原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

再掲載「ディズニーリゾートに見る若者の“似非”同調思考」と、現在の我が思い…

2024年04月17日 | その他オピニオン
 冒頭から、「原左都子エッセイ集」2011.02.03 公開の上記バックナンバーを、以下に引用しよう。



 昨日(2011.02.03)、私は“千葉県”にある 東京ディズニーシー を訪れた。
 いい年をした大人がこんな寒い時期に、一体全体何が目的で“子供が喜ぶ”リゾート施設なんぞへ行ったのだろうかと不思議に思われる読者の方も多いことであろう。
 一昨日の2月1日から東京都内の私立中学の受験が一斉に実施されている。 その煽りで、毎年この時期は我が娘が通う私立中高も全校2連休とならざるを得ないのだ。
 我が娘は決して“ディズニー分野”に興味がある部類ではないのだが “ものは試し” ということで、一度ディズニーリゾートをこの空いている時期に視察しておこうかと言う話になったのである。

 参考のため、ここで原左都子の 東京ディズニー歴 を少し振り返ってみることにしよう。
 東京ディズニーランドが“千葉県”にオープンしたのは1983年の事である。 
 オープン当初は、特に首都圏近辺の国民の間ではまるで歴史的出来事かのような大騒ぎだったものだ。
 当時まだ独身だった私も(彼氏を取っかえひっかえしつつ)、カップルで何度かディズニーランドを訪れている。 その頃の印象では顧客層は千差万別であり、特に顧客の年齢層やグループ構成に偏りはなかったような記憶がある。 そしてまだまだ若かりし原左都子は、テーマアトラクションにもよるがそれなりに感激し楽しめたものである。

 その後私が東京ディズニーランドを訪れるのは、我が子を産んだ1990年代半ば頃からの事となる。 その後娘が小学校高学年頃まで親として現地に何度か同行したものだ。 この時代は母である私はあくまで引率者の立場であり、自分が楽しむと言うよりも我が子が好みのアトラクションやショップに付き合ったという感覚である。
 この頃からディズニーリゾートでは、アジア系の観光客が急増しつつあったであろうか?

 そして昨日、何年ぶりかに“ディズニーシー”へは 初めて 母娘で訪れたといういきさつである。
  その日は東京都内の私立中学受験の煽りか、“ディズニーシー”の顧客層に明らかに偏りがあったと考察できる。
 それが顕著化するのが各アトラクションの待ち時間なのだが、あの“順番待ち”の列の場とは原左都子にとっては得意の「人間観察」のまたとはないチャンスだ。 ところが昨日の場合、周囲の顧客層が上記のごとく(おそらく)私立中高生徒グループばかりなのだ。 「観察」などせずとて“かしましい”年頃の言動が狭い列の間で煩いばかり…。

 皆が皆、ディズニーキャラのカチューシャやリボン、帽子を頭に被り、手にはその種のぬいぐるみ等を抱いている。 これが女の子の場合はまだしも許される思いの原左都子だが、男子までもが(皆さん、中高生の年齢の男子ですよ!)同じようにディズニーキャラの帽子を被ったりしてはしゃいでいるのだ…  
 (これぞ、男子草食化のはしりか!) などと嘆いている場合ではない。

 さらに、この若年層グループがくっちゃべる会話のその内容とは呆れるばかりにアホらしくて聞いてられないのだ。  何と表現すればいいのだろう、要するに世間の主婦連中の井戸端会議の範疇を抜け出ていないのである。 もちろん、ここはリゾートの場である。こんな所で自分達が抱えている現実課題について語る訳もないであろうし、「今皆で楽しんでいるんだ!」という“場を読む”感覚は重要であろう。
 ただ、原左都子は聞き逃していない。 一見してこの中高生グループは皆仲が良さそうに見えるのだが、会話の中に「えーと? ○○さんは何処に住んでいるんだっけ?」等の会話も交錯する。 と言う事は、おそらくこれら若年者グループは“にわか仕立て”のグループであるとも推測できよう。(あるいは、この若年層が個人情報に配慮しているのか??)
 そうだとすると、この若年層グループがこの場で会話の内容にある程度以上踏み込めない事も理解できるというものだ。 (ただし、順番待ちの狭い列という場をわきまえず集合写真を撮ったり大声ではしゃいで列を乱している様子も合わせて考察すると、彼らが決して周囲の顧客に配慮して会話内容を深くまで踏み込まないよう調整しているのではなく、ただ単にグループが“にわか仕立て”であるが故なのであろう。)

