意思に反して、着脱を強いることがないように対応いただきたい」と述べた。 また感染が拡大した場合は、一時的にマスク着用を呼びかけることもあり得るとした。
 新指針適用前の学校の卒業式は「児童生徒らはマスクを着用せずに出席することを基本とする」とした。文部科学省は2月10日、都道府県教育委員会などに通知した。

 (以上、ネット情報より引用したもの。)



 このマスク着用有無に関する政府判断は、聞くところによると学校が卒業式を迎えるに当たり、学校の卒業式をターゲットとしている様子だ。

 それに関する新聞報道を、以下に引用しよう。

 卒業式など学校でのマスク着用をめぐり、岸田首相は10日、「卒業式ではお互いの笑顔を見ながら参加して欲しい。 (中略)国歌斉唱や合唱を除き、児童・生徒と教職員がマスクを着用しないことを基本としたい」と表明した。
 (以上、引き続き朝日新聞より一部を引用したもの。)


 一旦、原左都子の私見に入ろう。

 一貫して学校嫌い(集団嫌い)だった原左都子としては、正直言って学校行事に於けるマスク着用の有無など、どうでもいいのが本音だ。
 それは個人的な感覚としても。

 大勢の生徒や教員が集合する卒業式等の式典こそ、マスクを着用を義務化するべきかとも考えるのだが。
 首相の岸田さん曰く、「卒業式ではお互いの笑顔を見ながら参加して欲しい」……

 本気でそう思っているのだろうか???
 その笑顔から、コロナウィルスが数多く吐き出される光景が私には見えるのだが…
 その種の慈善者的配慮を、この私は昔から忌み嫌っている!


 最近のニュース報道で、この政府のマスク着用緩和策に関して、学校現場での生徒インタビューがあった。
 そのインタビューに応える生徒の個性が光っていたのに助けられる思いだった。
 ある生徒は単純に(と言っては失礼かもしれないが)、「せめて卒業式で皆がマスクを外せて嬉しい!」と明るく反応していたのに対し。
 他の生徒は、「私は感染予防のためにマスク着用して卒業式に出席します。」と明言していた。

 今の学校現場とはこれ程に個々人の個性が尊重されている現実なのか!と、頼もしく感じたものだ。



 学校現場はともかく、この私など今現在何処の組織にも所属していない立場だが。
 ああ、病院通いがあるなあ。 ちなみに病院等の施設では「マスク着用」を義務化し続ける方針と聞く。 
 当然の措置であり、安堵している。



 最後に究極正直な、今後の“マスク着用”に関する我が思いを綴るならば。

 既に初老域に達している身にして、ここ3年来に及ぶマスク着用期間に我が容貌は見事に老化の一途を辿ったように感じる。 
 特に左膝複雑骨折にて9日間の入院後、その老化が更に進んでしまった感覚もある。
 もっと若い年代であったならば、自助努力により元の容貌に戻れたようにも思うが。 このマスク着用の3年間の年月が、もうどうしても後戻りできない程の年輪を我が顔に刻みつけた感すらある。

 もうじたばたしても、この老化現象はどうしようもないことは承知の上で。
 とりあえずマスク着用が許されるならば、それに甘んじてこの世を渡り続けたい思いでもある。