 加えて興味深いのは、そんな若年層がリゾートの係員の指示には従順だと言う事だ。
 例えばあるアトラクションで集団で船に乗った時、係員が「はい、皆さん、チャオと言いましょう!」と声高々に指示すれば、若年層の皆がそれに従う…。 (いえいえ、もちろん客観力のある原左都子も“場を乱さない”ために一緒にそう叫びましたよ!) そして、やたらと「楽しいね!」「面白いね!」を皆が連発してノリノリであることを集団内で合意し合っているようにも見受けられた…
 だた、これに関しても私は表題に掲げた通り若者のその言動が「“似非”同調志向」の範疇を出ていないと考察して後味が悪い。 年齢を重ねた私がリゾートの地で客観力を持って周囲に同調する分には何ら不思議はないのだが、もしもうら若き中高生が自分の居場所を失わないために、ここはリゾート地だと割り切って演技で同調しているのだとすれば、それは若者のストレスを倍増させるのみだ…

 (途中、大幅略)   
 
 この長引く不況の時代にもかかわらず「東京ディズニーリゾート」は不況知らずの盛況ぶりだ。
 既に年老いている原左都子にとっては、昨日訪ねた“ディズニーシー”は子供達が同調し合うほど楽しくも面白くもなく、それ程の魅力を感じるコストパフォーマンスを見出せなかったと言うのが、残念ではあるが今回の率直な感想である。

 それでも今に至って尚活況を続ける「東京ディズニーリゾート」が、将来に夢を抱く子供達に何らかの影響力を及ぼす場であるとするならば、その“社会的責任”を背負うリゾート団体としての使命を重々自覚しつつ今後発展して欲しい思いでもある。

 (以上、「原左都子エッセイ集」2011年バックナンバーより一部を引用したもの。)



 話を、2024年の現代に移そう。

 当の昔に我が一人娘は自立して、我が家から出て行ったし。

 いまに至っては、「東京ディズニーランド」」とは何らの縁も無い人生に至っている私だが。
 
 それでも、「東京ディズニーランド」とは今尚営業を続行していると把握している。


 もしも私に孫がいたとして、その孫が「ディズニーランドに連れてって!!」などと嘆願したならば。
 おそらく、我が老夫婦もそれに喜んで従う事であろう!!?

 残念ながら、未だ(おそらく今後も)孫には恵まれないであろう事実を実感してそれを既に受け入れている立場にして。

 今となっては、「ディズニーランド」との夢?の世界は。
 我々夫婦や、(おそらく我が一人娘にとっては)。

 遠い過去に夢をもたらせたくれた、今となっては過ぎ去さりし「遠い夢の世界」となり果てた存在と結論づけられそうに思う…


再掲載 「『産まない自由』はもちろん認められるべきと思うが… 」

2024年04月16日 | 自己実現
 「原左都子エッセイ集」バックナンバーにて、はたまたリバイバルヒットしているバックナンバーを発見した。



 2022.05.04付 冒頭表題のバックナンバーを、以下に再掲載させていただこう。

 朝日新聞2022.03.05付「ひととき」欄に、気になる投稿を見つけた。


 「産まない自由」と題する33歳匿名希望 主婦による投稿を、以下に要約引用する。

 最近、リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)という言葉を目にする。 子どもを産むか産まないかは自分自身が決めるということだ。 この言葉を見る度にうれしくも苦しい気持ちになる。
 子どもが欲しいと思ったことは無い。 大学生の時に母に話すと、ひどい剣幕で「自分勝手だ。孫に会えないのは寂しい」と否定された。 夫は、私の権利と自由を約束したが、子どもだけは譲らなかった。 「欲しいのが普通。異常だ」。 議論は4年に及んだ。 「育児は夫」との約束で出産した。 
 しかし、出産の数時間後には、とんでもない間違いをしたと気づいた。夫の育児には限界があり、毎日が地獄のようだった。 「子どもが可愛いと思えない」と苦しい思いを明かしても、産後うつだと一蹴された。
 ある日ささいなけんかから、夫は「離婚した方がいい。親権は諦める」と言い放った。 私はパニックをおこしたが、そんな私と1歳の子を置き、いつも通り出勤していく。 その背後に「バイバイ」と手を振る子を見て、涙があふれた。 この子が大きくなる頃には、産まない自由が当たり前であることを祈った。

 (以上、朝日新聞「ひととき」欄への投稿を引用したもの。)


 私事に入ろう。

 この私も若い頃には特段「子どもが欲しい」と思うことなく、仕事に学業に恋愛にと充実した楽しい日々を過ごした人間だ。
 職場の周囲の女性たちが20代半ばが近づくと、皆が皆結婚を焦りだすのだが、それが不思議で仕方がない程に私はマイペースだった。

 その根底にある思想の中の一つに、やはり「特段子供が欲しいと思わない」との思想があったことと振り返る。

 そんな私も30代後半期になり、見合い結婚にて現在の伴侶と巡り合っている。
 その見合いの席にて亭主と話し合った重要項目として、やはり「子供を設けるか否か」があった。
 これに対する両者の考えがピタリと一致したのが、我々が成婚に至った一番の決め手であったことだろう。
 その考えとは、「出来たら産む、出来なかったらそれでいい」だったのだが。

 何と!、(後で思えば)超ラッキーなことに、我々カップルは成婚前より子どもに恵まれたようだった。 
 どうも新婚にして我が体調が悪い。
 この症状に対する元医学関係者である私の診断は早かった。「妊娠したかもしれない」。
 早速亭主が薬局にて「妊娠検査キット」を買ってきてくれて、それで調べると「陽性反応」が出た。
 直ぐに近くの産院にて正式な診断を受けたところ、まさに「妊娠」の診断が出た。 その超音波映像を見せてもらったところ、明らかに我が腹部に新たな生命が宿っていた。
 その後も当時就業していた高校教諭を続行した後に、出産直前期に生徒や教職員の皆さんから祝福されつつ私は“出産退職”と相成った。

 その後の我が子育て歴に関しては、本エッセイ集にて執筆・公開し続けているのでそれを参照して頂けると嬉しい。
 大まかにまとめるならば、我が子育ては順調だったと判断可能だし、とにかく我が子が予想以上に立派に育ってくれたことを一番嬉しく思っている。
 
 さて、朝日新聞投稿者に話題を戻そう。

 この投稿女性の産んだ子どもさんが、未だ1歳だという。 
 その身にして、ご亭主に離婚宣言をされて実行に移されたばかりの厳しい現状だろう。
 この投稿内容からは細かい部分を察することは無理だとしても、どうもご亭主との離婚理由が分かりにくにのが正直なところだ。
 もしかしたら未だ1歳の息子さんの存在が、離婚の主たる理由では無かったのかもしれない。
 私としては、この相談女性から感じ取る「独りよがり」部分が大いに気になる。 自己主張があるのは認めるとして、相手とのコミュニケーション力に欠けているのかとの懸念材料が大きい。

 相談女性が書かれている、「この子が大きくなる頃には、産まない自由が当たり前であることを祈った。」 の文言に関してだが。

 それを祈る前に、この相談女性が真っ先に取り組むべき課題とは。
 
 産んだ我が子を、とにかく育てましょうよ! 貴方の御母上は孫が欲しかったらしいので、その助力を大いに利用しましょう。
 それに取り組んでいるうちに年月が経過すると、我が子が母親である貴女の一番の味方の存在になるものですよ!
 そうなったら母親の独り勝ちと言うのか、とにかく親子での楽しい日々が訪れるでしょう。
 息子さんは、未だ1歳。
 今後の息子さんの未来は輝いているでしょうし、大きな希望を母親の貴女に与えてくれることでしょう。


 原左都子のひとり娘に話題を移して恐縮だが。
 
 我が最愛の娘が、明日(2022.05.05)我が家から引っ越して「ひとり立ち」します。
 28年5か月もの長い期間、親と同居してくれて本当に、本当に、ありがとう!!!
 今後は一人で自分の人生の価値を再発見しつつ、楽しく朗らかに更なる希望溢れる人生を歩んでね!

 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより再掲載したもの。)




 そんな我が娘が 昨週04.13土曜日に、我が家を訪れた。
 その時の話題については、つい最近の我がエッセイ集内にても紹介した通りであるため 割愛させていただくが。

 上記朝日新聞投稿者である女性の息子さんは、投稿時点でわずか1歳だったようだが。
 その時点から年月が流れ、今では3歳になられているであろうか。
 まだまだ親の手がかかる年齢ではあることには変わりないが。 それにしても1歳時点と比較すると相談者であるお母様との会話も闊達になり、目まぐるしいまでの身体の成長を遂げられていることであろう。

 相談者であられたお母様も。
 「この子が大きくなる頃には、産まない自由が当たり前であることを祈った。」… などとの苦悩が過った時代を既に通り過ぎられて。

 今となっては「この子がいてくれて良かった」との心理状態に少しずつ変貌されているであろう事実を、陰ながら期待申し上げたいものだ。
  
 過ぎ去ってみれば、子供の成長とは瞬く間であることに気付かされるものです。
 どうかそんな貴重な時間を、今は最愛の子どもさんと共有されますように。


原左都子も、若かりし時代に「月経」が実に重かった!!……

2024年04月15日 | 医学・医療・介護
 この「女性特有」の災難を取り上げてくれたのが、現在NHKにて放映中の連続テレビ小説「虎に翼」である。

 それは割愛するとして。

 この原左都子も、未だうら若き乙女時代に「過多月経」に実に苦しめられたものだ。


 本日は、そんな我がエッセイ集より。
 2020.01.22付公開の「思い起せば、私も『過多月経』だった…」を、以下に再掲載させていただこう。


   娘が小学校時代に、地元公立小学校よりPTAによる「下校時パトロール」との業務が課せられた。
 その時ペアになった、娘の同級生のお母上とパトロールしながら会話をしたのだが。
 お母上曰く、「小6の娘に未だ“生理”が来なくて心配している…」
 それに私が応えて「まだご心配なさる年齢じゃないと思いますけど。」
 お母上「原さんちの〇〇ちゃんはもう始まっているんですか?」 
 私 「ええ、始まっていますけど、あんなもの遅い方がラクで良かったのにと思っているくらいです。」

 それに一瞬驚いたお母上「えっ??? どうしてですか? 女の子にとっては大事な事だと思いますが…」
 おっしゃる通りであり、私が反省して、「失礼申しました。 実は私自身が“過多月経”だったため娘時代に苦労の連続で、生理に良い思い出が何も無いんです…」

 実際、我が“過多月経”ぶりはもの凄いものがあった。

 私の生理開始は中一だったのだが、未だ始まって時が経たない頃にブラスバンド部の夏合宿と生理が重なった。
 合宿も後1日を残す朝方の事だ。 目覚めると、持参した布団や毛布が血だらけだ!  (こんな時に生理が始まるなんて…)と未だ12歳の私は泣きそうになりながらトイレに駆け込むと、当然身につけていた下着類のすべてが真っ赤っ赤状態! それを急いで着替えして…
 ただ、合宿も最終日だったことに助けられた。 まるで殺人事件かのごとく多量の血に染まった布団や毛布類・下着類を急いで丸め込み、そのまま家へ持ち帰った。
 それを見た母が洗ってくれたのはよいものの。  「何でここまで汚すの! だらしない!」  母とて単に無知で悪気は無いのだろうけど、これが辛くて辛くて…
 
 その後もこの失敗の繰り返しだ。 
 何故か今生理が始まったら困る時に、私の生理は始まる。😰  
 
 例えば、高校時代の“野外合宿”の時もそうだった。 全員トレパンを着用させられるのだが、どういう訳か当時そのトレパンの色が「白」なのだ! この白トレパンが真っ赤に染まったのに気づいたものの、すぐさま着替えする訳にもいかず… ついに泣き始めた私に、級友がこっそりと「泣くな! 泣くと余計に目立つ。 私が後ろについて隠してあげるからとにかく泣くな!」 (Thank you …)と思いつつ涙が止まらなかったものだ…

 あるいは医学部時代の付属病院検査室実習時にも、白衣に生理の血が滲んだことがある。 その時は既に病院職員であられた先輩が、これまたこっそりと「白衣に患者さんの検体の血がついたようですよ」とフォローして下さった。 私自身の生理出血であるのは明白だが、とにかくすぐに白衣を着替えに行かせてもらえたのはラッキーだった。

 高校までの学校の制服は紺色だったことに助けられた。 スカートを汚しても目立たずに済んだ。 あるいは私服の時は、生理中は絶対に薄色の洋服を着ない事が閉経まで身に付いていた。  昔テレビにて「あの日も白…」と歌う生理商品のCMが流行った事があるが、私には無縁の世界だった…。

 社会に出て、同じく“生理過多”の同輩と出会った事がある。 その女性とその対策に関して色々話し合えたのが収穫だったものだ。  夜間はどうする? ナプキン3枚重ね、等々…  殿方には永遠に分からない話だろう。
 現在では、生理ナプキンも場面に合わせ進化を遂げているが、当時はそうではなかった。 どれほど苦心して、出血過多状態を乗り越えてきたことか。

 私は医学関係者であり、自分自身で自分の血液像を顕微鏡で見る機会も多かった。  実際、末梢血に赤芽球が観察出来るほどの貧血状態を余儀なくされていた。 これが自己申告で“生理過多”がその理由だと主張しても、いや単に栄養不足だ、鉄分が足りていない等々の自己責任論の反応が、同じく医学関係者の同僚等から返ってくるのも悲しかった…

 その証明が出来たのは、高齢にて妊娠した時だ。 
 妊娠すると、必然的に生理が止まる。 これが何と楽ちんなのだ!  いや、人並みにつわりはあったが、何と言うのか、身体がまるで生き返ったがごとく軽やかだった。 今まで苦しめられ続けた“立ちくらみ”も一切無い。 本当に元気な妊婦時代を過ごせた。

 そして閉経後。
 私の血液のヘモグロビン値は、閉経後ずっと正常値を保っている。 (いや、現在では定期検診を受けない主義のためその値を知らないが、感覚的に生理に苦しめられ続けた現役時代の辛さが嘘のごとく一切無い。)  参考だが、我が生理があった時代のヘモグロビン値は基準値の約半分程でずっと経緯していた。 末梢血に赤芽球が出現しても不思議では無い程の貧血状態だった…
 
 我が“過多月経”失敗談義が続いたが。
 今回、このテーマでエッセイを記そうと志したきっかけは、朝日新聞2020.01.18付「ひどい痛みや貧血、病気かも」と題する女性の月経に関する記事を見たことだ。

 何故か、この種のメディア情報は昔から少ない。
 女性に特有の「生理」に関して語ることが、今尚メディア界に於いて御法度なのか???  そんな事は無いと信じたいものだが…
 よくぞまあ、朝日新聞は毎月訪れる「生理」に苦しむ女性に光を当ててくれたものだ。
 この種の記事が、我が「生理現役時代」にも公開されていたならば、どれだけ勇気付けられた事かとも思う。

 とにかく、女性陣よ。
 生理とは女性のみに与えられた、特権だ! 
 もしもご自身に毎月訪れる「生理(月経)」に関して異常性を抱いたのならば、すぐさま専門医を受診される事をお勧めする。
 今の時代は、その要請に医学・医療現場が応えてくれるはずであると信じたい。



 今回は、“血生臭い”話題で恐縮だが。

 今回、この話題をNHK連続テレビ小説「虎に翼」にて取り上げた勇気に、原左都子は拍手を贈りたい!!

 実際問題 ドラマの寅子と原左都子以外にも、この世には「過多月経」等々で、それが訪れる都度辛い(と言うよりも本人にとっては毎月“壮絶の苦しみ”だ!!)との思いをしている女性が存在するはずだ。

 あるいはまったく逆に「月経」が不定期等々の問題を抱えている女性も世には数多いことであろう。

 私の場合は、自分自身が望むところの「一女をもうけたい!」なる欲求が達成されたのだが。
 この「月経」のせいで、御自身の人生が大きく違わざるを得ない女性やその配偶者のためにも。

 この辺に関する現在の医療の進捗度合いを把握していない身にして、全ての子どもを欲するご家庭が良き結果に達することに切に期待したい思いだ。


晩婚・高齢出産の一人娘が昨日我が家にやって来た。

2024年04月14日 | 人間関係
 この一人娘が我が家を出て、一人立ちして以降 2年近くの年月が流れている。


 まさか親としては、娘が「家を出て独立する!」との“独立宣言”をするとは夢にも思ってもいなかったのだが。
 娘のその意思は固く しかも計画力も実行力も伴っていて、その宣言の直後に自分で住む部屋を一人で見つけ賃貸借契約を段取りよく済ませて、そそくさと出て行った…


 あれからほぼ2年の年月が流れたが。

 この我が娘が、「歯科医受診は今まで通りこちらでお世話になっていた歯科医師先生にお願いしたいので、その受診時には必ず親元に立ち寄る」と約束してくれた通り。
 その後、歯科医受診がある都度、我が家に立ち寄ってくれる。

 そして夕食を3人で一緒に食べてくれるのだが、その後夜遅くになると必ずや自分の家へ帰って、決して宿泊はしない。

 
 母親の私も独身時代が人よりも十分に長かった人間であるため、そんな娘の行動・思考が理解可能な気もする。

 私の場合は、元々自身の親が好きではなかった身だ。 
 そのため大学医学部卒業後の就職先を東京と定め、郷里の家を出て現在に至っている。

 その時の我が両親に対する思いと、一人娘の我々両親(私と亭主)に対する思いは全く異なると私は判断するし、そうであると信じたい。

 もう40数年前の話になるが、私があの時単身上京を決意したのは、(後によく使っているフレーズだが)まさに、「親を捨て、郷里を捨て」ての上京だったものだ。
 その勢いを実行するべく私は上京後、特に経済面で郷里の両親の世話には一切なっていない!! 
 30歳時点で大都会首都圏に自分一人が住むマンション物件を購入した際にも、また 同じく30歳時に再び大学受験合格して再入学した後、大学院修了まで、ただの一銭たりとて親の経済力には依存していない!! すべての自己実現を自己資金にて成してきている!!!
 だからこそ、私は「親を捨て、郷里を捨て上京」のフレーズを高らかに使用可能と判断している。😡 



 話題を、我が娘に戻そう。

 「郷里を捨て親を捨てる」事に対し、頑ななまでの決意を伴った私とはまるで異なり。

 我が娘の素直さ・可愛さに、いつまでも喜べる親である事実が何よりも嬉しい。

 それはイコール、我々親どもの娘に対する接し方が誤っていなかったのは元より。 
 娘自身も、実に素直に成長してくれた挙句に「一人立ち」を自分自身の意思で成し遂げのだと捉えることが叶い。


 とにもかくにも こんなに立派に成長してくれた我が一人娘と、住む場所は異なれど。
 今度共々良き関係を築き続けていたいと、つくづく思う母親の私である。


 
 娘が帰宅して一夜明けた今日の午前中に、亭主が私に問いかける。

 「今現在特に東京の物件価格が急上昇しているので、我々が死んだ暁には〇〇(娘のこと)が単身で住む物件購入は無理だろうなあ。」
 私返して、「これ程までに物件価格が高騰した現在、大都会にて我々とて物件を買い替えるのは無理だよ。ましてや、娘が買うのも不可能だろうねえ… ただし、あの子のあの労働意欲を考えた場合、あの子が賃貸物件を借りる程度の経済力は保持し続けるであろうと思うよ。 あまり取り越し苦労せずとて、出来る限り我が子のために我々が遺産を残してやれたならば、あの子はきっと力強くこの世を渡って行けると思う!」


 親馬鹿ですが、我が家の一人娘は実に良き子に育って成長し続けてくれています…
 

小池さん、都知事としての能力はある程度認めるが学歴詐称を疑われ続ける人生どうにかして!

2024年04月12日 | 時事論評
 本日ネット上にてみつけた情報を以下に引用しよう。


 小池都知事 卒業めぐる“疑惑”指摘を否定 「文芸春秋」掲載記事
 2024/04/12 14:55


 東京都の小池知事は、10日発売の月刊誌で元側近から大学卒業をめぐる疑惑を指摘されたことについて「大学が、大学の意思で卒業の証明を発出した」と記事の内容を否定しました。
 小池知事をめぐっては、「エジプトのカイロ大学を卒業していない」といった指摘が過去にされていましたが、2020年に小池知事は「卒業証書」を公開したほか、在日エジプト大使館のフェイスブックにも「小池知事が卒業した」とするカイロ大学の声明文が掲載されていました。
 しかし、10日発売の「文芸春秋」には、かつて小池知事の側近だった、都民ファーストの会の元事務総長が「自分が『カイロ大から声明文を出してもらえばいい』と発案した上で、知人の元ジャーナリストがその文案を作成した」と自ら告白した記事が掲載されていました。
 この記事について小池知事は先ほど行われた会見で「大学は卒業し、大学が卒業を認めている」「大学が、大学の意思で卒業の証明を発出した」と述べ、記事の内容を否定しました。
 12日夕方には、元事務総長側も都内で会見を開く予定です。



 この原左都子は、娘が中2の頃に家族でエジプト旅行を実行している。

 その際に、日本語が流暢なエジプト人のバスガイド氏に出会う事が叶い。
 そのガイド氏より、偶然だがバス内のアナウンスにて「小池知事がカイロ大学を卒業していない」事実について聞いた。
 (これに関しては、原左都子エッセイ集バックナンバーにても綴り公開しているが、残念ながら今現在どうしても見つけることが叶わないため。)



 以下に我が記憶に辿って、バス添乗員氏よりの情報を以下に伝えよう。

 そのバスガイド氏はバリバリのエジプト人であられるが、日本への留学経験がおありで日本語ペラペラの人材だった。

 そのM氏曰く、「都知事の小池百合子氏はカイロ大学を卒業していません! 小池氏は御父上のコネでエジプトを訪れることが叶い、確かに一時カイロ大学に所属していた時期があります。 ただし、それは「大学卒業」などとの大袈裟なもでは全く無く、「短期留学」等々の身分で「カイロ大学」にて一定期間のみ勉学に励まれただけのことです。 私(バスガイド氏)自身がカイロ大学卒業生であるからこその、正真正銘の情報です。


 
 このカイロ大学ご卒業のガイド氏には、エジプト滞在中に大いにお世話になった我が家3名である。 
 と言うのも、娘が未だ中2(13歳)時点でのエジプト・ギリシャ旅行の強行であり。 しかも、ギリシャにての猛暑に大打撃を受けた娘はホテルで丸2日高熱を出して寝込んでしまったのだ…
 それでも、ギリシャから再びのカイロへの帰還以降は娘はすっかり元気を取り戻し、再びカイロにてガイド氏にお世話になることが叶った。

 その際に そのカイロ大学ご卒業のガイド氏が、「娘さんがギリシャで高熱を出したと聞いています。 元気な姿でカイロまで戻ってくれてとても嬉しいです!!」と我々一家を応援して下さったあの恩義を、私は今尚忘れないでいる!


 あれ程に、ご自身の旅行客を大事にされるガイド氏であられたが故に。

 原左都子は、今回の都知事・小池氏の「学歴詐称問題」再発事件に関しては。

 小池氏の度重なる「ご自身はカイロ大学出身だ!」との信憑性無き訴えよりも。

 我々一家がエジプト・カイロにて知り合ったバスガイド氏のご発言こそを。
 絶対的に信用申し上げたいと、今尚思っている!!